第2話:王都と出会い
第2話:王都と出会い
『王都ルミナーレ:光と影の坩堝』
ヴァルハイム公爵領を出てから十日。長い馬車の旅の末に、リュークはついに王都ルミナーレの威容を目の当たりにしていた。
城壁は天を衝くほど高く、その威容は軍事的な要塞というよりも、王国の権威そのものを象徴しているようだった。城門をくぐると、そこは活気と混沌が渦巻く巨大な坩堝だった。石畳の道を、豪華な装飾の施された貴族の馬車と、荷をうず高く積んだ商人の荷馬車が、怒声と鞭の音を響かせながら行き交う。道端では、様々な地方の訛りを持つ人々が露店を広げ、その熱気が肌を焼くようだった。
(……凄まじい人口密度だ)
リューク――その精神の主である田中雄一は、冷静に車窓からの光景を分析していた。建物の様式は前世の中世ヨーロッパに近いが、街路の設計や下水道と思しき溝の存在は、見た目以上に計画的に作られていることを示唆している。だが、人々の喧騒や路地に漂う匂いは、衛生観念がまだ発展途上であることを物語っていた。
光と影、秩序と混沌。すべてが混在するこの都が、これから彼の生きる場所となる。
馬車は王都の中央に位置する丘を目指し、やがて壮麗な建築物が立ち並ぶ一角へと入った。その中でも一際大きく、歴史の重みを感じさせる建物群が、目的地である『王立アカデミア』だった。
『アカデミア:三つの塔と忘れられた学院』
王立アカデミアは、三つの学院で構成されていた。
天を突く白亜の塔を持つ『魔法院』。屈強な生徒たちの気合が響き渡る、城砦のような『騎士院』。そして、その二つの影に隠れるようにして佇む、古びた煉瓦造りの建物が、リュークの籍を置く『法学院』だった。
他の二院へ向かう生徒たちの足取りが希望に満ちているのとは対照的に、法学院の門をくぐる者は少なく、どこか覇気がない。ここが、貴族社会における『落ちこぼれ』や『訳あり』の者が流れ着く場所であることを、空気そのものが物語っていた。
「こちらが、リューク様の寮室になります」
案内役の事務官に連れてこられたのは、簡素だが清潔な一人部屋だった。荷解きを始めようとした時、扉がノックされ、一人の少年が入ってきた。
「荷物運び、手伝います! 俺、ベンって言います!」
栗色の髪をくしゃくしゃにさせ、人懐っこい笑みを浮かべる少年。歳は十五、六だろうか。アカデミアの雑用係らしい。彼はリュークの大きな革鞄を軽々と持ち上げると、驚いたように目を丸くした。
「うわっ、重! 全部本ですか? 旦那、すごい勉強家なんですね」
「……なぜ中身が分かった?」
「へへ、鞄の重心の偏り方と、革の軋む音で、大体。それに、法学院に来る貴族様なんて、大抵は時間を持て余した本の虫だって相場が決まってますから」
ベンと名乗った少年は、悪びれもせずに言った。その目には、単なる好奇心とは違う、鋭い観察眼の光が宿っていた。スラムで生き抜いてきた者特有の、人を測る目。リュークは、この少年がただの雑用係ではないことを見抜いた。
荷解きを終えたリュークは、アカデミアの広大な図書館へ向かった。この世界の法や慣習を知ることが急務だと考えたからだ。
法学書の棚は、図書館の中でも特に日当たりの悪い、埃っぽい一角にあった。そこで彼は、一人の少女に出会う。
腰まで届く長い黒髪を揺らし、熱心に分厚い古文書を読んでいた彼女は、リュークの気配に気づくと、警戒するように顔を上げた。大きな瞳は知性に満ちていたが、貴族であるリュークの姿を認めると、わずかに身を強張らせた。
「……何か御用でしょうか」
平民出身の生徒だろうか。その声には、貴族に対する遠慮と反発が入り混じっていた。
リュークは彼女が読んでいた本に目をやった。それは、古代語で書かれた薬草に関する書物だった。そこに描かれた植物の一つを指し、彼は無意識に口を開いていた。
