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谷間の風のはじまるところ  作者: 猫洞 文月
イラスト大全集
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第十六章 あなただったんですね 其の三

 上空から見ると山の状態がよく見える。

 谷川をはさむ山のほとんどは、今来たところのような木々に覆われている。北側の山のさらに向こうには、故郷がそのふもとにあるプトロ・アリ(白大山)が、夏も白い頂を見せてそびえている。

 『谷間の風のはじまるところ』はこの谷川を遡っていかないといけないのだろう。

「地上に降りなくちゃね」

 飛んでいくのは楽だが、狼やヒグマは乗り心地が悪そうだ。そもそも竜は獣を乗せるには不向きだ。

 急に狼が鼻を左後方に向けた。なにごとかと振り向いてみると、魔法使いたちが翼を広げて飛んできている。

「魔道具か……」

 考えてみれば当たり前だ。ラジュエル自身も、竜が来る前は魔道具の羽で飛ぶことを考えていた。しょせん、彼らから学んだ魔法だ。同じことをしていては彼らの方が経験も豊富で腕がいいのはしょうがない。

 黒竜がおおきく首を後ろにめぐらせ、ごうっと口から炎を吐く。

「うわっ!」

 一番前を飛んでいた魔法使いの羽に火がついて燃え上がる。羽をなくした魔法使いは真っ逆さまに谷底へおちていく。

「ヴァルズ!」

 後ろの誰かが助けに飛んでいくのがちらりと見えた。

 本当にこれは生きた本物の竜なのだ。

 助かってありがたいと思うと同時に、身が引きしまる怖さを感じる。本来なら人間の敵にもなる存在――。今、自分たちを助けてくれているのはひとえに竜とチェルザードの強い絆があるからなのだ。

 そのチェルザードの好意を無駄にしてはならない。

「ありがとう、僕たちはやっぱり歩いて『谷間の風のはじまるところ』に行かないといけないと思うんだ。どこかで降ろしてくれる?」

 言葉で通じているのかどうかわからないが、竜はそのまま大きく翼を広げ、谷川の対岸をめざしている。

 対岸に近づく前に竜はもう一度、追ってくる魔法使いめがけて火を吹いた。今度はさっきより火が大きい。向こうも用心していたのか、うまく逃げた者もいたが、二人の羽に火がついた。

 のんびり竜から降りている時間はないかもしれない。

「飛び降りよう。ジュートはいいとして君は大丈夫かな」

 ヒグマがふんと鼻を鳴らす。『力あるもの』を馬鹿にするなというように。

「よし。一人ずつ降りよう。まず僕が行く。下から君たちを支えるよ。できるだけ同じところに着地したい」

 心得たというように竜がラジュエルに、ちらりとその鋭い目を向けた。なんとなくチェルザードに似ている。

「ウォルフェス・ペナンタ・マジョリス!」

 魔法の羽を広げる。

 谷川を超えた北側の森の上空を低く飛ぶ竜からぱっと飛び立つ。

「ラジュエルが逃げるぞ!」

 追っ手の声がする。そうか、彼らの追ってくるのは自分なのだから、すこし落ちついてから獣たちを迎えた方がいいのだろうか。しかし、竜というのはどのぐらい体力があって獣たちを乗せていてくれるのだろうか。決着をつけるなら、できるだけ早いほうがいい。

 すぐ下に森の木々がせまる。上からは追っ手の魔法使いが来る。木の中に隠れてしまえれば自分は助かるだろう。しかし狼とヒグマをどうやって助ける。

 森に飛び込む前に羽はたたまないといけない。木々にひっかかるからだ。うまいこと、木の枝につかまれるといいのだが。

「いいぞ!」

 羽をたたんで飛び降りる目の前に、ちょうどよい太さの枝がある。足で一度着地し、衝撃を緩和したところで、バランスを取り目の前にあった別の枝に両腕でつかまる。そのまま身体をゆすってもう一本下の枝に足をついた。太い幹につかまってここからゆっくりと地面に降りればいい。

 上を見ると今しも魔法使いが木々の間につっこんでくるところだった。

 ばさばさと音がして魔法使いの羽が枝にひっかかった。うまく羽をたためずもがいている。ラジュエルはそのあいだに素早く木を降りた。

――ジュート、そっちはどう? 

 聞こえるかどうかわからないが、姿の見えない狼に呼びかけてみた。

 返事は言葉ではなく映像で返ってきた。

 今目の前にあるのは森なのだが、まるで記憶の中の映像のように頭の中に空中の光景がありありと浮かぶ。

 狼が竜の背から飛ぶ。羽もないのに狼はまるで空を駆けるように両足を蹴って森に向かって飛び降りている。竜の背からためらいがちに下を見ていたヒグマも、意を決したように狼につづいて竜の背から飛ぶ。

「あぶな……」

 大丈夫だろうか。ヒグマはまだ狼ほど『力あるもの』としての経験がないはずだ。しかも体重は何倍もあるだろう。

 思わず両腕を上に挙げた。ヒグマがもし重すぎて飛べないなら魔力で支えればいい。しかし次の瞬間、バサバサと音がして一人の魔法使いが木々の間をすり抜けて目の前に飛び降りてきた。

