第83話 スラムの理屈
冒険者ギルドはファクチュア工房から歩いて20分程度の距離にある。今回は小走りで移動したので、15分ほどで到着した。
建物の中に入ると、依頼を終えた冒険者たちで溢れかえり、汗や泥の匂いでむせ返りそうになる。さらには、鉄臭い血の匂いも漂っていて、めまいがしそうなほどだ。
いつもは早朝と夕方の混む時間帯を避けていたから、こんなに臭いとは知らなかった。
気を取り直し、頭を軽く振ってから、辺りを見回した。
「ケフィンさん、その人はどこに?」
「いつもなら飯を食ってるはずなんだが……ああ、いた」
ケフィンさんは冒険者ギルドに併設されている食堂を見回し、カウンターから一番遠い所にある4人掛けのテーブルを指さした。
そこでは1人の老人が食事をしている。
ケフィンさんは冒険者だと言っていたけど、薄汚れた服はともかく、簡易な防具すら付けていないので、とても現役の冒険者には見えない。
「あの人が?」
「ああ、そうだ。あんな身なりでも新人に仕事のイロハを教えたりしていて、面倒見はいいんだ。俺も冒険者になった頃に世話になったしな」
ケフィンさんはカウンターでエールを1杯注文すると、受け取ったジョッキを持って老人がいるテーブルへと歩き出した。
「ロブ爺、ちょっといいか?」
「んー、なんだ?」
ケフィンさんが声をかけると、ロブ爺と呼ばれた老人は気だるそうに返事をした。
近くに来て気がついたけど、ロブ爺の左腕には火傷の跡があって、自由に動かせないようだ。
「おぉ、ケフィンか、久しぶりだなぁ」
「飯を食っている時に悪いんだが、ちょいと相談があるんだ」
そう言ってケフィンさんはロブ爺の前にエールが入ったジョッキを置いた。
「まあ話ぐらいは聞いてやる」
ロブ爺は受け取ったエールをぐいっと飲んでから僕たちの方を見た。
「初めまして、僕はアルテュールと言います。今日はスラムのことで相談があって来ました」
「スラムだと?」
ロブ爺は僕と後ろに立つルジェナとカチャを値踏みするみたいに一瞥すると、再びジョッキに口をつけた。
「実は、僕たちが保護していた子どもたちが、スラムの住人に連れ去られたんです」
僕の発言を聞き、ロブ爺の動きが止まった。
「……詳しく聞かせてもらおうか」
僕はイェレくんとリニちゃんを保護した経緯と、今日になってスラムの住人に連れ去られたことを、できるだけ簡単に説明した。
黙って話を聞いていたロブ爺は、僕が話し終えると鼻で笑った。
「そりゃあ、スラムに手を出したお前さんらが悪い」
予想していなかった返しに驚き、僕は目を丸くした。
「なんで――、んがっ!?」
カチャが叫ぼうとしたところで、すかさずルジェナが羽交い絞めにし、喋れないように口を手で覆った。
僕は『またか』と呆れつつ、周囲を見渡した。思ったほど注目を集めてはいなかったけど、何人かがこちらを見ていたから、軽く頭を下げてやり過ごした。
「それは、どういう意味ですか?」
気を取り直して、ロブ爺に質問した。
「お前さんらは子どもを助けたつもりかもしれんが、スラムのもんから見れば、お前さんらはスラムの住人を奪った人攫いだ。取り返すのは当然だろう?」
ロブ爺に言われて、僕はハッとした。確かにスラムの住人から見れば、僕たちが子どもを連れ去ったようにしか見えない。
「でも、放っておいたら死んでいたかもしれないんですよ?」
「んなこたぁ関係ない。たとえ死のうが、スラムの住人はスラムのものだ。外のもんが勝手に連れ行っていい道理はねぇ」
暴論だと思う。だけど、スラムにはスラムの理屈があることは理解した。ただ、腑に落ちない部分もある。あの子たちが『スラムのもの』と言うのなら、世話ぐらいはするべきだと思う。
まあ、それがスラムだと言われたら反論はできないけど。
「とりあえず状況は分かりました。だけど、僕たちとしても一度関係を持った以上、このままにしておく気はありません」
とは言うものの、どうしたらいいのか分からない。
単なる犯罪だったのなら、冒険者を雇って武力で2人を取り戻すという方法が使えたかもしれない。だけど、そうではないと分かった以上、協力してくれる冒険者はいないだろう。つまり、交渉で取り戻すしか方法はないということだ。しかし、そうなると、勝手に保護したことがこちらの弱みになってしまう。
「スラムにはいくつかの勢力があるんだが、そのガキどもがいたのはドミトリスの縄張りだ。話し合いをしてぇんなら、口利きぐらいはできるが、どうする?」
そう言って、ロブ爺は親指と人差し指を擦り合わせた。
その仕草に首を傾げると、ケフィンさんが『紹介料の要求だ』と耳打ちで教えてくれた。
ケフィンさんはロブ爺のことを信用できると言っていたけど、本当に信じていいのか分からない。とはいえ、他に頼れる人がいない以上、今は彼を頼るしかない。
僕は覚悟を決め、懐から銀貨を1枚取り出してテーブルの上に置いた。
「ちょいと安くねぇか?」
