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首を打ち落とされる直前だというのに、私の頭の中を占めていたのは死への恐怖でもなければ、かつての婚約者に対する憎しみでもなかった。
ただひたすらに、目の前の断罪装置のメンテナンス不足に対する激しい憤りだった。
「罪深き悪女ルキッラ・ヴァレリウス! 貴様は聖なる乙女フラヴィアを虐げ、その尊き血を流させようとした! さらには王家の財産を私曲し、国家の秩序を乱した罪、万死に値する! 本日この場において、神聖なる断罪の刃によりその首を跳ね、罪を償うがよい!」
処刑台の上で、王太子アウレリウス・クラウディウスがこれ以上ないほど朗々と声を張り上げている。金髪を風になびかせ、見栄えだけは一人前の顔で、胸を張ってポーズを決めている。その傍らには、可憐な白いドレスを身に纏い、うっとりとした瞳でアウレリウスを見上げる男爵令嬢フラヴィア・フェリシタスが寄り添っていた。彼女は私と目が合うと、ふっと口元に邪悪な嘲笑を浮かべ、すぐに「まあ、恐ろしい……アウレリウス様、私、怖いですわ」と、これよがしに彼の胸に飛び込んで見せた。
観衆からは小さなどよめきが起こり、王太子の側近である騎士長カシウスが「控えよ悪女! 王太子殿下の御前であるぞ!」と、頼まれもしないのに抜刀して私を威嚇してくる。
……いや、静かにしてほしい。
私の頭の中では、今まさに恐ろしい勢いでソロバンの玉が弾かれていた。
まず第一に、私はフラヴィアなど虐げていない。彼女が自ら階段から転げ落ちて「ルキッラ様に押されました!」と叫んだ時、私は三日三晩不眠不休で王家の台帳と格闘しており、彼女からは二キロメートルほど離れた地下執務室にいた。物理的に不可能である。
第二に、王家の財政を私曲したなどという言いがかりは断じて受け入れられない。私が私曲したのではない。この馬鹿な王太子と無能な側近たちが無制限に使い込んだ分を、私が死に物狂いで補填していたのだ。
そして何より、第三の点だ。
私は木製の断罪台に拘束され、木枠の穴から首を突き出した状態で、じっと上を見上げていた。
私の首の上に鎮座しているのは、巨大な斜め刃のギロチンである。しかし、どうだろう。
刃は赤錆でドロドロに覆われ、刃先はところどころ欠けて鋸のようになっている。滑車に取り付けられたロープは摩耗して細くなり、今にもちぎれそうだ。全体の木枠は湿気で歪み、支柱の根元には白アリが湧いているのがここからでもはっきりと見える。
「……あの、アウレリウス殿下」
私は拘束されたまま、できる限り平静を保って声をかけた。
「何だルキッラ! 今さら命乞いか? 潔く罪を認め、フラヴィアに謝罪するならば、一撃で楽に死ねるよう執行人に命じてやってもいいぞ!」
アウレリウスは勝ち誇った顔で胸を張る。しかし、私の指摘したいポイントはそこではない。
「そうではありません。この処刑装置ですが……最後にオイルを注したのはいつですか? 見る限り、滑車の軸受が焼き付いていますし、ガイドレールに恐ろしいほどの摩擦抵抗が生じています。この状態で刃を落とせば、重力加速度による運動エネルギーが途中で相殺され、私の首の骨で刃が停止します。つまり、一撃で首が繋がったまま激痛を味わうことになります。これは処刑ではなく、単なる不完全な解体作業です」
「な、なにをわけのわからん屁理屈を……!」
「さらに言わせていただければ」と、私は言葉を重ねた。
「この断罪台、木材の腐食度合いから推測して、減価償却期間を遥かに超えて放置されていますね。本来であれば三年前の会計年度で廃棄処分および新規設備の導入予算を計上すべきでした。なぜ更新されなかったのか、私にはよく分かります。なぜなら、私が財務補佐官として『処刑台の修繕費十万銀貨』の申請書を提出した際、『そんな地味なものに金をかけるくらいなら、フラヴィアのための夜会に回せ』と却下されたからです。覚えておいでですか?」
