『EP-00:19』-『記憶の中で流れた涙』
マリアは殴り飛ばされた。
倒れ伏して、もう動けない。
負けてしまったのだ。
何もできないからなのか、勝手に頭が過去の過ちを思い出す。
――あれは、八年前。
あの災厄が起こる前のことだ。
「ねえ、早く帰ってきてよ、今度こそ、早く!」
まだ幼かったレンは、かなり高い声をしていた。
玄関前。
小さい手で両親の服をひっぱって引き寄せようとするが、貧弱な力ではそれもかなわない。
両親は微笑ましいものを見るように頬を緩ませてはいるが、レンはかなり本気のようだった。
行ってほしくないのだ。
両親は仕事でいつも家を空けている。
寂しくないはずがない。
両親も辛いだろうが、行かない訳にもいかない。
「ああ、今度はちゃんとお土産買って帰るから」
「そうそう、いい子にしていてね」
父親と母親になだめられる。
髪の毛をぐしゃぐしゃになでられながら、今にも泣きそうだった。
「絶対だよ」
ゆっくりと手を離す。
自分がどれだけ我が儘を言っているのか分かっている。
両親は、こちらに顔を向ける。
「レンを、よろしくね」
「は、はいっ!」
家族ではないが、家族同然に扱ってくれたこの家の人達には本当に感謝している。
ご飯を食べる時も、寝る場所も、たまの休みに出かける時も一緒。
お風呂も、たまにはレンの身体をすみずみまで洗ってあげることがある。
物凄く嫌がるのだが、そこがまた可愛らしかった。
そうして、築いた絆が信頼を生んだ。
信頼されていたから、二人は安心してレンを任せて仕事ができた。
それは、果たして本当にいいことだったのか……。
「なに、あれ?」
二人で家にいたあの日。
今でも思い出す。
聴いたことがない爆音と共に、全てが失われた。
家から飛び出し、音の発信源へと急いだ。
レンと自分は呆然と現場で立ち尽くした。
「そん……な……」
視界に入らないものを含め、ありとあらゆるものが消え去っていた。
「街が……消え……てる……?」
建物が半分だけ綺麗になくなっていた。
雲も、その一帯だけ千切れていた。
地面は穴の底すら見えなかった。
その日は、両親が家に帰る日だった。
自動車でこの道をいつも通っていた。
もしかして、という疑念はどこまでもつきまとっていた。
「死んで……ないよね。父さん、母さん……」
「あ、当たり前だよ。死んでない、死んでないよ」
「……本当に?」
「うん。絶対。約束する」
そう言うしかなかった。
ほどなくして、警察が駆けつけ立ち入り禁止になった。
それから数日。
ほどぼりが冷めきらぬうちに、警察から呼び出された。
「レンくんだね。監視カメラに君の両親が写っていた。……その……まず、間違いなく亡くなられた。監視カメラも発生現象に巻き込まれたからね」
警察庁はたくさんの人でごった返していた。
比較的静かな部屋に案内されると、警察官の人から説明された。
もう、この説明をするのに慣れてしまったのか。
すまなそうにはしているが、あまり感情のこもっていない声だった。
「そんな……」
レンは横で息を潜めていた。
ショックのあまり声すらでないようだった。
「葬儀は遺体がなくてもできるよ。それに、そうしないと生命保険がおりないからね。これからのためにも、お金、必要でしょ?」
「お金って……」
そんなこと考える余裕なんてない。
でも、しっかりしないと。
レンを守っていくために何かできるのは、自分しかいないのだ。
自分のことを拾ってくれた恩人は、もうこの世にはいない。
「お子さんのお姉さんですか?」
「いえ、私は……」
「あっ、そう。血縁の方じゃないとできない手続きとかあるから……うーん、困ったな。親戚とかいないの? あ、あれ? あの子は?」
「……えっ?」
レンがどこかに行ってしまった。
少し目を離した隙にどこかに行ってしまった。
最悪だ。
死んだ両親に、レンのことを頼まれたのに。
必死になって辺りを駆け回った。
カメラマンに取材です! と言われて立ち往生しそうになった。親族を失くしたばかりの苛立つ人に、八つ当たりでなぐられそうになったりした。
だけど、それでも大声でレンの名前を呼んだ。
どこにもいなかった。
いろんな人にレンについて訊きながら走り回って、結局見つからず。
肩を落として家に帰ったら、見覚えのある靴が置いてあった。
「どうしたの? レンくん」
電気がついていない。
真っ暗な空間。
大切な人達がいなくなってしまったせいか、余計に声が響く。
両膝の間に顔を入れてうずくまっている。
寝てしまっているのかと近づくと、
「僕のせいだ」
「えっ?」
静電気でも起こしたかのように、手を放してしまう。
触れてはいけない気がした。
「いつもより父さんたちの帰宅時間が早かった。……もし僕が早く帰れって言わなかったら、父さんと母さんは死ぬことは……」
