4話 バンパー交換、五万円
キャンバス内の駐車場にルーミーを停めようとした時だった。
その日は駐車場が満車で、バックで切り返すスペースがないほどだった。仕方なく前から入れたら……。
ガリッ、パキ。
「………」
嫌な音が聞こえてきた。
慌ててフロントバンパーを確認しに行くと、左側に擦れた跡があった。そして車止めに薄く黒い塗料が付いていた。
「や、やっちゃった……!」
その日はずっと気分が下がりっぱなしだった。
「おやおや、元気がないみたいだね」
食堂内で無言で昼食を食べていると、目の前に巡先輩が座った。無視して食べ続けていると、また先輩が話しかけてきた。
「擦ってしまったんだろう?」
「えっ!?」
なぜ、先輩がそのことを!?
「聞こえたんだ。石と樹脂がこすれ合う音をね。そして車からかなで君が慌てて降りてきた」
「見てたんですか……」
「ボクが自分から見たんじゃない、自然と見えてしまったんだよ」
そう言って先輩は食器を戻しに行った。ただそれだけのために、私の前に座ったんですか……。
午後の講義は出なかった。その代わり、私はディーラーへ向かった。
もちろん、フロントバンパーの様子を見てもらうためだ。
「あ~、インナーフェンダーがパキっと折れてますね。ボルトも歪んで……」
状態を確認した整備士さんにそう言われた。
「直りそうですか?」
「ええ、元の状態に直せます。ただ、一日くらいお預かりしたいです。代車、手配しますか?」
「お願いします」
「分かりました。見積書も持ってきますので少々お待ちください」
リンゴジュースを片手に席でE353系の画像を眺めていると、先ほどの整備士さんが戻ってきた。
「こちら見積書です。工賃含めてだいたい97,000円です」
「………」
ルーミーのフロントバンパー自体は五万円もしていなかったので思ったよりも安かった。ただ、センサーの調整やら、インナーフェンダーやら、工賃が積み重なってこの値段になっていた。塵も積もれば山となる……。
「それで、翫さん。実はルーミー購入時にこんなものに加入されてまして……」
整備士さんから一枚の紙を手渡された。
「あんしん小損害補償……?」
「これで五万円分安くなります。ただ、自己負担で5,500円は支払ってもらうんですが……」
「適用で!」
「分かりました。記入が必要な紙持ってきますね」
こ、これでフロントバンパー分は浮いた……! 過去の私、ナイス!
整備士さんが持ってきた書類に免許証の情報や車体番号を書き込んでいった。ちょっと面倒だったけど、これもルーミーを直すためだ。
「こちらが代車です」
と、駐車場には青いカローラスポーツが停められていた。どこか既視感を感じた。デジャヴ……?
「明日、終わり次第連絡しますね」
「分かりました」
というわけで、カローラスポーツは私の一日だけの相棒となった。
「おや、あのルーミーは手放したのかな?」
「違いますよ。代車です」
博物館に戻ると、巡先輩がFK2のエンジンルームを覗き込んでいた。その手にはオイルレベルゲージが握られていた。
「修理真っ最中ということだね。良かったじゃないか、枠があって」
日によっては予約で整備枠がいっぱいな時がある。今日は運が良かったんだ。
「ところで、先輩は何を……?」
「ちょっと遠出しようと思ってね」
FK2のルーフには二冊のノートが置かれていた。表題欄には『683系』と『521系』の文字が書かれていた。
「まさか、石川県に行くんですか!? 片道四時間ですよ!!」
「ボクはそれだけの価値があると思っているんだ。だから行くのさ」
「でもでも、FK2の足回りじゃ長時間の運転は……」
「FK2には『アダプティブ・ダンパー・システム』があるから心配する必要はないよ」
先代のFD2よりは良くなっているだろうけど……本当に大丈夫かな。
「じゃあちょっと行ってくるよ」
そう言って、先輩は駐車場から去っていった。
「おいパイ食わねえか巡……あれ?」
「今ちょうど出発しちゃいました」
博物館から焼きたてのパイを持った怜太さんが出てきた。その頃にはFK2のエンジンサウンドは小さくなっていた。
キャァァッ……!
小さくタイヤの悲鳴が聞こえたけど、あの人はどんな走り方をしてるんだ……。
「んだよ、味見してもらおうと思ってたのに」
「あの、私でよかったら……」
「お、じゃあ頼む」
私はパイを口に入れた。生地がサクサクしていて、中から果物の味がした。この甘さは……。
「中にリンゴでも入れました?」
「そう、『アップルパイ』だ!」
この人絶対モテる。菓子が作れる男は誰だって欲しがる。
「ただ、ちょっと作りすぎてなぁ……誰か食べてくれそうな人知らねえか?」
「あ~……一人だけいます」
華乃子なら食べてくれそう。この美味しさだからティーパーティーになりそうではある。
「じゃあ明日にでも渡してくれ。今日はもう遅いし」
時計の針は午後四時を示していた。あと一時間もすればこの辺りは暗くなる。そんな中、あのクネクネした道を走るのは危険すぎる。
「……ん? 巡は結局どこに向かったんだ?」
「石川県みたいです」
「アイツ夜通しで走り続けるつもりかよぉ!!」
怜太さんは絶叫した。『危なすぎる』とか『バカヤロー!』とか連呼していた。
この時だけ、私は『山の中で良かったな』と思った。森が叫び声を吸収してくれるし……。
あ、『吸収』で思い出した。N700Sのノートがどこかにあったはず。




