第81話 工房の開設準備
イェレくんとリニちゃんを部屋に上げようとしたら、宿屋の主人から『部屋が汚れるからスラムの子どもを入れないでくれ』と言われた。これは2人が汚れているからという意味ではなく、『部屋で死なれて汚れるのが困る』という意味だ。彼らも客商売だから遺体が運び出されるような事態は避けたいんだろう。そうと分かっていても、腹は立つ。
僕は大きく深呼吸をして苛立ちを抑え、もしもの場合には責任を取るということで、追加人数分の代金とは別に保証金として銀貨2枚を渡して納得させた。
それからカチャとルジェナの部屋に2人を連れて行き、身体の汚れを落としてからカチャが買ってきた服に着替えさせ、ベッドに寝かせた。
ひと通りの処置と夕食を済ませたので、あとの看病をカチャとルジェナに任せて、部屋でロドルフから報告を聞く。
「馬車は整備したっすが、車軸と車輪にヒビが入ってたっすから、交換した方がいいっすね」
「あぁ、道が荒かったからなぁ、仕方がないか」
サスペンションが付いてない馬車は車軸への負担が大きい。街道を走らせている時に故障する危険を考えれば、早めに交換した方がいい。
「それと、馬たちの体調には問題ないっすが、ずっと馬車を引かせたんで少し機嫌が悪いっす。だから明日牧場に連れて行って運動させてくるっす」
「分かった。馬たちのことはロドルフに任せるよ。追加でお金が必要だったら教えてね」
「ありがとうっす」
1週間も馬車を引かされて、馬たちも相当な負担を強いられただろう。存分に走ってストレスを解消してほしい。
「……そういえば、お金で思い出したんだけど、カチャに服を買うお金なんてあったのかな?」
僕たちが車庫に行った時にカチャがいなかったのは、2人の食事と着替えを買いに行っていたからだった。
「そのぉ……、おいらが貸したっす。まずかったっすかね?」
「ああ、そういうこと」
ロドルフはカチャと違って正規の使用人なので給金はそれなりに高い。服を買うぐらいのお金は貸せるだろう。とは言え、お金の貸し借りは人間関係に軋轢を生む可能性があるから、できれば仲間内での貸し借りは止めてほしい。
「ロドルフがカチャに貸したお金は僕が立て替えるよ。お金の貸し借りで喧嘩になってほしくないからね」
「おいらは気にしないっすよ?」
「そうは言っても、何があるか分からないからね。お金が返ってこない危険は雇い主が負った方がいいんだよ」
「そういうもんっすか。そういうことなら、お願いするっす」
ロドルフが貸したのは銅貨5枚、感覚的には日本円に換算すると約3万円だ。確かに返せない額じゃないけど、見習いの上に2人を養うことになったカチャには少し重い金額だ。
「いやぁ、遅くなってすまない」
借金の清算を終えたところで、ダミアンさんが帰って来た。
「商業ギルドの職員と打ち合わせがてら食事をしていたら、思いのほか酒が進んでしまってね」
ダミアンさんはテーブルに置いてある水差しからコップに水を注ぎ、一気に飲み干した。
どうやらこの世界にも飲みニケーションはあるらしい。どれだけ飲んだのか分からないけど、顔が真っ赤になっているし、かなりお酒臭い。
「それはともかく、明日の午後には建築工房の職人と家具を扱っている商会の店員も来てくれるそうだよ」
「へぇ、早いですね」
商会はともかく、建築工房へ仕事を割り込ませるのは難しい。と言うのも、建築資材はすぐに用意できないため、それぞれの建設現場への配分が決められているからだ。もちろん、その配分を飛ばす方法もあるにはある。
「ニコラース殿から私たちを優先するようにと連絡が来ていたらしくてね。すぐに対応してくれたよ。まあ、ヴェッセル様が工房長ということの方が大きかったけどね」
そう言ってダミアンさんは笑った。
おそらく、商業ギルド用か貴族用に確保してある建築資材を融通してくれるんだろう。さすがは階級社会、権力者の名前が強い。
「それと、ここの支店長候補だけど、まだ仕事が残っているそうだから、工房へ来るのは3日後になると言っていたよ」
「えっ、もう会えたんですか?」
「偶然行政館で会ったんだよ。仕事中だったから詳しい話はできなかったけどね」
今回紹介してもらうのは、ダミアンさんの昔からの友人で、兵士として領軍に入ったものの、戦闘が不得手のため穀物庫の警備をしていると聞いた。
「分かりました。お会いできるのを楽しみにしておきます」
「それで、そっちの方はどうだったんだい?」
「あぁ、えぇ、まあ、その、カチャが更にやらかしてまして――」
ダミアンさんにカチャが僕たちから離れた後の行動を説明し、今はカチャとルジェナの部屋でイェレくんとリニちゃんの看病をしていることも伝えた。
「……なるほどねぇ」
