月の欠片
復讐を遂げることが出来なければ鬼になる。
ならば、復讐する事こそ小百合が生きる唯一の道。
「たとえ自分とは関係の無い者を惨殺しようとも、必ず復讐を遂げてみせる」
「――私が、生きる為に――」
――
希海が学校から帰宅すると、伊奈が出迎えてくれた。 小百合と共に……。
希海は小百合が復讐の為に伊奈の力を借りる決意をした事を知り憤然とした。 そして、あの恐ろしい約束を伊奈と交わした事を知って激昂した。
希海は復讐という行為が“悪”である事を知っていた。
理不尽な苦しみを受けようと、残酷な仕打ちを受けようと、復讐によって恨みを晴らす事は“例外の無い悪”である。
希海は小百合を自分達と同じ修羅の道へと墜ちて欲しく無かったのである。
希海は伊奈の部屋を訪ね、小百合に復讐の力を与えないよう求めた。 自分が小百合の復讐を手伝えば、小百合の父親くらい簡単に殺害出来る。 母親とその家族を惨殺する必要は無いと訴えた。
ところが、伊奈は希海の頼みを断った。
彼女は怒りで震える希海の頭を優しく撫でると、希海の額にキスをした。 そして、愛おしそうな視線を希海に贈り、何故希海の願いに応えることが出来ないのか説明した。
「自分自身で復讐を遂げられなかった者は鬼となるわ。 立山小百合の憎悪は父親だけでなく、母親にも向けられているのよ。 たとえアナタが小百合の父親を殺害したところで、小百合の憎悪が消えなければ、彼女は厄災の化身――鬼――となる」
希海は銀色の瞳に涙を浮かべている。 伊奈は希海の瞳から零れ落ちる涙を優しく手で掬ってあげると、膝をついて希海を抱きしめて言葉を継いだ。
「“厄災”は消滅させなければならないの。 それがワタシの宿命。 そして、アナタ達の定め、分かる?
もし、アナタが小百合を鬼にさせたくないのであれば、小百合の憎悪を消滅させなければならないわ。 小百合自身が復讐を遂げるだけではダメ。 復讐した者を愛する者をも殺害しなければならないの。
それは憎悪の芽を摘む為に必要な事。 ワタシ達はこの世界に厄災を生み出してはならないの」
伊奈はそう言うと希海から離れた。 希海は伊奈の説明に納得していないのか、頭を振って俯いている。 すると、伊奈は希海の頭を再び撫でると、語りかけるように希海の説得を続けた。
「いい? 希海。 憎悪は輪廻し、増殖するもの。
どんな悪人だろうと、その者を愛している者にとってはかけがえの無い者。 そんなかけがえの無い者を殺されたとき、殺した者に対して憎しみを抱くのは当然の事でしょう?
つまり、復讐はさらなる復讐を呼び、憎悪は消えること無く増殖して行く。
その輪廻を断ち切る為には、全ての憎悪の源を消さなければならないの。
そして、それはアナタも知っているはずよ」
希海の父は、ある家族の幸福を飲酒運転という大罪によって奪い去った。 そして、彼はその家族に復讐され、命を奪われた。
希海は父が惨殺された時、父への復讐を遂げた者に憎悪を向けた。
希海は愛する家族を惨殺した復讐者『木佐貫蒼汰』の事を思い出し、伊奈の言葉にようやく頷いた。
伊奈は悄然とした希海に向ける微笑みを崩さずに、穏やかに話しを続けた。
「もし、小百合の両親を愛している者が、両親を殺した小百合に対して憎悪を抱けば、小百合は鬼になるでしょう。
鬼となった小百合をアナタは殺すことが出来る?」
希海は伊奈の問いに俯いたまま首を振った。
「なら、彼女を鬼にさせないようにしなければならないわ。 彼女が”犯した罪”によって新たな憎悪を生み出さない為に、憎悪の輪廻を断ち切らなければならない。
ただ、耐え難い孤独、闇より深い絶望――この二つの“虚無”はワタシの力をもってしても消すことは出来ない。 ワタシは虚無を封じ込めるだけ。 再び憎悪と結びつき、厄災を生まない為にね。
――でも、アナタは違う――」
伊奈はここまで言うと、再び希海を抱きしめた。
「アナタは絶望を希望に変え、孤独に光をもたらす」
希海は自分がそんな力があるとは思っていなかった。
「わ、私が……?」
ようやく顔を上げて、伊奈の瞳に目を遣る希海。 伊奈は穏やかな笑みを称え、希海の泣き顔を見つめている。 希海はそんな伊奈を見ると何だか心に安らぎを覚えた。
「ふふふ……。 榊原、島田、細木――彼等の瞳をよく見る事よ。 アナタが来てから彼等の瞳の奥に封じ込められた虚無の影が消え去った。 “月の欠片”に恐れをなして」
希海には分からなかった。
(自分にはそんな力は無い……)
そう思ったのだが『自分が仲間達から負の感情を消滅させた』という伊奈の言葉には、素直に嬉しいと感じた。
こうして、伊奈の甲斐甲斐しい説得により、希海は小百合が“修羅”となる事を受け入れた。
「小百合が復讐を遂げたら、アナタが小百合の事を見守りなさい。 分かった?」
伊奈は希海が持つ“不思議な力”で小百合の虚無を追い払い、小百合を見守っていくよう希海に指示した。
「ハイ! 分かりました!」
