第十章 魔法騎士団 其の三
目の前の景色がゆっくりと回転し変化する。
遠くの暗い空、塔の周辺の夜の町、そしてダッジオ師が立ち上がってこっちを見ている塔の屋上が見える。
椅子ごとひっくり返って下を見ているのだ。
「椅子を放せ!」
言われて手を放した。どのみち椅子はもう身体をつなぎ止める役には立っていない。
放した椅子はそのまま落ちていき、ダッジオが片手を振るとすぐにぴかりと軽く光って消えた。
身体はそのままゆっくりと回転し、また空、町、塔の屋上と見える場所が変わっていく。 ラジュエルは浮き続けた。
周りの雲がごうごうと渦巻き、黒い影と見えていたものが竜の形に変化する。
竜がうようよ泳ぐ暗い海に浮かんでいるようだ。
ここが空でなければ。
竜の上に、よく見ると人影がある。
それぞれの竜に一人ずつ、人が乗っているように見える。
ちらりとあの白髪が見えた。
「チェルザード……?」
鋭い視線が射るように一度わきをかすめ、すぐに竜ごと過ぎ去っていく。
本当にそれがチェルザードなのかどうかよくわからなかった。
塔から上がる白い炎のような光が、一段と強くなった。
ぼうぼうと燃えるような音があがる。
ラジュエル自身はその炎の中、おそらくかなり上の先端の方にいる。
炎のような光が一層強くなった。
と思うと、急に屋上の中心部からひときわ強く明るい光の束が立ち上がる。
「あっ!」
光の束はまっすぐにこちらに向かってきたかと思うと、お腹の辺りにどおんとぶち当たった。
「うわ……」
なんという衝撃だろう。熱いような痛いような、頭がくらくらするような。
つづいて身体がかっと熱くなり、次は冷水に飛び込んだように急に体中が冷たくなった。
今やってきた力が、背中の方から一気に抜けていく。
何かが突きぬけたのだ。
今の衝撃で身体の回転が速くなりごほごほと咳き込む。
、ぼうっとした目に、突きぬけた光がさらに上空へ向かうのが見えた。
「マルリオス師……?」
炎のような光は、上空で長い髪をなびかせたマルリオス師の姿の光になり、周りに星を放った、ように見えた。
きらきらと光る光の粒が、あたりを囲む黒い雲にまき散らされる。マルリオス師が腕を振るたびにシュウシュウと鋭い音が雲を引き裂き魔物のギャアとうなる声がする。
光の粒の周辺の暗雲が雪が溶けるようにすうっと消えていく。
あれは魔物を祓っているのだ。
考えながらくるくると身体は回転し、『学びの塔』の屋上からわずかずつ離れていく。
離れて離れて、炎の外まで投げ出された。
そのまま、ぽおんと放り投げられるように、身体は下に向かって落ちていく。
――落ちたら死ぬ。
とダッジオ師が言った。
死ぬのか。このまま死ぬのか。
助けて、と言いたかったが声にならない。
――大いなる方。
思わず目を閉じて祈る。
そのとき。
急に力強い腕に抱きとめられた。
「あ?」
思わず目を開けると、目の前にダッジオ師の顔がある。
地面には叩きつけられていない。まだ宙に浮いている。
幻覚だろうか。ダッジオ師に羽がある。
天の使いのようにダッジオ師が羽で飛んで、自分を抱えてくれている。
これは夢か。きっとそうだ。
もう死んだのかもしれない。いつのまにか。痛みも感じることなしに。
――痛くなくてよかった。
安心したせいか、そのまますうっと意識がなくなった。
夢の中でダッジオ師の声がする。誰か女の人と話している。
「……それにしてもひどい話ね」
「マルリオス師の考えそうなことだ。俺はやっぱり王城づきなんかにゃなれん」
「それでよかったのよ」
ぼんやりと薄暗い中、目が覚めて、夢ではないのかと思う。
寝かされている。ここはどこだろう。小屋の中のようだ。故郷の家のような木の窓がある。温かい毛布がかぶせられている。
まだ頭がガンガン痛いのでそのままじっとしていた。
「苦労かけるな」
ううん、と優しい声がこたえる。
「助けなかったら死ぬところだったんでしょ? 見殺しになんかできないわよ」
「俺のことを本気で師匠、師匠って呼んでついてくる馬鹿だ」
「いい獣使いになるわね」
「獣使いどころか騎士様だ。こんな奴を使い捨てようなんて連中もどうかしてる。俺は……、いや、いい。仕事は大事だ」
話されているのが自分のことらしいので、もうすこし寝たふりをしている。
隣の部屋はほの明るい。子供の声が聞こえ、食事をしている様子だ。ダッジオ師の家なのだろうか。
薄暗い中、目が慣れてくると、寝かされているのは家族で寝るような大きなベッドであることがわかった。
会話や子供の声は続き、自分の話以外の話に話題が移ったとき、そうっと起きてきて顔を出した。
「あっ起きたのね。もう大丈夫? 何か食べられそう?」
「ありがとうございます。できれば何か飲みたいです」
椅子から腰を上げたのは、話に聞いたとおりかわいらしい奥さんだった。
「おまえ、丸二日寝てたぞ。宿舎の方には連絡入れといたがな」
「そうなんですか」
三人いる子供の一番上と見られる男の子が丸い木の椅子を運んでくれたので、ありがとうと言って座る。妹のモラナぐらいの年だろうか。家族はどうしているだろうと急に懐かしくなる。
奥さんが温かいスープとエールを運んでくれた。口にしてはじめて、すごくお腹がすいていたことに気がつく。一気に飲むと、
