第84話 ドミトリスとの交渉
ロブ爺と合流したら、警備のごろつきとは別の男がいた。名前は名乗らなかったけど、ドミトリスの側近らしい。
「ボスに会いてぇってのは、本当にこのガキなのか?」
側近の胡散臭いものを見るような視線が突き刺さる。
ロブ爺がどんな説明をしたのか分からないけど、とりあえず面会を希望しているのが僕だということは伝わっているようだ。
「ええ、そうです。見ての通りの年齢ですけど、これでも責任者なんですよ」
敵意はないと伝えるために、努めて明るい笑顔で答えた。
「……まあいい。だが、入っていいのはそのガキだけだ。他のヤツらはここで待ってろ」
「ダメです。1人では行かせられないです。おのたちも同行するです」
ルジェナが僕の前に出た。その動きに合わせて、側近の背後にいた男たちが腰の武器に手をかけた。空気が一瞬で張り詰めた。
このままではまずいと思い、僕はルジェナの腕を掴んで引き止めた。
とはいえ僕だって1人で行く気はない。仮にケフィンさんとロブ爺がダメだったとしても、ルジェナとカチャは連れて行くつもりだ。
「僕は自分で身を守れない子どもなので、護衛は外しません」
僕がはっきり言うと、側近は『なんだこいつ』とでも言いたげに、細めた目で見てきた。
どう思われようと、何が起きるか分からないスラムで、護衛を外すわけにはいかない。危険を承知でここまで来たけど、無防備な状態になるつもりはない。
「なんだ、女の護衛にビビッてんのか?」
「んなわけねぇだろ!」
「なら、かまわねぇだろ? それでも不安だってぇなら、そっちも護衛を付けりゃいい」
意外なことにロブ爺から援護があった。売り言葉に買い言葉、という感じではあるけど、言いづらいことを言ってくれて助かる。
「僕もそれで構いませんよ。こちらにだけ護衛がいるのも不公平ですから」
どうせ隣の部屋とかに待機させるんだろうし、どこにいても大した違いはない。
「……いいだろう。ついてこい」
渋々といった様子だけど、とりあえず、入れてくれるようだ。
先に歩き出した側近に続いて僕たちも屋敷の中へ入った。
玄関ホールはさして広くもなく、正面のサーキュラー階段と左右の三方向に通路があるだけだった。スラムにある屋敷としては立派だけど、あちこちに損傷が見られ、メンテナンスが行き届いていないように見えた。
「こっちだ」
側近に案内されたのは右側の通路を進んだ2番目の部屋だった。それなりに広い部屋だけど、室内には棚といくつかの木箱があるだけで、テーブルやイスなどの家具がなく、人を迎えるような部屋には見えなかった。
「ボスを呼んでくるから、ここで待ってろ」
「えっ、ここで、ですか?」
「そうだ」
それだけ言って側近は部屋を出て行った。
貴族の屋敷じゃないので、応接室のような部屋がなくても不思議じゃないけど、とても話し合いをする部屋には見えない。ルジェナも怪しんでいるようで、部屋の様子を窺い始めた。
「(どう?)」
誰かに聞かれるかもしれないため、小声でルジェナに聞いた。
「(……人の気配はしないです。何かを企んでいるようにも見えなかったですから、大丈夫だと思うです)」
「(わかった)」
とはいえ、完全に安心できるわけじゃない。
扉が1つで窓はない。外から鍵をかけられれば、それだけで詰んでしまう。まあ、閉じ込められたとしても、ルジェナのハンマーで部屋の扉を壊すぐらいはできるはずだから、完全に詰むわけじゃない。
部屋に通されてから10分ほど待っていたら、4人の男たちが入ってきた。
先頭にいるのは禿頭で眼光が鋭く筋肉質な男で、その後ろに先ほどの側近を含めた3人の男たちがいる。
禿頭の男は床に置いてあった木箱にドカッと座った。そして、僕たちを一瞥してからロブ爺へ視線を向けた。
「珍しく俺に用があるってぇから何かと思えば、ガキのお守りとはな。底辺冒険者ってぇのは大変だなぁ?」
どうやら、この禿頭の男がドミトリスのようだ。
「くくくっ、そうだな。子守りは依頼料が高くて助かるのさ」
ロブ爺はドミトリスの嫌味を気にした様子もなく受け流した。嫌みが通じなかったドミトリスは、苦虫を噛み潰したような表情をした。
「んで、ガキを連れて、いったい何の用だ?」
ドミトリスは不機嫌そうな声で、ロブ爺に問いただした。
「それについては僕の方からお話しします」
「あぁん? 随分と偉そうなガキだな?」
話に割り込まれて、さらに気分を害したようで、目を細めて睨みつけてきた。