「その植物……トリカブトの同種か。確か、アルカロイド系神経毒を含有している。服用すれば、呼吸筋の麻痺を引き起こす」
「え……?」
少女は驚愕に目を見開いた。彼女が数日かけて解読していた内容を、この見知らぬ貴族の青年が、一目見ただけで言い当てたのだ。
「なぜ、それを……。この本は、古代薬草学の専門書ですのよ」
「いや……どこかで、見たことがあるような気がしただけだ」
しまった、とリュークは内心で舌打ちする。前世の知識が、思わぬ形で顔を出してしまった。慌ててその場を繕う。
「すまない、邪魔をしたようだ。私の名はリューク・フォン・ヴァルハイム。法学院の一年だ」
「……エリーゼ・ハートウェルと申します。薬学研究室の、助手見習いです」
エリーゼと名乗った少女は、まだ疑念と好奇心が入り混じった目でリュークを見つめていた。この出会いが、後に彼の運命を大きく左右することになるとは、二人ともまだ知る由もなかった。
『講義:停滞と確信』
翌日、法学院の最初の講義に出席したリュークは、この世界の司法の現実に直面し、愕然とすることになる。
老教授は、抑揚のない声で教科書を読み上げるだけだった。
「……人が死を迎えた時、その死因を究明するのは、我々の仕事ではない。それは、ルミナ統一教会の神官様方が担う、神聖な儀式である。神官様が『神託』を下されれば、それが絶対の真実となる。我々法学徒の役目は、その神託に至るまでの手続きと、その後の法処理を、慣例に従い滞りなく行うことにある……」
講義を聞いている学生たちの態度は、絶望的だった。大半は居眠りをし、中には公然と別の本を読んでいる者さえいる。誰もが、この学問の無意味さを理解し、ただ卒業までの時間をやり過ごそうとしていた。
法とは名ばかりの、ただの形式手続き。死の真相は、すべて『神託』という名の権威によって塗り潰される。
(……腐っている)
だが、その絶望的な状況は、リュークの中に眠る法医学者の魂に、逆説的な炎を灯した。
絶望と同時に、彼は確信していた。
この世界は、自分が介入できる『隙』だらけだと。誰も死者の声を聞こうとしないのなら、自分が聞けばいい。神託が絶対だというのなら、科学という名の揺るぎない事実で、それを覆せばいい。
知識はある。だが、それを実践する術がない。解剖は禁忌、捜査権限もない。自分はただの『出来損ない』の公爵三男。理想と現実のあまりの隔たりに、リュークはアカデミアの片隅で、一人、無力感を噛み締めていた。
その矢先のことだった。
アカデミアの新入生を歓迎する晩餐会が、大ホールで盛大に催された。きらびやかな衣装を纏った貴族の子弟たちが、談笑し、グラスを交わしている。家族からも疎まれ、友人もいないリュークは、壁の花と化して、ただその光景を観察していた。
その時、彼の目に、ホールの中央で口論している一組の男女が映った。一人は恰幅のいい壮年の貴族。もう一人は、その弟だと噂で聞いた男だった。兄の方が、何かを詰るように弟に語気を荒げている。
やがて口論は終わり、兄である貴族――グレゴリー・フォン・アッシェンバッハ男爵は、苛立ったように手にしたワインを一気に呷した。
その、直後だった。
「ぐっ……ぁ……!?」
男爵が、突如として喉を掻きむしり、その場に崩れ落ちた。
周囲の陽気な喧騒が、一瞬にして凍りつく。悲鳴が上がり、人々が波のように引いていく。
その中心で、アッシェンバッハ男爵は白目を剥き、手足を痙攣させていた。
リュークのサファイアの瞳が、冷徹な法医学者のそれへと変わる。
――事件は、彼の目の前で起きた。
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