第十六章 あなただったんですね 其の四(イラストあり)
(イラストはiwajun様)
逃げてくる兎にぶつかられてはっとした。ぼうっとしている暇はない。火を止めるのはその植物使いに任せよう。今の仕事は、獣たちを助けることだ。自分は獣使いなのだから。
ぱちぱちと燃える木々の間から小動物が走り出てくる。
「そうだ。こっちだ。火は魔法使いが消し止めてくれる。逃げることができれば大丈夫だ」
動物たちを順にみちびく。今までの棲みかを追われるのは仕方がないが、生まれた森で山火事が起きるのは自然現象でもあることだ。燃えた森にはまた新しい命が芽吹き再生する。そのときまで生き延びることができれば、動物たちは大丈夫だ。
ふりむくとまだ魔法の火は燃え続けているが、植物はがんばっている。緑の壁からこちらにはまったく火は回ってきていない。木々は燃え焦げて落ちるが、それを上回る速度で新しい芽が芽吹いて枝が吹き出す。
追っ手はどうしたのだろう。見上げると今まで森の一番高かった樹のてっぺんよりもさらに高く、新しい枝が吹き出している。枝と枝は絡み合い森に天蓋を作るように覆い被さっていく。
その上に、行く手を阻まれるように魔法使いの羽がちらりと見えたのが最後だった。植物使いは自分のことは受け入れたけれども、都の魔法使いを拒絶してくれたのだ。
狼とヒグマはどこに降りたのだろう。チェルザードの黒竜は無事に帰っていったのだろうか。
おおかたの獣が逃げたと思われる頃、火を囲む植物の壁をまわって、のっそりとヒグマが現れた。
「無事だったか。よかった……。ジュートは?」
狼にも間もなく会えた。別の狼の一家と一緒に子狼を一頭口にくわえて運んでいる。獣たちを助けるのを手伝ってくれていたのだ。
焦げくさい臭いもだいぶおさまってきている。ふりかえると、火の勢いはずいぶん弱くなり、もう動物たちも逃げた様子だ。
「それにしても誰なんだろう」
もう一度西の方角を確認しつつ狼に話しかけてみる。狼は何か言いたそうだ。
ふと爽やかな香りが西からただよってくるのに気づいた。
心が安らぎ、力がよみがえってくるような、うっとりする香りだ。
「西の方」
「そうです。『風』は力を運んでくれる」
どこかで聴いたような声がふわりと答えた。
顔を上げて、やっぱり、とほっとした。
「アンジェニカ師、あなただったんですね」
目の前にアンジェニカ師が、咲き誇る花々に囲まれて立っていた。
いいえ、とその女性はゆるく首をふった。
「私はモルジェニカ。アンジェニカの双子の妹です」
「妹さん? アンジェニカ師に妹さんがおられたんですか」
このような話、どこかで聞いたことがあると一生懸命思い出しながら、目の前の女性をもう一度しっかりと見た。
「あっ、半透明……? いえ、ごめんなさい。失礼しました」
ふふっとモルジェニカは風がそよぐように笑う。やっぱりアンジェニカ師に似ている。双子だからあたりまえか。
そして急に思い出した。
アンジェニカ師の双子の妹さんは生まれたときに亡くなっている。たしか管理人さんが言っていたことだ。
ぎょっとしてもう一度モルジェニカを見た。
「あの……」
アンジェニカ師にそっくりな妹は笑みをたたえたままこたえた。
「そうです。私の人間としての命は、この世に生を受けて一日で終わりました。本当なら神の祝宴に招かれていたのでしょう。でも私にはアンジェニカがいました。お腹の中で私たちは一つの身体から二つに分かれ、それからもずっと同じ魂を共有していました。片方が死んだからといってどうして急に別れ別れになれるでしょう。アンジェニカは私に身体の半分を与え、私は彼女に魂の半分を与えました。アンジェニカは生きていながら『全きもの』の魂を手に入れ、私はこの世の実体の半分を手に入れることができているのです」
「『全きもの』……」
あまりのことに、ただぽかんと彼女を見つめて立ちつくす。頭の中が整理できない。
森の中にしずかにそよぐ風に彼女の髪や衣装が揺れ、その影の中に身体そのものがときどきすうっと消えていきそうになる。
アンジェニカ師を初めて見たときも、精霊のような人だと感じたものだったが、この目の前の人はなんといったらいいのだろうか。幽霊と呼んでしまってはいけないのだろう。
「あの、失礼だったらすみません。魔法使いは死んだら必ず『全きもの』になるとは限らないと聞きました。でもあなたは『全きもの』なんですね?」
モルジェニカの顔が初めて少しくもり、ふうっと息をついた。
「人間と魔法使いの区別はあいまい」
「はあ」
魔力はどんな人間の中にもある、魔法使いはその力を利用することができるだけだと習った。そういう意味だろうか。しかし普通の人間が『全きもの』になったとは聞いたことがない。
「あなたがたは『全きもの』は特別な存在と感じているかもしれませんが、それは感じる側の問題です。私たちから見れば、すべての魔法使いも人間も同じ道を辿ります。ただおそらく、あなたがた生きている人たちの目に映るのは強力な力を持ち大いなる方の御心にかなう魔法使いだけなのでしょう。それが『全きもの』と呼ばれる人々の姿なのです」
「でもあの、例えばご遺体が出てこないとか、そういうことは関係があるんでしょうか? 僕の師匠のダッジオ師という方が、もしかしたら亡くなったかもしれないんですが、ご遺体が出なかったからということで葬儀をしてもらえませんでした。もしかして『全きもの』になったとか、そういうことは」
「ダッジオ師」
モルジェニカはしずかにつぶやくと、後ろを振りかえった。
花々が咲き乱れるその森の木立の間から明るい光が漏れ出ている。
「『風』はこちらから来ています。力が強くなっているでしょう」
ダッジオ師のことにはそれ以上触れず、モルジェニカは光の来る方を見つめた。
「力が?」
「あなたがたが魔力と呼ぶ力です。下にいるときより使える力が強くなっていませんか」
「そういえば」
都から来た魔法使いたちは自分より経験豊富で強力なはずだ。その彼らを自分と狼、ヒグマと竜だけで撃退してきたのは偶然ではなく風の影響で魔力が補われていたから、ということだろうか。
「でも、『風』の影響を受けるのは僕だけじゃありませんよね。都から来た魔法使いたちだって、当然『風』の力で魔力が強くなるんじゃないですか?」
「『風』の影響を受けやすい力とそうではない力がある」
突然、その光の中から聞いたことのある声がこたえた。
―――――――――――――――――――――――
今週も読んでいただきありがとうございます<m(__)m>
文字数少ないので12時に続きの章を投稿いたします。