「はじめまして、僕はアルテュールと言います。『偉い』わけではないですけど、護衛が必要な立場ではありますね」
「――まさか、貴族か!?」
ドミトリスはギョッとした表情になり、僅かに前のめりな姿勢になった。
正直なところ、説明が難しい。一応の父親は貴族で、母さんも元は貴族の令嬢だったので、貴族の血筋ではある。今の母さんは吏爵位を授かったので準貴族にあたる。だけど、吏爵位には爵位の継承権がないので、子息は貴族籍に登録されない。つまり、僕は貴族ではない。とはいえ、準貴族の子息なので、平民とも言いづらい。
「あー、いえ、貴族ではないんですけど、少し複雑なんですよね。とりあえず、身分についてはご想像にお任せします」
面倒なので説明することを放棄して、僕はにっこりと笑ってみせた。困った時は笑ってごまかす。これが一番だ。
「それはともかく、話をする前に確認したいんですけど、イェレくんとリニちゃんを宿屋から連れ去ったのは、あなたたちで間違いないですか?」
まずはそれを確かめたかった。もし違ったら、交渉する意味がない。
「連れ去るとは酷い言いぐさだ。俺は俺のものを返してもらっただけだ」
世話もしないのに所有権だけ主張するのはどうかと思うけど、これで2人を攫ったのがドミトリスだと確定した。
「それで、2人は今、どうしていますか?」
個人的な不満を押し殺して、まず無事かどうかを確認する。
「さぁなぁ、どうしているかねぇ。そもそも教えてやる義理はねぇよな?」
スラムの理屈ならそうなるんだろう。あまり突っ込んでもいい結果にはならなさそうだ。
「無事じゃなかったら、面倒なことになると思うぞ?」
ロブ爺が低い声で口を挟んできた。
「はぁ? どういうことだよ?」
「実はですね。数日前に、あの2人の領民登録を済ませているんですよ」
ロブ爺の会話を引き継いで、出会った経緯から領民登録までを説明した。
「おい! 聞いてねぇぞ!」
ドミトリスは立ち上がって、側近を蹴り飛ばした。
「すっ、すんません!」
壁に打ち付けられた側近は、苦痛に歪む表情のまま、その場で床に頭を付けて謝罪した。
突然の暴力に驚いた僕は、『この世界にも土下座はあるんだなぁ』と、場違いな感想を考えてしまった。
「わずか数日前ですし、書類を提出しただけなので、気づかなくても仕方ありませんよ」
気を取り直して、側近の恨みがこちらに向かないように、とりあえずフォローをしておく。
ドミトリスはチッと舌打ちをして、木箱に座り直した。
「……俺は町と対立するつもりはねぇ。だがな、『はいそうですか』と言って引くわけにはいかねぇんだよ」
しばらく僕たちを睨みつけていたドミトリスは、大きく息を吐いてから、内心を打ち明けた。おそらくロブ爺が言っていた、メンツの問題だろう。――であれば。
「まずは報告もせずに2人を連れて行ったことについて謝罪をします」
そう言って僕は頭を下げた。
「ほぅ、ずいぶんと殊勝な心掛けだなぁ」
「知らなかったとはいえ、不義理なことをしてしまいましたからね」
そもそもスラムの理屈なんて僕たちには関係がないから、本来は謝罪する必要もないんだけど、波風を立てないために筋を通しておく。
「そのうえで、どうすれば納得してくれますか?」
僕にはスラムの住人が何を欲しているのか分からないので、ストレートに聞いてみた。
ドミトリスは腕を組み、しばらく考え込んだ。
「1人につき金貨5枚払うなら、連れて行ってもいいぞ」
「あはは、ご冗談を」
暴利が過ぎる。あのくらいの年齢の子どもは労働力としての価値が低いから、高くても金貨1枚、スラムの子どもだったら銀貨5枚がいいところだ。値段交渉のつもりで大きく出たんだろうけど、いくらなんでも金貨5枚はありえない。まあ、そんなことよりも――。
「そもそも、人身売買は王国法で禁止されています。例外は奴隷商人だけですよ」
正確には、『人身売買は禁止だが、奴隷商人には隷属魔法を使った人身売買が許されている』と言った方が正しい。これは、犯罪者を罰するための制度であり、刑務所が存在しないこの世界では、犯罪者の更生を促す唯一の手段となっているからだ。
ちなみに、借金奴隷も借金の返済から逃げられないようにするために、隷属魔法で縛ることが許されている。
「そんなご大層な話じゃねぇよ。お前は俺に金を払う。俺はお前たちがあの2人を連れて行くのを邪魔しない。ただそれだけの話だ。簡単だろ?」