「できれば殺さず連れ帰れというご命令だ。しかし、できないときはやむをえん」

 魔法使いは両手を合わせると、なにもない掌からすらりと光の剣を抜きはなった。

 仕方なく背中に背負っていたトネリコの杖を抜く。

 剣対杖の勝負はチェルザードと対戦して以来だ。あの時は必死だったが今はすこしはわかっている。だがこの相手がもしチェルザードより強かったら――。

 ガキンと剣と杖が合わさる。もちろん木の杖なので本当なら金属にかなうはずはない。そこは自信があった。魔力を込めることで素材の勝負ではなく魔法の強さで勝負できる。といってもまだ『学びの塔』で一年半ほどしか学んでいない自分が、この老練な魔法使いに魔力で勝てるのだろうか。

 不安になった一瞬に打ち込まれて、とっさに防いだ杖を持つ手がじいんとしびれた。

――いいかい、自分を信じるんだよ。

 聞こえてきたのはなぜか婆様の声だ。

 そうだ、ここで信じなくてどうする。自分にできること、すぐれていること。魔力では勝てないかもしれないが体力と運動能力は自信がある。チェルザードと訓練も積んできた。

 だが、すぐに守りに徹した方がいいのに気がついた。敵はかなりの使い手だ。攻撃しようと打ち込む隙をすぐにつかれる。チェルザードに教わったのは剣術のほんの初歩段階だったのだと今さらながら気がつく。本当はもっと時間をかけて教わればよかった。だが、早く『谷間の風のはじまるところ』を目ざしたかった。

「そこを目ざすことが僕への導きなら」

 打ち込みながら考える。

「助けは必ずある。大いなる方の御心のままに!」

 ガキンと打ち込まれる剣を防いだ杖の先からぱあっと光がひろがる。

「なんだと? いつのまにこんなことまで……」

 あっと叫んで魔法使いは持っていた剣を取り落とす。まるで熱い物にでも触れたように。敵が落とした剣を蹴って遠くの藪の中に飛ばす。

 ちっと舌打ちして魔法使いは懐から短い杖を取り出すが、ラジュエルの方が一瞬速い。

取り出した相手の杖をトネリコの杖でたたき落とした。

 しかしここからが苦手だ。とどめをさすということがどうしてもできない。

 狼とヒグマはどうしただろう。さっき竜から飛び降りたと思ったのは自分のただの想像にすぎなかったのだろうか。

 魔法使いは武器を持たないままじりじりと距離を保ってラジュエルと睨みあう。

「火を放つぞ! 離れろ」

 突然、上空から声がかかった。

「わかった! あとは頼む!」

 魔法使いが背を向けて逃げ出す。

 火を? ここに?

 ぼうっとしてしまった一瞬に、目の前に荒れ狂う炎が広がっていた。

 幻覚ではない。木々は燃えさかり火の粉が飛び、煙が目をつく。

「水を……」

――水を出してはいけない。

 消そうとして杖を持ち上げたとき、ダッジオ師の声が響いた。

 都の獣舎でダッジオ師が亡くなったときの大爆発を思い出した。これは魔法の火だ。

あのときはファードル師に頭から水をぶっかけてしまって怒らせた。そのファードル師が何かをして大爆発を起こしたのだった。

 しかしこれでは山火事だ。故郷でも山火事は経験したことがある。何日も山の木々が燃え続け動物たちが逃げまどい大変だったのだ。あのときはまだ子供だった。どうしたのかはっきりとは覚えていないが、結局自然に収まるのを待ったと思う。

「そうだ、獣。森の獣たちを逃がさないと」

 狼とヒグマはどうしただろう。彼らの前にもこの炎が広がっているのか。

 ぐずぐずしていると自分も火に包まれてしまう。踵(きびす)を返してさっき魔法使いが逃げたのと反対の方へ逃げようとした。

 ところが、すさまじい音とともに、また目の前に炎が広がる。

 急に恐怖をおぼえた。

 故郷の村で天変地異を見た。あのときも目の前で氷の柱に囲まれたり炎が燃えさかったりした。今は魔法だとわかってはいるが、魔法は幻覚ではない。ファードル師は本当に黒焦げになって亡くなったのだった。

 水で消すことがかなわないなら、何かで自分を守るしかない。しかし、狼とヒグマは。森の木々は。

「師匠、どうすればいいですか! 僕は、僕は獣や森を護りたいんです!」

 その言葉と、いきなり起きた変化のどちらか早かったかわからない。

 ばちばちと轟音をたてて燃える火の前に、急に地面から何かが立ち上がり、緑色の壁を作っていく。

「これは……?」

 植物。そう、それは植物だった。

 魔法ででもなければこんなに急激に植物は成長しない。誰かが強力な魔法を使って植物を地面から芽吹かせ壁になるほどの厚みをもたせ、炎を防ぐ緑の壁を作ってくれているのだ。

 誰かがいる。都の魔法使いが仲間割れしたとは思えない。

 ダッジオ師か? しかし、師匠は獣使いだ。

 植物はほうぼうからにょきにょきと生え、炎を囲んで包むように成長する。その植物をも炎は燃やそうとするが、燃えて黒焦げになってもまたその枝から新たな芽が芽吹き、地面から新しい枝が伸びてくる。

「アンジェニカ師?」

 もしアンジェニカ師だったら、これほどの植物魔法を使えるのかもしれない。しかし、追っ手にトゥーリオ師がいるということは、都の魔法使いたちはみんなマルリオス師の手の者と思った方がいい。

 だったら誰だ。『荒野』の誰かか、森にすむ自分の知らない魔法使いが誰かいるのだろうか。それとも人間以外の?


――――――――――――――――――――――――――――

今週も読んでいただきありがとうございます<m(__)m>

来週もよろしくお願いいたします(^^♪




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