いくら回復ポーションが早く怪我を治せると言っても、飲めば即座に治る、というような簡単な薬じゃない。骨折した時に僕も使ったけど、あれは細胞分裂や活性化を強制的に引き起こすため、発熱や倦怠感などの副作用があり、大量に使うと体調が悪くなることもあるし、最悪の場合はそのまま亡くなってしまう可能性もある。だけど、放置すれば助からないかもしれないと治癒士が判断したため、回復ポーションを使用したそうだ。
「ということで、あの2人が回復するまではカチャを護衛から外します」
元々訓練として同行させているだけだから、数日程度なら護衛から外しても問題はない。
「それは構わないけど、解体の実演はどうするんだい?」
道具を使えば僕でも解体はできるけど、さすがにカチャのように素手で解体するのは嫌だ。
「それはカチャにやってもらいます。と言うより、他に出来る人がいませんから、やってもらうしかないです」
「それもそうか」
実演してもらうのはまだ先なので、その頃には2人の体調も少しは良くなっていると思う。仮に良くなっていなかったとしても、実演の間だけルジェナに代わってもらえばいい。
「さて、明日も早い。そろそろ休もう」
そう言ってからダミアンさんは席を立った。
「そうですね」
「はいっす」
ダミアンさんに続いて僕たちも仕切りの奥へ移動し、寝巻に着替えてからベッドに入る。そして、今日はあったことを振り返り、明日のことをあれこれと考えながら眠りについた。
◇◇◇
翌朝、ロドルフに馬たちの世話を任せ、カチャと子どもたちを宿屋に残し、まだ日が昇り始めたばかりの時間に、僕はダミアンさんとルジェナと3人で新しい工房へと向かった。
工房に到着後、すぐに共同棟にある食堂の掃除を始め、話し合いができるようにテーブルとイスを並べ、お茶ぐらいは出せるようにと湯沸かし釜の準備もした。そこまで終わると、僕のお腹が『きゅるる』と鳴ったので、みんなで近所にある大衆食堂へ行き、昼食を食べた。
そして、工房に戻って一休みしていると、家具を扱っている商会の店員と建築工房の職人2人が一緒の馬車に乗ってやって来た。
「本日はお招きいただきまして、ありがとうございます。私、ハーメルス商会の副支店長をしております、エメレンスと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
エメレンスさんは細身の中年男性で糸目が印象的だ。
「オラはプラスト工房の職人でディッチ。んで、コイツはガウラだ。よろしゅう」
ぶっきらぼうで訛りの強い口調で挨拶をしたのは白髪交じり初老の男性で、その後ろでペコペコと頭を下げている若い男性がガウラと言うそうだ。
この3人が来たのはプラスト工房がハーメルス商会のお抱え工房で、急ぎで呼ぶのに都合がよかったからのようだ。
「初めまして、私はこの工房の開設を任されているダミアンと申します。本日はお忙しい中、お時間を割いていただき感謝します」
こちらからはダミアンさんだけが挨拶をした。
僕とルジェナは『従業員なので、気にしないでください』といった雰囲気でお辞儀だけした。
挨拶を済ませると、ダミアンさんが今回の依頼内容を説明し、補修作業の目途を立てるために共同棟と個室棟を見て回った。
以前の住人は建物の扱いが雑だったようで、壁や扉にいくつもの傷があった。また、掃除も行き届いていなかったようで、あちらこちらに汚れが目立ち、調理場や水浴び場に至っては腐食している箇所まであった。
「んー、まあ、こんぐれぇなら10日もありゃあ終わるだ」
「補修工事が終わった場所から掃除をしますので、共同棟の方から作業してください」
「分かっただ」
建物の点検と並行して、各部屋に必要な家具の注文を進めた。
引っ越しをする時は、小さな家具は売却し、戸棚やベッドのような大きい家具を置いて出ていくのが一般的なので、今回注文したのは小さな家具が中心だ。
個室棟の部屋には2人掛けの小さなテーブルセットとラック、使われていなかったであろう個室にはベッドすら置いてなかったので、それも注文した。また、共同棟の応接室にあったソファーは古びていたので新しいものに入れ替えることになった。他にも細々とした家具を注文した。
「家具の搬入は補修工事が終わる10日後でよろしいですか?」
「ええ、それでお願いします」
ディッチさんもエメレンスさんも本職だけあって、手際がよく決めることができた。
「次は建築してもらう作業場について説明します」
点検が終わった個室棟を出て、庭を通り、前の住人が訓練場として使っていた場所までやってきた。広さは30m四方、周囲はレンガの壁に囲われていて、地面は土がむき出しになっている。
「場所はここになります。簡易ですが間取りを描いてあるので確認してください」
そう言ってダミアンさんは、事前に描いておいた間取り図をディッチさんに渡した。