確かにそれなら人身売買にはあたらない。――だけど、例え法的に問題がないとしても、僕がお金を払ったという事実が残るのは良くない。『人の口に戸は立てられぬ』と言うように、お金を払えば、それが噂になると思う。そうなれば、その噂にスラムの子どもを引き取ったことを絡めて、『ファクチュア工房は人買いだ』と噂をする人が出ないとも限らない。
「そうかもしれませんけど、悪い噂になりそうなことはできません」
心配しすぎのように思えるけど、これだけでも僕たちにとっては痛手になる。何しろ、ファクチュア工房の工房長に領主一族であるヴェッセルさんの名前を借りているのだから。
ヴェッセルさんの名前は表に出してはいないけど、書類を提出している以上省庁の役人は知っているし、資金を提供している商業ギルドも把握している。つまり、噂になった時点でヴァンニ辺境伯家の顔に泥を塗ってしまうわけだ。もしそうなったら、僕だけじゃなく、『子どもを御せなかった』という理由で、母さんまで切り捨てられてしまうかもしれない。
というわけで、用心するに越したことはない。
「だったら、お前は何ができるってんだ? 頭を下げて終わり、だなんて言わねぇよなぁ?」
ドミトリスは断られると思っていなかったようで、足で床を「ドン」と踏みつけ、ドスの効いた声で怒鳴りつけてきた。
「勘違いをされては困るんですけど、法律上の観点から見ると、あなたは2人を僕たちに渡さないといけないんです」
ドミトリスの恫喝するような行動を無視して、僕は冷静に切り返した。
「もし返さないと言うのなら、僕としては治安維持隊に通報して対処を任せるしかなくなるんです。もしそうなったら、何が起きるか、分かりますよね?」
リニちゃんの体調を考えて、できるだけ早く解決するために僕たちが来たけど、本来は、治安維持隊に通報をして、衛兵に対処をしてもらうべき事件だ。
衛兵は渋ったらしいけど、正式に治安維持隊へ通報すれば、彼らとて動かざるを得ない。それでも動かないようなら、商業ギルドから行政庁経由で働きかけてもらう方法もある。
そして、スラムの住人は法律によって守られていないため、手荒な捜査が待っている。
「……てめぇ、俺を脅す気か?」
ドミトリスがゆっくりと立ち上がり、それと同時に、護衛の男たちが剣を抜いた。それに対して、ルジェナとカチャも武器を構えた。
「いえいえ、現状を正しく理解してもらいたいだけです。その上でお互いが納得できる案を模索しようと言っているんです」
凍り付きそうな雰囲気の中、僕はにこやかな表情で話を続ける。
正直に言えば、怖くないわけじゃない。護衛がいても、この距離で斬りかかられれば無事では済まない。それでも――ここで引くわけにはいかない。
「一方的に返せと言われても、あなたは納得できないでしょ?」
「あたり前だ!」
「ですから、お互いが納得できるように、落としどころを見つけようとしているんです」
元々の原因はこちらにあるけど、だからと言って一方的な搾取を許すつもりはない。あくまでも優位なのは僕たちの方だと理解してもらい、その上でドミトリスのメンツが保てるように穏便に事を収めたいだけだ。
「つまり、ガキどもを渡すのは決まってるってわけか……」
「そういうことです」
内心では、煽りすぎたかと焦ったけど、とりあえず状況を理解できたようで、ドミトリスは渋い表情をしながらも、反論はしなかった。
「んで、その『落としどころ』ってのは、どうするつもりだ?」
黙り込んだドミトリスに代わって、ロブ爺が質問をしてきた。
「……そう、ですね」
お金を払うのはいろいろと問題がある。かと言って、謝罪しただけではドミトリスのメンツが立たない。目に見えるもので、配下や他の顔役も納得できる何か……。
「それではこういうのはどうでしょう。実は春になったら工房を稼働させるんですけど、あなたの配下の方に2つの仕事を提供します。1つは冒険者ギルドから工房への魔物素材の運搬で、もう1つは解体後の残骸を廃棄場へ運ぶ仕事です」
仕事という形でスラムに仕事を流せば、その仕事に人を割り振れるドミトリスは上納金が増えるし、顔役としてのメンツも保てる。それに、わずかばかりとはいえ、スラムの住人の収入にもなる。さらに加えて言えば、工房の邪魔をすれば仕事もなくなってしまうので、無用な敵対も避けてくれるはずだ。
冬の間は工房が休業するので、仕事を提供できないのが難点だけど、そこはどうしようもない。