ロブ爺は銀貨をちらりと見て、不満そうに眉をひそめる。
「それは前金です。そのドミトリスという人に会えたらもう1枚、2人を取り返すことに協力してくれたら、さらに1枚差し上げます」
Gランク冒険者の1日の稼ぎは通常で銅貨3枚、良くても銅貨5枚程度にしかならないと聞いている。銀貨3枚なら10日分の収入に相当するから、1回の報酬としては破格のはずだ。僕としても手痛い出費だけど、今はお金を惜しんでいる場合じゃない。
「……ふむ、それだけ出すなら――協力せんわけにはいかんなぁ」
ロブ爺はテーブルの上の銀貨を素早く懐にしまうと、ジョッキに残っていたエールを一気に飲み干し、勢いよく立ち上がった。
「よし、話は決まりだ。さっさと行くぞ。日が落ちるとスラムは危ねぇからな」
ロブ爺はそう言うと、僕たちの返事を待たずにギルドの出口に向かって歩き出した。
「ケフィンさん、ありがとう。ここまででいいよ」
「いや、俺も行くよ。スラムに行くなら男手があった方がいいだろ?」
確かに。いくら武装しているといっても、子ども1人と女の子2人でスラムに行くと、絡まれるかもしれない。ロブ爺がいるから大丈夫だと思うけど、大人の男性がいれば、その心配は減る。
「助かります」
「まかせろ」
僕たちは顔を見合わせて頷くと、ロブ爺の後を追ってギルドを出た。
外へ出ると日が傾いて影が長くなっていた。日が落ちるまであまり時間がないと分かる。
「おい、こっちだ」
空を見上げていたら、ロブ爺が声をかけてきた。
「協力する約束だからな。ドミトリスの根城へ着くまでに、スラムについて話しておく」
スラムへ向かって歩きながら、ロブ爺はドミトリスについての説明を始めた。
それによると、スラムには3人の顔役がいて、1人は非合法な賭場と金貸しを運営しているベルベルドという男性で、もう1人は野良娼婦と呼ばれる訳ありの女性たちを取りまとめているフォドラという女性、そして肝心のドミトリスという男性は、低賃金の仕事にしかありつけない住民たちを取りまとめていて、いくばくかの仕事を割り振ることで上納金をせしめているそうだ。
「ドミトリスは3人の中で一番縄張りが広いんだが、配下はスラムの中でも底辺のヤツらばかりなもんで、“上がり”が少ねぇんだ」
ベルベルドとフォドラは、スラムの住人だけじゃなく、町の住人や冒険者なども相手にしているため、羽振りが良いらしい。一方でドミトリスは、抱える配下の数は多いものの、一人ひとりの稼ぎが少ないこともあって、上納金も少ないらしい。
「スラムの住人ってどんな仕事をしてるんですか?」
「ゴミ漁り、ドブ漁り、道に落ちた馬糞の片づけ、荷駄代わりの荷物持ちってとこだな。んで、ドミトリスが取り仕切ってる仕事で一番稼げるのは、地下にある下水道の掃除だな。臭くてかなわねぇが、領政府から回ってくる仕事だからいい金になる」
意外と仕事はあるんだなと思いつつ、それでもスラムから脱することができないのは、行政の仕組みが悪いのか、それとも住人の気質なのか――なんとも言えない気持ちになった。
「あと教えられるのは、そうだなぁ……。ドミトリスが縄張り意識が強いことと、メンツに拘っているってことぐらいだな」
表面的な情報だけど、それでも交渉の参考にはなる。
「あれがドミトリスの屋敷だ」
ロブ爺の説明を聞きながら歩くこと30分、見えてきたのはレンガ造りの2階建ての建物だ。スラムの建物にしては大きくてしっかりとした構造だけど、掃除はしていないようで、外壁はかなり汚れている。
警備のつもりだろうか、入口には帯剣したごろつきが2人いた。
「まずは俺が話を通してくるから、お前たちはここで待ってろ」
そう言ってロブ爺は僕たちから離れ、ドミトリスの屋敷へと向かった。
「さてと、カチャ」
ロブ爺が離れて身内だけになったので、今のうちに話をしておこうと思い、僕はカチャに向き直った。
「今日のカチャの行動は見過ごせない。ルジェナに『勝手な行動をしないように』って、言われたよね? 覚えてる?」
「うっ、……お、覚えてる」
カチャは気まずそうに視線をずらした。
どうやら、自覚はしているようだ。まあ、ルジェナに2回も取り押さえられて自覚しないようなら、見限るしかないけど。
「次に勝手なことをしたら、護衛から外すからね」
厳しい言い方だとは思うけど、みんなの命がかかっている以上、妥協はできない。
「なっ!? だ、大丈夫。もうしない」
そうであってほしい。代わりの護衛を探すのは手間がかかるし、裏表のない性格のカチャを気に入っているから、内心では外したくないと思っている。
「アルテュール様、ロブ爺が呼んでるです」
ルジェナに言われてドミトリスの屋敷の方へ視線を戻すと、ロブ爺が手招きしていた。
僕がカチャと話している間に話が通ったらしい。
「それじゃ、行こうか」
「はいです」
「おう」
「はい」
僕たちは気を引き締めて、ドミトリスの屋敷へ向かった。