「おかわりは?」
と言われたのでありがたくもらう。
水分が入ると食欲も出てきて、結局パンとハムももらうことになった。
窓の外は日暮れて薄闇色になってきているが、木々がすぐそばまでせまっている気配がする。ここはどこだろう。町中ではなさそうだ。どこかからふくろうの声が聞こえる。
「……森ですか?」
窓を見ながら訊くとダッジオ師がそうだとうなずく。
「まだ話してなかったな。おれは『学びの塔』の師匠をはずされることになった。獣学ももうなくなる」
「えっ……!」
噂はされていたが本当に獣学はなくなってしまったのか。
「今少しずつ獣舎の獣を森に連れてきているところだ。手伝うか」
「もちろん、手伝いたいです。それで、これからどうするんですか? 師匠は」
「もう師匠じゃない。ダッジオでいい。ファードル師から王室づきの獣使いになるか森番になるかと提案されて、森番の方を選んだ。親父もやってた仕事だからな。俺にはこっちの方が合ってる」
いきなりダッジオでいいと言われてもどうしてもそう呼ぶ気持ちになれない。
「……いや、やっぱり師匠と呼ばせてください。僕にとっては獣学や魔法を教えてくれた大事な師匠なんですから」
「馬鹿だな、相変わらず」
ほんとに苦しいようにダッジオ師は一度顔をしかめ、食事を続けた。
なんと言っていいかわからなくて、もしゃもしゃとただパンを食べ続ける。ちら、と奥さんの方を見るとにこっと笑って、
「おかわりいる?」
と訊いてくれた。
「いえ、十分いただきました。ありがとうございます」
言って、帰ります、と席を立ちかけると、
「ここから町まではかなりある。日が高くなってから行け。今日はここで泊まった方がいい」
ダッジオ師が言って、家族と一緒に泊まることになった。
故郷の家のような感じがする。
「ラジュエル、狼使えるの?」
「羊飼いって何するの?」
子供たちが訊いてくるのに、ひとつひとつ答えると目をかがやかせて聞いては膝に乗ってきたりする。ダッジオ師は暖炉の横で鳥の羽をなにやら細工していて、奥さんは部屋の隅で赤ちゃんに授乳している。
ベッドは大きくて家族みんなでごろごろと横になる。
眠っていると小さい子が転がってきて蹴飛ばされたり踏まれたりする。
故郷に帰りたいと痛烈に思う。
ダッジオ師が森番に戻ったように、自分も父さんと一緒に羊飼いに戻るんだ、魔法も何もかもなかったことにして。
そこまで考えて、ミリュウは、と急にずきんと胸が痛くなる。
ミリュウはきっと、ここで魔法使いになっていくんだろう。僕が故郷に帰って羊飼いになるなら、たぶんもう会えなくなる。
でも、このまま『学びの塔』に戻って、ダッジオ師もいなくて、自分は一体どうなるのだろう。マルリオス師は自分が『白い火柱の儀式』でしたことをどう思っているんだろうか。
考えているうちに夜は更け、みんなの寝息が聞こえる。
どこからか狼の遠吠えが聞こえる。でもあれはデュカスじゃない。僕のデュカス、狼とも離ればなれになるのかどうか、それも決めないといけない。
夜が明けると森は雪に覆われ、朝日がきらきらと照り映えていた。
「こういうの、懐かしいです。僕の故郷は雪が多いところだったから」
「靴に縄を巻いていく? 雪に埋もれるといけないから」
「ああ、そうですね。貸してもらったら僕、自分でやります」
靴に縄を巻きつけていると、ダッジオ師が紐に通した羽根のようなものを持ってきた。
「ラジュエル、もう教えることはないと思うが、これをやる。魔道具のひとつで、見りゃわかるが、羽だ。もしまたあんなことをやらされたとき、これが使えれば自分で飛べる」
驚いて師匠を見上げた。
「やっぱり師匠、飛んでたんですね。夢かなと思ってました」
「馬鹿もん、夢で塔から落ちて助かるか。持ってってよかったよ。使うつもりはなかったんだが。というより使わなくてすめばいいと思っとったが、悪い予感に限って当たりやがる」
一見、普通の鴉の羽ほどの大きさの羽のようだが、艶やかに磨かれた石でできているようにつるりとしている。
「何でできてるんですか?」
「鳥の羽と鉱石と、なんやかやだ。習っただろう。鉱物学かなんかで」
「……いやあ」
「何を勉強しとったんだ、ボケカス」
ぱしりと頭をはたかれ、師匠が元気でよかったと思う。
「その分じゃ使い方も知らんだろう。都に戻る前に練習していけ。いいか、魔道具はな、その由来によって効力がちがう。最も効力が弱いのは力ずくで相手から奪ったもの、とくに相手を殺して手に入れたものは下手すると呪いがかかることがある。低い順から、拾ったとか理由なく手に入れたもの、買ったもの、作ったもの。一番力があるのは贈られたものだ。相手のために心を込めて作り、贈られて、さらに祝福をこめられたものが一番いい。その意味ではおまえのトネリコの杖は立派な魔道具だ。そういうものが本当に命を護ってくれる」
トネリコの杖。
村を出てすぐ、樹の精に殺されそうになったとき、たしかにあの杖が命を救ってくれた。あれは婆様に言われ自分で選んで作り、神官様に祝福してもらったのだった。
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