「その程度じゃあ、割に合わん」
まあ、言われるとは思った。配下へのメンツは保てるけど、ドミトリス本人が得られる上納金がほとんど増えないから、納得できないんだろう。とは言え、交渉の余地がないわけではなさそうなので、もう1つの提案をすることにした。
「それならもう1つ。これは条件付きになるんですけど、工房から荷車を貸し出します」
「はぁ? 荷車だぁ?」
疑わしげというより、あざけるような表情でドミトリスは抗議の声を上げた。
「スラムの住人は、荷物持ちとして冒険者に同行することがあるらしいですね」
「まぁな。ここは森がちけぇから普段は大した稼ぎにはならねぇが、大物が狩れた時はそれなりの稼ぎになる」
それがどの程度の稼ぎになるのかは分からないけど、ロブ爺が言っていたように、荷物持ちとして冒険者に同行する住人はいるようだ。
「それで、ですね。うちの工房から冒険者ギルドに採取依頼を出しているんですけど、採取品が大きくて運ぶのが大変なんです」
蜘蛛の腹部は重い上に嵩張るので、1人で持てるのは2つか3つが限度。資金に余裕がある冒険者なら馬車を使って運ぶけど、そこまでの余裕がない冒険者は、スラムの住人を荷物持ちとして連れて行くことがある。
「そこで、1人で引ける荷車を貸し出せば、スラムの住人を優先して雇ってもらえると思うんです」
工房に発注してみないとはっきり言えないけど、さして大きくもない一人用の荷車なら、冬の間に何台か作れるはず。
「つまり、お前らの依頼のためってことか?」
「僕たちは依頼の補助をしてもらえるし、あなたたちは収入が増える。お互いに利益のある提案だと思いませんか?」
それに加えて、冒険者にしても一度に運べる量が増えれば、それだけ報酬を増やすことができる。三方良しの案だと思う。
「そいつは俺も使えんのか?」
「それはドミトリスさん次第です。と言うかロブ爺はドミトリスさんの配下だったんですか?」
ロブ爺はスラムに住んでいるだけで、誰かの配下というわけではないはず。
「いや、俺は違うが……ああ、なるほど、それを決められるのがドミトリスの利益ってわけか」
この条件を追加したところで、ドミトリスの金銭的な利益は大して増えない。だけど、割り振れることが増えれば、権力的な利益は増える。
「悪くはねぇが、荷車は何台貸せるんだ?」
「今は1台も所有していないので、はっきり言えないんですけど、春までに5台は用意しようと思います」
荷車はどの町でも使われているので、生産体制はしっかりしている。いくら生産性の低い宿場町とはいえ、5台ぐらいなら問題なく揃えられるはずだ。
「……いいだろう。それで手を打ってやる」
ドミトリスはそう言ってから振り返り、側近にイェレくんたちを連れてくるように命じた。
部屋を出る側近を眺めながら、僕は小さく安堵の息を吐いた。
「分かってると思うが、裏切ったら容赦しねぇぞ」
「ええ、もちろんです」
スラムでは契約書を作ることは、ほとんどない。識字率が低くて簡単な文字しか読めず、文章を理解する読解力も足りないので、契約書の内容を理解できずに、騙されることがあるからだ。
というわけで、僕も契約書を残すことはせず、口約束だけを交わす。もちろん、口約束だからと言って、反故にするつもりはない。もしそんなことをしたらファクチュア工房がスラムから恨まれて、事業の妨げになってしまう。
しばらく待っていたら、側近がイェレくんとリニちゃんを連れて戻ってきた。
「カチャねぇ?」
「――イェレ!」
カチャがイェレくんたちに、泣きそうな顔で走り寄った。
イェレくんの右頬には青あざができていた。おそらく殴られた跡だろう。リニちゃんはイェレくんにおぶさっていて、顔が赤く、息が荒い。熱が出ているようだった。
子どもを殴るなんて、と怒りが込み上げてきた。でも、せっかく話がまとまったのに、ここで亀裂を入れるようなことをするべきじゃない。今はリニちゃんを早く休ませることが優先だ。
僕は怒りを抑え込んで、イェレくんたちに歩み寄った。
「イェレくん、帰るよ」
状況を掴めず、視線を彷徨わせていたイェレくんに、僕は優しく声をかけた。
「――うん」
心細かったようで、イェレくんは涙声で返事をした。
カチャはイェレくんからリニちゃんを受け取り、イェレくんはケフィンさんが抱き上げた。
「それでは、失礼します」
ドミトリスに挨拶をして屋敷を出たら、すでに空は茜色に染まっていた。




