↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
27/27

第23話 超越したモノ 挿絵有り

「待たせたのう」


 自分の口から、声が出た。


 アレクは右手を見ていた。

 握り締めていた指が、一本ずつ開いていく。爪の食い込んだ掌へ、風が触れた。


 息が、ゆっくり吐き出された。


 胸の奥には、まだ魔力があった。

 先ほどまで何度も縺れた流れが、今は細く揃い、腕へ、足へと分かれていく。


 右手が上がった。


 車の横へ飛び出してきた魔物が、こちらへ跳んだところだった。


 指が鳴る。


「爆ぜろ」


 短い音がした。


 灰色の頭が横へ折れ、体が地面へ落ちた。土へ転がるより先に、小さな陣がその下へ入り、道の外へ押し流した。


 その時には、もう足が地面を離れていた。


     *


 跳んだのではなかった。


 膝は伸びたままだった。

 靴底を支えていた土の感触が消え、草が遠ざかっていく。


 飛翔の陣。


 浮かせるだけなら、アレクにもできる。

 だが、自分の体を運びながら、姿勢を保ち、向きを変え、止まる。その間に別の術まで使うとなれば、話は違った。


 足をつく場所がない。

 傾いた体を戻すにも、踏ん張る代わりの力を、その都度作らなければならない。


 それを、マーカスは何でもないことのようにやっていた。


「アレク!」


 レイラの声がした。


 顔が、そちらを向いた。

 車の扉を押さえたまま、こちらを見上げている。その奥に、ケスラーの靴が見えた。


『爺さん、ケスラーを』


『分かっとる』


 左手の指が動いた。


 ローブの内側から、銀の球が浮き上がる。

 表面へ細かな光が走り、その周囲に幾つもの小さな陣が生まれた。


 ポケットには、白いネズミの重みが残っていた。


「傷を押さえたままにしておけ。棘は動かすな」


 小さな光が、車へ流れていった。


 レイラが車内を振り返る。

 アレクには、その奥へ伸びていく魔力が分かった。浮き上がる体を支えているものとは、別の流れだった。


 車の上へ、薄い防御が張られた。

 さらに別の陣が、兵たちの横へ開く。


 その間も、体は静かに上がっていた。


「……血が、止まった!」


 レイラの声が届いた。


 アレクは、もう一度そちらを見たかった。

 けれど、顔は上がっていった。


     *


 車が、小さくなっていく。


 石垣の向こうも、林の切れ目も、一度に見えた。


 灰色の背中が動いていた。


 道へ出ていたものだけではなかった。


 窪地が、群れで埋まっている。

 石垣に沿って走る列は、その端へ届く前に二手へ分かれていた。片方は兵たちの背後へ、もう片方は車の退路へ回り込もうとしている。


 百では、利かない。


 二百か。

 三百か。


 見渡す間にも、木々の間から次々に出てきた。倒れた仲間を踏み越え、先を行くものの背へ乗り上げながら、こちらへ向かってくる。


 その手前に、車があった。


 銃を構えた兵たちが、ひどく少なく見えた。

 一人が撃つ。その間に、別の兵が弾を込める。


 一匹が倒れても、群れの先頭は近づいていた。


 あの車の中に、ケスラーがいる。


「数が多いのう」


 自分の口が言った。


 声は、静かなままだった。


「一気にいこうかの」


     *


 右の指先へ、陣がともった。


 銅貨ほどの、小さな円だった。


 隣に、同じ陣が生まれる。

 二つが、四つに。

 四つが、八つになった。


 大きくはならなかった。


 同じ大きさの円が、その外へ、その隣へと増えていく。


 十六。

 三十二。

 六十四。


 さらに、その倍。

 その先は、アレクにも数えきれなかった。


 肩の横へ。

 頭の上へ。

 視界の端へも、光が広がった。


 一枚一枚が、違う方を向いていた。


 石垣を越えたものへ。

 車へ走るものへ。

 林の陰から腹を低くして出てきたものへ。


 それぞれの中心に、小さな光の粒がともった。


「貫け」


 白い線が、一斉に地上へ走った。


 しゅ、と音が重なった。


 灰色の皮へ光が触れたところから、白い蒸気が細く噴いた。

 跳び上がったものは空中で力を失い、走っていたものは、その勢いのまま土を滑った。


 石垣の向こうで、幾つもの背中が崩れた。

 窪地を埋めていた群れが、一度に沈んだ。


 車のすぐ前にいた一匹も、兵へ爪を掛ける寸前で倒れた。


 銃を構えていた男が、引き金から指を離した。


 その横で、弾を込めかけた兵の手が止まっている。


 アレクは、息を呑もうとした。


 胸は、ゆっくり動いていた。


挿絵(By みてみん)