正面の奥と右手側に建物があり、図面上だと逆L字型をしている。間取りは正面奥の左が蜘蛛の解体場で右側が真綿を作るための製綿作業場、右手側の建物は奥が真綿から糸を作る製糸作業場で手前が製造された糸の保管庫になる。
「工房用の建物は春までに完成させてください」
「家じゃねぇだで、問題はねぇだよ」
工房用の建物は車庫や倉庫のように、地面にはレンガもしくは石が敷かれ、他には壁と天井があるだけの単純な構造が一般的だ。建築にかかる日数は家屋と比べて圧倒的に短い。特に今回は特殊な設備が要らないので早く終わるだろう。
「それでは春までにお願いします。あとは家具ですが、工房が完成してからになるので……」
「心得ております。工房の進捗状況に合わせて家具をお持ちします」
「ええ、お願いします」
共同棟と個室棟の補修に工房棟の建築、家具の注文、すべてを合わせた支払い金額は白金貨3枚と金貨6枚に銀貨4枚、日本円にしておおよそ2200万円となった。けっこうな出費だけど、これなら商業ギルドからの貸付金の半分で開業できそうなので安心した。
◇◇◇
作業場の建設依頼を出してから1日空けた翌々日の午後、今日は支店長候補の人と顔合わせすることになっている。
プラスト工房の職人たちが作業する様子を眺めながら待っていたら、男性2人と女性1人がやってきた。予想外のことに慌ててダミアンさんが事情を聞きに行った。
「アルテュールくん、すまない。どうも話が正しく伝わっていなかったらしくて、従業員候補も連れてきてしまったそうなんだ」
困り顔で戻ってきたダミアンさんは頭を掻きながらそう言った。
製造方法の一部を秘匿する必要があるから、従業員の雇用は工房の運営方針を決めてからにするつもりだったんだけど、連れて来てしまったものは仕方がない。
「製造方法の詳細を伏せれば大丈夫でしょう。とりあえず顔合わせだけはしておきましょう」
職人たちに作業をいったん中止してもらい、共同棟の食堂で話をすることにした。
「お初にお目にかかります、私はショルス・ヘルムセンと申します。ヴァンニ辺境伯軍第三守備隊に所属しておりましたが、この度ダミアン殿の紹介を受け、職を辞して参りました」
ショルスさんは王都に居を構えるヘルムセン騎士爵家の四男で年齢は36歳、中肉中背でたれ目がちなこと以外にこれといった特徴がない。爵位を継ぐ可能性がなかったので貴族学院ではなく兵士科がある王立学院に入学、3年の学院生活と2年の実務研修後に父親の紹介でヴァンニ辺境伯の領軍に入隊した。しかし、ショルスさんは戦闘が不得手でほとんど活躍できず、閑職である倉庫番に回されていたらしい。
せっかく父親が斡旋してくれた仕事だけど、すでに出世の道はなく、倉庫番という低賃金の仕事しか与えられない状況では妻と3人の子どもを養うのが難しく、転職先を探していたそうだ。
「俺はGランク冒険者のケフィンです。よろしくです!」
ケフィンさんはショルスさんの同僚の息子で年齢は16歳、私塾に2年間通って読み書きを覚え、半年前に冒険者登録をしてからは、町中の依頼を受けながら就職先を探していたそうだ。
読み書きができるなら、ショルスさんの補佐をしてもらうのも良いかもしれない。
「初めまして、ヒセラリーナです。よろしくお願いします」
ヒセラリーナさんの年齢は34歳、旦那さんは露天商で屋台を経営している。子どもは3人、末っ子が5歳になって旦那さんの手伝いを始めたのを機に、働くことにしたらしい。
彼女は普通の主婦で目立った技能はないそうだけど、手先が器用で面倒見の良い性格をしているそうなので、従業員が増えたらまとめ役をしてもらうのが良さそうだ。
「それでは、改めて仕事の内容と待遇について説明しようか。まずは仕事の内容だけど――」
自己紹介が終わり、今度はダミアンさんが工房についての説明を始めた。
事業は蜘蛛の魔物を使った製糸業で、染色や機織りは行わない。賃金は月に銀貨5枚で工房の個室棟に住む場合は銀貨4枚、通常の休みは週に1日で、冬の間は蜘蛛の採取ができないので休業する。そして、春になったら従業員を増やす予定ということも説明した。
なお、工房長がヴェッセルさんということは伏せたけど、商業ギルドの支援を受けていることは伝えた。
「――とまあ、今話せるのはこのぐらいだ。製造方法については魔法契約を交わしてからでないと説明できないからね」
工房で扱う素材が蜘蛛の魔物ということを聞いて、ケフィンさんとヒセラリーナさんは表情を硬くしていたけど、賃金が相場よりも高いことを知ったら目を輝かせていた。
「それで、やっていけそうかい?」
「もちろんです。ご期待に添えるよう努力致します」
「俺も頑張ります」
「はい、私もです」
ダミアンさんの問いに対し、3人は迷うことなく頷いた。