希海はすっかり元気になって、伊奈に向かって笑顔を見せた。 伊奈はそんな愛らしい彼女に向って微笑みを返すと、何かを思い出すように天井を見上げた。
(……その代わり、ワタシがアナタを救ってあげる。
この世界の絶望と孤独を消し去ることができる希海。 ……でも、復讐を果たせなかった故に鬼となった悲しい子。
“あの時”と同じ……。 でも、ワタシはもう同じ過ちを犯さない。
アナタの身体からその忌まわしい“厄災の化身”を必ず消滅させる。
たとえ、アナタに“本当の姿”を見られようとも……)
――
伊奈が力を授けるとき、何人も伊奈の姿を見てはならない。 見た者は死ぬ……訳では無いが、それが伊奈の命令であったからだ。
希海は小百合の手を握りながら、伊奈の言いつけを守って瞼を固く閉じていた。
小百合が伊奈と“接吻”を交わした時、彼女はまるで生きたまま灼熱の炎の中へ投げ込まれたかのような、想像を絶する熱に晒された。 だが、そんな焼けるような暑さも彼女がこの8年もの間耐えてきた苦痛に比べれば大したものではなかった。
身体を包む凄まじい熱が消え去り、小百合の身体が急に軽くなると彼女の耳から聞き慣れない音が聞こえてきた。 微かな空気の音、傍で見守っている希海の呼吸と心臓の鼓動、そして燃えさかる炎が火柱となってうねりを上げるような恐ろしい咆吼。 小百合が目を開くとその咆吼は妖艶な姿をした伊奈の身体から聞こえてきている音であった。
先ほどまで苦悶の呻きを上げていた小百合の声が聞こえなくなり、握っていた小百合の手に力がなくなると、希海は恐る恐る目を開けた。
すると、呆然とした小百合の横顔が目に飛び込んだ。
「――うわぁぁん、小百合さん、無事で良かったよぅ!」
希海は小百合の無事を確認すると、思わず泣き出して小百合に胸に飛び込んだ。
「心配してくれてアリガト、希海ちゃん。 何だか身体の感覚が変だけど、もう大丈夫」
小百合はそう言って抱きついてきた希海の背中を優しく摩ると、微笑を浮かべている伊奈へ顔を向けた。
伊奈は「調子はどう?」と小百合と初めて言葉を交わした時と同じ言葉を掛ける。
「はい、お陰様で……」
小百合が覚えずしてあの時と同じ言葉を返すと、伊奈は『クスッ』とイタズラっぽく笑った。
「もう、どんな人間もお前には敵わない。 でも、すぐに復讐を実行せずに希海と一緒にしばらく力の使い方を学びなさい。
それと、お前の“隠し事”なんてもう分かっているから安心しなさい。 心配する必要は無いわ」
伊奈の言葉に小百合は狼狽した。 彼女はすでに小百合のヒミツを知っていたのだ。 だが、すぐに伊奈が敢えて自分のヒミツを口に出さなかった事に気付くと、彼女の心遣いに感謝した。
「有り難うございます、伊奈様。 私は……私は必ずこの手でアイツを殺す!」
拷問なんて必要ない。
嬲り殺す必要も無い。
ありったけの力を込めて、塵も残さず破壊する。
“あの男”、“あの女”、そして奴らに関係する全ての人間……。 素粒子すら残らず消滅させ、地獄にすら行かせるものか!
峻烈な憎悪の炎が小百合の身体からうねりを上げ、彼女の身体を瞬く間に包み込んだ。
「小百合お姉ちゃん……」
希海はそんな恐ろしい小百合の様子を見ると、心配そうな視線を伊奈へ向けた。
「希海、ワタシが“受け入れる”から大丈夫。 心配いらないわ」
伊奈の言葉に、希海は自分の不安を打ち消すように首を振った。 そして「ハイッ!」と大きく伊奈に返事をすると、小百合の手を掴んでニッコリと笑った。
「生きましょう! お姉ちゃん!」
――
翌日、伊奈は「病院へ行く」と言い残して屋敷を後にした。
伊奈が不在の間、希海と島田が小百合に付き添い、彼女に力の使い方を教えた。 小百合は希海よりも物覚えが良く、希海が一年かけて慣らした“卵割り”も一週間でマスターする事ができ、希海を感動させた。
そして、ついに復讐を実行する時がやって来た。
「小百合お姉ちゃん、伊奈様の言葉、覚えているでしょ?」
希海が小百合に問うと、小百合はゆっくり頷いた。
『――復讐は自分でやりなさい――』
「だから、私はお姉ちゃんのお手伝いをする事が出来ない。 でも、今のお姉ちゃんだったら、必ず復讐を遂げることができる。
そして、憎悪の連鎖を断ち切る事も……」
希海はそう言うと、悲しげな表情を小百合に見せた。 小百合はそんな希海の気持ちを良く分かっていたようで、これから大罪を犯す事を希海に謝罪した。
「謝る事なんて無い! ただ、小百合お姉ちゃんが無事でいてくれれば……」
希海はそう言うと、小百合に手を差し伸べた。
あの悍ましい獣の家から小百合を救い出してくれた小さな手。 絶望と孤独で傷付き、死を望んでいた小百合に光をくれた暖かい手。 希海の手を再び握った小百合は、もうあの時の彼女ではなかった。
「私は有加利の分まで生きてみせる!
そしてもう一度、あの子と……」
彼女は生きる為に、妹の遺言を果たす為に、父と母をこの手で殺すことを誓った。
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