     *


 道から、動くものが消えていた。


 陣の一つが傾いた。

 その向こうには、魔物の体を縫って走る兵がいた。


 倒れた仲間へ肩を貸し、車の方へ連れていく。


 光は、その頭上を越えていた。


『……すげえな、爺さん』


『まだ来るぞ』


 林の縁が揺れた。


 次の群れだった。


 先頭が、倒れた魔物の背へ前脚を掛けた。


 空中に残っていた陣が、向きを変えた。


 白い線が一本、走る。


 魔物が崩れた。

 その横へ出たものにも、もう別の光が向いていた。


 兵が銃を上げ直した。

 狙いを定める前に、相手が倒れた。


 クラウスの杖が動く。

 保っていた陣へ魔力が集まるのが見えた。


 その術が放たれる前に、林から出た三匹が地面へ伏せた。


 魔術士は杖を止め、後ろを振り返った。


「負傷者を先に! 乗れる者から、乗ってください!」


 ヴァルターの声がした。


 兵たちが動いた。


 その背後へ回ろうとしていた一匹が、草の上へ倒れた。


     *


 クラウスも、一度作った陣を保ち、そこから続けて術を放っていた。


 今、目の前で起きていることも、それと同じはずだった。


 だが、幾つある。


 一つの陣を目で追う間に、隣の陣は次の標的へ向いていた。

 右へ流れた光を見れば、左でも魔物が倒れている。


 体が、横へ滑った。


 木々に隠れていた空き地が見えた。

 そこを走る三匹へ、三つの円が傾く。


 終わった。


 地面へ足をつけて、狙い直すところさえなかった。


 アレクは、自分の中を流れる魔力へ意識を向けた。


 足元には飛翔の陣。

 車の上には防御。

 ケスラーの傷へも、細い流れが続いている。


 それらを保ったまま、目の前の陣が一枚ずつ標的を変えていた。


 魔力は、まだある。


 同じ体だった。

 同じ魔力を使っていた。


 先ほどまで、自分は何をしていたのだろう。


 車の方で、レイラがこちらを見上げた。

 その姿を見て、アレクは思い出した。


 帰れる。


 これなら、ケスラーを連れて帰れる。


     *


 林の奥で、また枝が揺れた。


 三度目だった。


 今度は、先頭が真っすぐ走ってこなかった。


 倒れた仲間の手前で散り、低い草の間へ伏せていく。その後ろから、一つだけ、立った姿が出てきた。


 人に見えた。


 細い腕が、膝の近くまで垂れている。

 歩くたび、黒い靄が肩からほどけ、首へ、頬へと這い上がった。


 兄の体に絡みついていた黒を、思い出した。


 周囲の魔物は、その足を避けていた。


 小さな陣が、そちらへ向いた。


 光が走る。


 細い肩へ穴が開いた。


 人影が、少しだけ傾いた。

 倒れなかった。


 穴の縁から黒いものが伸び、向こうの見えていた隙間を塞いでいく。


 銀球が、肩の前へ回った。


 周囲で、白い線が幾筋も走った。

 草へ伏せていた魔物が、一匹ずつ動かなくなった。


 細い人影だけが、そこに残った。


 アレクの体が、静かに下りていった。


     *


 黒い靄の向こうで、顔が上がった。


「……誰ダ、お前」


 その目が、こちらの顔を見た。


 首へ。

 胸へ。

 腕へと、視線が動く。


 右手の指先で止まった。


「そウか。我ラと同じく、超越したか。……いい体を手に入れたナ」


 アレクには、何を言われているのか分からなかった。


 魔族は、口元を歪めた。


「俺にモ貸せ」


 右手の指が、一度止まった。


 誰に言っている。


 自分の体だった。

 こちらの顔を見ているのに、その言葉は、アレクへ向けられていなかった。


 銀球が、目の前をゆっくり横切った。


『……爺さん?』


 返事はなかった。


 掌へ、爪が食い込んだ。


 自分が、握ったのではなかった。


     *


「……ドうした。独り占めする気か」


 魔族の首が傾いた。


 その肩から、黒い靄が細く伸びた。