「うっ……! そ、それは……!」
アウレリウスが言葉に詰まり、一瞬顔を引きつらせた。
そうなのだ。この国――アルビオン王国の財政は、完全に崩壊している。
私がこの馬鹿王太子の婚約者として王宮に入り、最初に目にしたのは、美しく着飾った貴族たちと、絢爛豪華な王宮の裏に隠された、山のような借金証文の山だった。
先代国王の放蕩、アウレリウスの無駄遣い、そして最近仲間入りした男爵令嬢フラヴィアの「おねだり」による無計画な支出。それらが重なり、国家の金庫は数年前から空っぽであった。
私が実家であるヴァレリウス伯爵家の優秀な会計監査チームを引き連れ、毎日睡眠時間を二時間に削って繰り広げた「奇跡の台帳改ざん(合法範囲内)」と「徹底的な歳出削減」によって、なんとか国家の破綻を免れていたのだ。
私が出した「貴族への課税強化」「王室費の五十パーセント削減」「無駄な式典の廃止」という提案書に対し、アウレリウスたちは「我ら高貴なる貴族の尊厳を傷つける不敬」「ケチで夢のない女」「愛の分からぬ冷血な会計計算機」と激怒し、私を遠ざけるようになった。
そして最終的に、彼が連れてきた甘やかし上手なフラヴィアに鼻の下を伸ばし、私を邪魔者扱いしてこの大罪人仕立てあげの断罪劇を演出したわけである。
「だ、黙れ黙れ! 減価償却だの予算だの、処刑の場に関係のない戯言を吐くのではない! 執行人よ、構わん! こいつの首を落とせ! 聖なる裁きを下すのだ!」
アウレリウスが顔を真っ赤にして叫ぶ。
実行台の脇に立つ巨漢の執行人は、困惑したように私とアウレリウスを交互に見見た後、意を決したようにロープを解いた。
さあ、どうなることか。私は冷ややかな目で上を見上げる。
ガラガラガラ……キーーーーッ!
不快な金属擦過音が広場全体に響き渡った。
重い鉄の刃が下降を始める。しかし、予想通りだった。
錆びついたガイドレールと曲がった支柱に引っかかり、刃はガタガタと激しく振動しながら、亀のような速度で落ちてくる。
そして、私の首の上、およそ三十センチメートルほどの高さのところで――
ガツン!
「……」
刃は不吉な音を立てて完全に停止した。
静寂が広場を包み込む。
処刑台を囲んでいた大勢の市民たちも、一斉にポカンと口を開けてその光景を見つめていた。
「……止まりましたね」
私は首を固定されたまま、眼下のアウレリウスに言った。
「な、なぜだ!? なぜ首が飛んでいない!? 執行人、何をしている、早く刃を落とせ!」
「で、殿下……! レバーは完全に外れております! 刃が、刃が途中で引っかかって落ちてこないのです!」
汗だくになった執行人が、必死になって木枠を蹴っ飛ばしたり、上から棒で刃を突いたりしている。しかし、歪んだ木枠と一体化した錆びた刃は、ぴくりとも動かない。
「だから申し上げたでしょう」
私は溜息をついた。首が固定されているので、鼻から息を吐き出すしかないのが非常にもどかしい。
「機械装置というものは、日頃の点検と適切な予算配分が不可欠なのです。オイルを一瓶差し、刃を研いでおくだけで防げたトラブルですよ。予算にしてわずか五千銀貨。それを惜しんだ結果が、この国家的な失態です。見てご覧なさい、民衆の冷ややかな目を」
広場を埋め尽くす市民たちの顔を見渡せば、彼らも呆れ返っていた。
「おい、王家の処刑台、壊れてるぞ」「いくらなんでも準備不足すぎないか?」「っていうか、あのルキッラ様が言ってること、正しくね?」「うちの村の農機具でももうちょっとマシだぞ」といった囁き声が、じわじわと広場を包み込んでいく。
「くっ……カシウス! お前の剣でそいつの首を斬り落とせ!」
アウレリウスがなりふり構わず、騎士長カシウスに命令した。
カシウスは「ハッ!」と頷き、立派な意匠が施された長剣を抜き放ち、私に向かって踏み込んできた。そして、大上段に剣を振り上げ、私の首を目掛けて振り下ろす!




