第4話:夜陰の誓い
『報告:動機の輪郭』
翌日の昼下がり、アカデミアの喧騒から隔絶された図書館の裏手で、リュークは壁に背を預け、約束の相手を待っていた。やがて、人懐っこい笑顔とは裏腹の、鋭い目をした少年が、まるで影の中から現れるかのように姿を見せた。
「旦那、お待たせ」
ベンは周囲を素早く一瞥すると、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。そこには、走り書きのような文字で情報がびっしりと書き込まれている。
「アッシェンバッハ兄弟、調べがつきました。いやはや、絵に描いたようなボンボンですぜ。二人揃って、王都の賭博場や高級娼館に、とんでもない額のツケがある。特に、亡くなった兄貴のグレゴリーは、かなり悪質な高利貸しからも金を引っぱってたみたいだ」
「借金か……」
リュークの呟きに、ベンはニヤリと笑う。
「ええ。ですが、ここからが面白い。アッシェンバッハ家の財産は、全て兄であるグレゴリーが相続する決まりだった。だが、もし彼が死ねば……全財産は、弟のライナルト様のものになる。借金まみれの弟が、兄の死で一夜にして大金持ちってわけだ。動機としては、これ以上ないくらい分かりやすい」
ベンの報告は、状況証拠としてあまりにも完璧だった。借金、相続問題。殺人の動機としては、古今東西、ありふれているが故に、最も強力なものだ。
「犯人はライナルトで決まり、ですかい?」
「……おそらくは。だが、動機だけでは人は裁けない。必要なのは、彼がどうやって兄を殺したか、その『物的な証拠』だ」
リュークは羊皮紙を受け取ると、ベンに新たな銀貨を渡した。「引き続き、ライナルトの動向を探ってくれ。事件の後、誰と接触したか、金の動きはどうか」
「へいへい。旦那は、本気で神官様の『神託』をひっくり返す気なんですね。面白い、乗った」
ベンは軽口を叩きながらも、その目にはプロの情報屋としての熱が宿っていた。彼は再び、王都の雑踏へと溶け込むように消えていった。
『共鳴:研究室の密談』
ベンと別れたリュークは、足早に薬学研究室へと向かった。扉をノックすると、中から現れたエリーゼが、彼を招き入れる。昨日の今日で再び訪れたリュークに、彼女は戸惑いと警戒を隠せない様子だった。
「ヴァルハイム様、また何か……」
「ハートウェルさん、君の知識を借りたい。これは、ただの知的好奇心だと思ってくれて構わない」
リュークはそう前置きすると、単刀直入に本題を切り出した。
「もし、ある特定の薬草を服用している人間が、別の『何か』を摂取したことで、体内で即効性の毒が生成される……そんなことは理論上、可能だろうか?」
その突拍子もない問いに、エリーゼは息を呑んだ。だが、彼女はすぐに思考の海に沈み、真剣な表情で腕を組む。貴族の道楽や気まぐれではない、真理を探求する者の問いかけだと感じ取ったからだ。
「……前例のない話です。ですが……」
彼女は研究室の棚から、数冊の古びた専門書を取り出すと、驚くべき速さでページをめくり始めた。やがて、あるページで指を止め、リュークに示す。
「ヴァルハイム様が仰る薬草が、仮にグレゴリー男爵が求めていた『月雫草』だとします。この植物に含まれるアルカロイドは、通常、非常に安定しています。ですが……極めて稀な金属触媒――例えば、この『イグニスの涙』と呼ばれる鉱石の粉末に接触すると、瞬時に化学構造が変化し、シアン化カリウムに類似した猛毒を生成する……理論上は、あり得ます」
『イグニスの涙』。リュークの記憶にはない鉱石だ。
「それは、簡単に手に入るものか?」
「いいえ。非常に希少で、特殊なルートでしか流通しません。無味無臭で水に溶けやすく、使用後は痕跡がほとんど残らないため、古来『見えざる凶器』と呼ばれていたと、文献にはあります」
エリーゼの声は、興奮と恐怖で微かに震えていた。彼女もまた、リュークの仮説が、ただの空想ではないことに気づき始めていたのだ。
「ありがとう、ハートウェルさん。非常に参考になった」
リュークが礼を言って研究室を出ようとした時、背後からエリーゼの声がかかった。
「ヴァルハイム様!」
振り返ったリュークに、彼女は決意を秘めた瞳で告げた。
「もし……もし、あなたが、男爵の死の真相を調べているというのなら……私にも、協力させていただけませんか。死の真実が、家柄や権威だけで捻じ曲げられるのを見るのは、我慢ならないから」
それは、平民出身である彼女が、ずっと抱えてきた憤りだった。リュークはその瞳をまっすぐに見つめ、静かに頷いた。
『計画:夜陰に潜む』
その夜、リュークは再びベンとエリーゼを、アカデミアの人目につかない鐘楼の小部屋に呼び出した。二人の協力者を得た今、躊躇している時間はない。
窓の外では、王都ルミナーレが深い眠りについている。リュークは、眼下に広がる闇を見下ろしながら、二人に自身の推理と、これから成すべき計画を語り始めた。
「証拠は、遺体の中にある。グレゴリー男爵の胃の内容物を調べ、月雫草と『イグニスの涙』の反応を確認できれば、殺人は証明できる」
「ですが、遺体は教会の霊安室に。神官様の許可なく、触れることなど……」
エリーゼが不安げに言う。それは当然の反応だった。
「だから、許可なく手に入れる」
リュークの言葉に、ベンとエリーゼは息を呑んだ。
「男爵の葬儀は明後日だ。埋葬されてしまえば、全ては永遠に闇の中。我々に残された時間は、今夜しかない」
リュークの計画は、無謀そのものだった。教会の霊安室に忍び込み、衛兵の目をごまかし、神聖とされる遺体にメスを入れる。それは、この国の法と秩序、そして神への冒涜に他ならない。
「……正気ですかい、旦那」
ベンの声が、緊張に満ちた部屋に響く。「失敗すりゃ、俺たちは揃って首吊り台行きだ」
「ああ、正気だ。死体は嘘をつかない。だが、生きている人間は嘘をつく。権威を笠に着て、平然と真実を捻じ曲げる。俺は、それが許せないだけだ」
リュークは二人を交互に見つめた。彼のサファイアの瞳には、狂気と紙一重の、冷徹なまでの覚悟が宿っていた。
「これは命令ではない。君たちには、断る権利がある。だが、もし力を貸してくれるなら、俺は必ず真実を白日の下に晒すと約束する」
沈黙が、小部屋を支配する。
窓から差し込む月光が、三人の若者の顔を青白く照らし出していた。
やがて、沈黙を破ったのはベンだった。彼はふっと息を吐くと、悪戯っぽく笑った。
「……面白え。人生一度くらい、神様に喧嘩を売ってみるのも悪くない。乗ったぜ、旦那」
続いて、エリーゼも、震える声を抑えるように、固く拳を握りしめて言った。
「……やります。真実のために」
三つの異なる意志が、一つの目的のために重なり合った瞬間だった。
王都の闇に紛れ、偽りの神託に抗うための、危険な計画が、今、静かに始動する。
ご覧いただきありがとうございました。感想や評価、ブックマークで応援いただけますと幸いです。また、他にも作品を連載しているので、ご興味ある方はぜひご覧ください。HTMLリンクも掲載しています。
次回は基本的に20時過ぎ、または不定期で公開予定です
活動報告やX(旧Twitter)でも制作裏話等更新しています。
作者マイページ:https://mypage.syosetu.com/1166591/
Xアカウント:@tukimatirefrain