 指先へ集まり、地面すれすれを走る。


 車へ向かっていた。


 アレクは、手を伸ばそうとした。


 その前に、黒い筋が折れた。


 車を囲む防御へ触れるよりも手前で、何かに切られ、草の上へほどけていく。


 魔族が、そちらを見た。


「まダ、それを運ぶのか」


 開いた扉の奥へ、顔が向いた。


 右手が、ゆっくり開いた。


「触るな」


 低い声がした。


     *


 魔族の足元で、土が割れた。


 細い体が、上へ逃れた。

 黒い靄を引きながら、空中へ浮き上がる。


 アレクの体も動いた。


 地面が遠ざかった。

 さっきまで下から見上げていた顔が、今は目の下にあった。


 魔族が腕を振った。


 黒が、幾筋にも分かれて伸びた。


 銀球が肩の後ろへ回る。

 触れる寸前で黒い筋が裂け、左右へ吹き流された。


 ローブの裾が、わずかに揺れた。


 右手の指が鳴った。


 魔族の頭が消えた。


 短い音だった。


 首の上で黒がほどけ、肩が割れた。

 片腕が崩れ、胴も、人の形を失っていく。


 けれど、地面へは落ちなかった。


 黒い靄が、三つに分かれた。


 一つは林へ。

 一つは、黒い壁へ。


 残る一つが、道の方へ流れた。


 銀球が、肩の横を離れた。


     *


 靄の行く先へ、光がともった。


 小さな陣だった。


 触れる前に、黒が折り返す。

 その先にも円があった。


 逃れようとした細い筋が、空中で引き延ばされた。


 林へ入ったものが、枝の間から剥がれる。

 壁へ向かっていたものも、途中で止まった。


 右手が、何かを手繰るように動いた。


 三方へ散った黒が、掌の前へ集まってきた。


 その向こうで、二匹の魔物が林へ走っていた。


 こちらへは来ていなかった。


 宙に残っていた陣が、二つ傾いた。


 二匹が倒れた。


 右手は、黒い靄を捕らえたままだった。


     *


 人の頭ほどに集められた黒が、激しく波打っていた。


 伸びる。

 陣へ触れる。

 押し戻される。


 どこへも行けない。


 右の指が、少し曲がった。


 黒い塊が縮んだ。


 声のようなものがした。

 耳の奥へ、細い針を差し込まれるようだった。


 銀球が動いた。


 音が途切れる。


 黒の内側へ、光が入った。

 細い線が幾つにも分かれ、その一本一本へ、さらに小さな陣がともった。


 何をしているのか、アレクには分からなかった。


 黒が薄くなる。

 向こうの地面が、透けて見えた。


 それでも、指は止まらなかった。


『爺さん』


 返事はなかった。


 銃声は、もう止んでいた。


 車の扉が開いている。

 レイラが、こちらを見上げていた。


『もう、戻れるだろ』


 掌の前が、一度だけ強く光った。


 黒い塊が消えた。


     *


 陣だけが残った。


 何もない空中を囲んでいた。

 その内側へ、さらに光が走る。


 アレクは、右手を下ろそうとした。


 動かなかった。


 ここへ戻ってから、二度目だった。

 マーカスに体を使ってもらうのは。


 頼んだのは、自分だ。

 助けてくれと、言った。


 ケスラーの血が止まったのも、兵たちが車へ戻れたのも、マーカスのおかげだった。


 分かっている。


 けれど、今、何をしているのか分からない。

 呼んでも、返事がない。


『爺さん。もういい』


 指が、わずかに動いた。


『……体、返してくれ』


 止まった。


 風に揺れるローブの裾だけが、動いていた。


『……アレク?』


 聞き慣れた声だった。


 その声が、ようやくこちらへ向いた。


     *


 右手が下りた。


 陣が、一枚ずつ消えていく。

 銀球が、肩の横へ戻った。


 体が、車へ向かった。


 低く、地面のすぐ上を滑っていく。

 走る兵の横を越え、開いた扉の前で止まった。


 靴底へ、土の感触が戻った。


