第十七話 お兄ちゃんの席
「ひらり、お待たせ!」
母親が満面の笑顔で、大きな皿を両手に持って戻ってきた。
(あら?……さっき、不機嫌そうに見えたのは気のせいだったかしら……?)
――わあ……!
たくさんのご馳走が並んだ、華やかなテーブルに、私は嬉しくなった。
ここのところ、ひらりくんの食生活を心配していたから、今日はたくさん栄養を取って欲しい。
テーブルの上に並んだのは、ロールキャベツにからあげ、オムライス、ポテトサラダ。
どれも子供が好きそうなものばかりだった。
「いっぱい食べてね」
「……うん」
ひらりくんは箸を手に取った。
「いただきます」
「はい、召し上がれ」
母親は嬉しそうに笑って、向かいの椅子に腰を下ろした。
ひらりくんが、ロールキャベツを一口食べる。
「どう?」
「……おいしい」
「よかった!」
母親は満足そうに頷いた。
けれど、その視線はひらりくんではなく――。
その隣の、誰も座っていない椅子へ向いていた。
『……ひらりくん?』
(なに?)
『あの椅子……』
(……うん)
『誰が、いつもは座ってるの?』
ひらりくんは、しばらく黙っていた。
(……兄ちゃん)
『え?』
(兄ちゃんが、いつもそこに……)
ひらりくんは、何でもないことのように答えた。
(母さん、兄ちゃんが好きだったものばっか作るんだ)
『……そうなの?』
「うん」
ひらりくんはロールキャベツを箸で切った。
(俺、ロールキャベツ……そんな好きじゃない)
『……え?』
(兄ちゃんが好きだったから)
その言葉に、私は何も返せなかった。
母親は楽しそうに話している。
「ねえ、ひらり。昔はお兄ちゃんとよく取り合いしたわよね」
「……そうだっけ?」
「したじゃない。お兄ちゃんが三つ食べるから、ひらりが泣いて」
「……覚えてない」
「ふふ。ひらりは昔から食が細かったものね」
母親は笑っている。
ひらりくんも笑っている。
けれど――。
私は、なんだか胸の奥がざわついた。
母親が話しているのは、ひらりくんの思い出のはずなのに。
そこにいるのは、ひらりくんではないような気がしたからだ。
『ひらりくん』
(なに?)
『……お兄ちゃんって、どんな人なの?』
ひらりくんの箸が止まった。
(……優しかったよ)
『そう』
(頭もよかったし、運動もできた)
『……ひらりくんだって、頭いいし、運動もできるじゃない』
(……そうかな)
ひらりくんは少しだけ笑った。
『そうよ』
(兄ちゃんのほうが、すごかったよ)
『……』
(俺じゃ、比べ物にならない)
それ以上は、答えなかった。
母親が、ひらりくんの空いた皿に、ロールキャベツをもう一つ置く。
「ほら、ひらり。お兄ちゃんみたいに、いっぱい食べなさい」
その瞬間、ひらりくんの顔から、笑顔が消えた。
「……俺は、兄ちゃんじゃないよ」
小さな声だった。
母親には聞こえなかったのかもしれない。
けれど、私にははっきり聞こえた。
ひらりくんの、心の叫びのような声だった。
「えっ?なあに?」
「……ううん。何でもない」
ひらりくんは顔を歪めて、小さく笑った。
大きな口でパクパクと食べていく。まるで皿の上の料理を、一刻も早く片付けようとしているみたいに。




