04.誰もその女を疑わない
翌日、可馨の元に宦官が訪ねて来た。
ベッドで眠っていた梓豪を呼び戻しにきたのだろう。
「充媛様」
宦官は頭を下げる。
「調査は済んでおります。後宮の噂に惑わされないようにしてください」
宦官の言葉に可馨は首を傾げた。
……調査されていたのね。
形だけのものだろう。
皇帝である梓豪の意思が最優先だ。妃賓の言葉など無意味でしかない。このままでは、気が狂った妃賓として庶民に落とされるのも、時間の問題だろう。そうすれば、可馨の位が上がる可能性が出てくる。
早めに判断をしてほしいところだった。
可馨は女性の権力者になりたいのだ。そのためには、皇太后にならなければいけなかった。
「後宮の噂とはなんでしょうか……?」
可馨は不安そうに問いかけた。
可馨と宦官の話声を聞き、目を覚ました梓豪は不快そうな顔をした。そして、宦官を睨む。睨まれた宦官は慌てて深々と頭を下げた。
「充媛は無実だと伝えたはずだ」
「はい。しかし、王昭儀様がどうしても調査をしてほしいと――」
「私の命令よりも昭儀を優先するというのか!」
梓豪は声を荒げた。
その声に驚いたように肩を揺らす可馨を庇うように、眠っていた娘、雹華は大きな泣き声をあげる。
「おぎゃあ! おぎゃあ!」
雹華は声をあげて泣き始める。
それに、慌てて、可馨は雹華の元に駆け寄っていき、抱き上げる。
……良いタイミングで泣いてくれたわ。
大声を真横であげられたくはなかった。
眠りを妨げられて怒るように泣いている雹華を宥める。
「雹華が泣いたではないか!」
「もっ、申し訳ございません!」
宦官は膝をつき、頭を深く下げた。
それに対し、苛立ちを隠しきれない梓豪は立ち上がり、別の宦官が持っていた剣を手にする。迷うことなく鞘から抜き、剣先を宦官に向けた。
「我が寵妃を疑い、我が娘を泣かせた罰、その命で償ってもらぞ!」
梓豪は怒りに我を忘れていた。
……これで内功がないの!?
同じ部屋にいるだけで気を失いそうだった。
それを向けられている宦官は死にそうだ。
……正直、宦官の命なんてどうでもいいわよ!
可馨は雹華を抱きしめながら、梓豪の元に近づく。その顔は涙で濡れていた。演技ではなく、気功や内功、麒麟の加護と呼ばれるべき力による圧力によるものだった。
梓豪は無意識に発している。
それを止めるためには、宦官が斬り殺されるか、可馨がなんらかの行動を示さなければならない。
これは大きな賭けだった。
気分を害された梓豪の寵愛は別に向けられる可能性もある。
しかし、可馨は動かなければならなかった。
「陛下!」
「……どうした」
「気を治めてくださいませ。怖くて、怖くて、しかたがありません」
可馨は怯えながら言葉を口にした。
……聞く耳はあるようね。
完全に怒りに我を飲まれたわけではない。
それならば、まだ勝算はあった。
「私が怖いか」
「陛下が怒っている姿など、見たくはございません」
「だが、この男は我が寵妃を疑い、我が娘を泣かせた。その罰を与えねばならん」
梓豪の言葉に可馨は涙を片手で拭う。
バランスを崩された雹華は泣き叫ぶ。
「公主もお怒りですわ」
可馨は恐怖の中にいた。
すべてを丸く収めることはできない。ことの発端は、可馨を疑ったことにある。それなのにもかかわらず、床に伏して震えている宦官を庇わなければいけなかった。
……不愉快だわ。
本音を言えば、今すぐに斬り殺してほしかった。
自分を疑う者など後宮にはいらない。
しかし、それを口にするのは大人しい女性ではない。大人しく、お人よしの女性ならば、自分を疑った相手だと知っていても庇うはずである。
可馨は演技をしなければならなかった。
「陛下。陛下の命令はなによりも尊いものです」
可馨は冷や汗をかく。
怒りの矛先が可馨に向けられていないのにもかかわらず、恐怖の中に立たされていた。本当は座り込んで泣いてしまいたいほどに恐ろしかった。
……麒麟の加護。
我が子たちに受け継がれているだろう加護が、もっとも強いのは、梓豪だ。
……それがこれほどにまで強いとは。
音繰は加護の力が弱かったのだろう。
そうでなければ、小麦アレルギーで命を落とすのに時間がかかるはずだ。
「ですが、充媛宮は第三公子と第一公主を育てる重要な拠点でございます。そこを血で汚されるのは嫌にございます」
「今日ははっきりと言うのだな」
「そこまで言わなければ、陛下は、私の声に耳を傾けてくださらないでしょう?」
可馨は息を吸う。
恐怖で倒れそうになるが、それを悟られてはならない。
「想像しただけでも恐ろしゅうございます」
可馨は梓豪の隣に立った。
そして、涙を流す。
「人の命を奪わないでくださいませ」
「なぜだ」
「恐ろしいことをしてほしくはないからでございます」
可馨はゆっくりと頭を下げた。
命乞いをしているように見えるだろう。
「なぜだ」
梓豪には理解ができなかった。
機嫌が悪く、宦官を罰したことなど数えきれないほどにあった。宦官は元は罪人であることが多く、その地位は限りなく低いものだ。その命は妃賓よりも軽い。
「こいつはそなたをバカにしたのだぞ、可馨」
「疑われるような真似をした私がいけないのです」
「そなたが疑われるようなことはなにもない! それなのに庇うというのか!」
梓豪は可馨のために怒っていた。
そのことを理解すると、可馨はゆっくりと姿勢を元に戻した。
……まだ騙されているのね。かわいい人。
月日が経っても見破れない。
それをかわいいという感情で表現をする。
可馨はまさに悪女だった。しかし、宦官にとっては天女のように見えたことだろう。