 右手が、扉の縁へ掛かった。


『治癒の陣は、残しておく』


 マーカスが言った。


『そこへ魔力を絶やすでないぞ』


『……ああ』


『返すぞ』


 胸へ、息が引っかかった。


 膝が揺れた。


 アレクは扉を掴み直した。

 指が、縁へ食い込んだ。


 今度は、自分で握った。


 肩の横から銀球が下りてくる。

 左腕で受け、胸へ寄せた。


「アレク」


 レイラが腕を支えた。


「座って。そこ、空けてもらうから」


 車内の兵が膝を引き、場所を作ってくれた。

 もう一人が外から背へ手を添える。


 アレクは、その手を借りて車へ上がった。


     *


 ケスラーは、倒した座席へ寝かされていた。


 革の胴着が開かれ、傷の周りへ布が当てられている。

 赤く染まっていたが、それ以上は広がっていなかった。


 布の上に、小さな陣が浮いていた。


 アレクは、そこへ魔力を繋いだ。


 男の胸が、浅く動いている。

 唇には、ほとんど色がなかった。


「ケスラー」


 呼んだ。


 瞼は、動かなかった。


 毛布から出ていた手へ触れた。

 太い指が、アレクの掌へ重く載った。


 さっきは、この手で槌を握っていた。

 こちらの前へ立ち、任せろと笑っていた。


『爺さん』


 ポケットの中で、布が動いた。


『……何じゃ』


『助かるか』


 少し、間があった。


『まだ、血が足りん』


 白い鼻先は、出てこなかった。


『傷の奥にも裂けたところが残っとる。棘は、そのまま支えておけ。ここで抜けば、また血が出る』


『治せねえのか』


『まずは船へ戻れ。揺れる車の中で、奥まで触るでない』


 アレクは、傷へ目を落とした。


 陣の下で、魔力が細く巡っていた。

 深く押し込もうとすると、行き先を失いそうになる。


『右へ寄っとる。少し、戻せ』


 言われたとおりにした。


 流れが、繋がった。


     *


「出せますか」


 ヴァルターが扉の外から尋ねた。


 レイラが、アレクを見た。


「……血は、止まってます。でも、まだ」


 続きが出てこなかった。


 ヴァルターはケスラーの顔を確かめた。


「船へ戻します。術の維持を、お願いできますか」


 アレクは頷いた。


「分かりました」


 男は外へ向き直り、運転席へ声を掛けた。

 車の後ろでも、兵たちの声がした。


 レイラが棘の周囲へ布を足した。

 抜こうとはしなかった。揺れないように、両側から支えている。


 扉が閉まった。


 車体が、一度震えた。

 ゆっくりと、車輪が回り始める。


 ケスラーの指が、掌の中で揺れた。


 握り返されたのかと思った。


 違った。


 アレクは、その手を握り直した。


     *


 窓の外を、灰色の体が流れていった。


 道へ。

 石垣の下へ。

 林の縁へも、幾つも倒れていた。


 さっきまで、あれだけいた。


 全部、止めてくれた。


 アレクは、膝へ置いた銀球を見た。

 もう光っていなかった。


 窓から差す光が、銀の表面を滑った。

 その一角だけ、薄く曇っていた。


 前に磨いた時には、消えたはずだった。


挿絵(By みてみん)


『爺さん』


『魔力を緩めるでないぞ』


『……分かってる』


 ポケットの奥から、いつもの声がした。


 何度も叱られた声だった。

 分からないことがあれば、すぐに聞けた。


 あの魔族が、何を言っていたのかも。

 どうして、返事をしてくれなかったのかも。


 口を開きかけて、ケスラーへ目を戻した。


 傷を囲む光が、一度揺れた。


『そこじゃ。その流れを保て』


 アレクは、指先へ意識を集め直した。


 陣が、静まった。


 ケスラーの胸が動いた。


 その次を待ちながら、アレクはマーカスの言葉に従った。


 聞きたいことは、聞けないままだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。