「そ、そんなことないよ! たまたま、仕事が早く終わったのかもしれない。レンくんは何も悪くなんて――」
ないよ、と言おうとしたけれど、
「嘘つき」
ようやく顔を見せてくれたのに、レンは鬼のような形相をしていた。
「――えっ?」
初めて、レンのことが怖いと思った。
人間が心底絶望すると、こんな人間らしからぬ表情をすることを知った。
「約束したよね。父さんと母さんは無事だって。絶対だって。……死んでないって」
「そ、れ、は……」
「嘘つき、嘘つき、嘘つき!!」
「ごめん、ごめんねっ!!」
どうすれば、どうすればいい。
どうすれば、これ以上レンのことを傷つけなくて済む。
分からない。
自分には何もできない。
両親の穴を埋められるほど、自分はレンにとって大切な存在ではないのだ。
「どうして、そんな冷静なんだよ! ……そうか、本当の家族じゃないからか。だからそんな冷静でいられるんだ! 悲しくなんてないんだ!」
「そんなこと――」
傍にあった皿を投げられる。
「出ていけ! 家族じゃない奴なんて視界から消えちゃえっ!!」
額に当たった皿は割れる。
割れて、額から血が出る。
「――っ」
痛い。
心が、痛い。
「あっ、血が……」
はっ、と流血を見て我に返ったようだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。うううううううううううううっ!」
泣くのを我慢するように歯噛みする。
両手を床について、ポタポタと何度も後悔の涙を流す。
「大丈夫だよ。痛くないから。レンくんの痛みに比べたら――全然」
レンのことを抱きしめてあげたい。
だけど、そんなことすらできない。
肩に手を当てることぐらいしか、自分にはできなかった。
「なかったことにしたい、全部。僕が言って、マリアのことを傷つけたことも。それに、父さんと母さんが死んだことも……。全ての過去を消し去りたい。記憶なんてなくしたい」
「……レンくん」
「死にたいっ……もう、死にたいよっ……」
苦しんでいる。
今のレンにはあまりにも辛い経験で。
このままだと自殺すらしてしまうんじゃかってぐらい、精神が摩耗している。
だけど、解決策ならある。
「……大丈夫。忘れられるよ、なにもかも」
床をぶち抜いた樹の根を、レンの首筋の神経へと侵入させる。
「――がっ」
中枢神経を支配して、脳の中にある記憶を好きなように弄繰り回す。
「ああああああああああああ!」
悲鳴を上げるレンだが、もう大丈夫だ。
もう、悲しむ必要などない。
両親の記憶をできるだけ削除してあげる。
そうすれば、レンが望む通りの真っ白な人生が待っている。
だけど、
「こ、れ、は、な、み、だ……?」
どうしてなんだろう。
どうして、瞳から涙がこみ上げてくるんだろう。
これでレンは幸せになるはずなのに。
それなのに、どうしてこんなに辛いんだろう。
きっと、レンの記憶を改竄することへの罪悪感があるから。
それもある。
だけど、もうレンには偽者の笑顔しか見せることはできないだろう。
本心で笑うことは許されない。
自分は一生レンのことを騙しながら生き続けなければならない。
それが、辛いのだ……。
「その涙、僕の力でいつか止めるから。絶対止め――」
何かを言っているが、そんな気持ちは簡単に風化してしまう。
レンは気絶したのか、完全に沈黙してしまった。
人間の記憶をいじるのはかなりデリケートで難しいから、寝ていて欲しかった。
記憶喪失に陥った人間が、少しのきっかけで過去の出来事を思い出すように、もしかしたらレンが記憶を思い出してしまうかもしれない。
だったら、記憶の改竄よりも、もっといいもの。
例えば、過去の改竄ができるような『特異魔法』を見つけることができれば、それに縋ることにしよう。
それから。
もしも。
記憶が蘇ることはないにしても。
もしも、自分の悪事が公のものになったとしたら、言い訳は絶対しないようにしよう。
自分の気持ちは全部封じ、そして演技しきろう。
私利私欲のためにお前を利用しているだけなんだと。
そうすれば、きっとレンは自分のことを憎んでくれるだろう。
納得してくれるだろう。
両親を亡くした時に感じた辛い過去を、鮮明に思い出すことはない。
怒りで、悲しみを塗りつぶして欲しい。
「…………誰?」
記憶の改竄が済んだ。
衝撃を受けたような顔をしてはいけない。
冗談っぽく言わなければ。
「あなたのお姉さんよ。忘れた?」
例え、偽りの絆だとしても。
レンの傍にずっといつづけることができて。
それでいて、守ることができるような関係性。
それが、自分の出した偽者の家族。
どんなに滑稽でも。
それでも――嘘を重ねつづけよう。
ただ、レンがまた涙を流さないように。




