第九章 『荒野』の魔法使い 其の四
「……ほんとにいい子だったのに……。かわいそうに」
「僕も彼のことは好きだったよ。残念なことだ」
階段を降りてくる足音と、会話する声に目が覚めた。
起きようと身体を動かすと頭がくらくらする。
ノックもなくいきなりドアが開いた。
「おはようございます」
言われたトゥーリオ師は、ぎょっとしたような顔をした。
「あ、ああ、おはよう」
「ラジュエル! 無事だったのか! よかった、よかった」
後ろから現れた管理人のおじさんが駆けよってきて満面の笑みで、横たわっているラジュエルの手を握りしめた。
トゥーリオ師も戸惑いながらも穏やかな笑みを浮かべた。
「具合はどう。君の様子を上に報告しなくちゃいけないんだ」
「ええ。ちょっと頭が痛いです。それから……」
起き上がろうとするとまためまいがする。
「無理しちゃいかんよ。お腹すいてるだろう? 何か持ってきてやっていいですかね」
「ああ、頼むよ。普通の食事なら構わないだろう」
運ばれてきたパンと温かいシチューとエールを食べていると、だんだんと身体に力が戻ってきた。
普通の食事とトゥーリオ師は言ったが、宿舎の食事は魔力を強化する献立だと聞いたから、これは魔法使い用ではなく普通の人たちが食べるような食事なのだろう。食べていると、扉の外で物音がした。
「おっと、気をつけて」
「はい。しかし、こうして持ってみると意外と小さい奴ですねえ。昨日は暴れてたからでしょうか。もっとずっと大きく見えたんですが」
「それが古代魔法だよ。獣が敵を威嚇するときに自分を大きく見せようとするじゃないか。原始的な魔法だ。最後に力を振り絞ったのかもしれないね」
思わず音のしないようにそうっと扉を開けた。
白い布で包まれた大きな何かをトゥーリオ師と管理人が運んでいる。
最後に――。
つまり命を落としたのか。
自分がアルダムド師とエスケレス師に助けてもらっていたあのとき、同時に別の誰かが命を奪われていたのだ。
助けが来なければラジュエル自身もあのようになっていたのだろうか。
さっき階段を降りながらトゥーリオ師と管理人が嘆いていたのは、ラジュエルも死体になっていると考えていたのだ。
そこまで考えてぞっとした。
自分は殺されるような悪い魔法使いだと認識されているのだ――。
そのとき、死体を運んで後ろ向きに階段を登るトゥーリオ師と目が合ってしまった。
慌てて引っ込んだが、
「ラジュエル」
と呼ばれた。
「君の話を聞かないといけない。あとで来るからもう少し待ってて」
「……はい」
言われて扉を閉めた。
食事をすませてしまわなければと、お盆に向かったが急に食欲がなくなった。
命を落とした誰かは、古代魔法を使っていたようだ。自分が以前、ここで歌ったときも古代魔法と疑われていた。
お盆を膝からおろして、跪いて大いなる方に手を合わせた。
答えはない。
なにも啓示は感じられなかった。
なぜその人は死んで、ラジュエルは助けられたのか。
答えはなかったが、しばらく祈っていると気持ちは落ちついてきた。
ともかくも食事をしよう。食べられるときには食べておこうと思った。
せっかく管理人が気をつかってくれたのだから。
しばらくして戻ってきたトゥーリオ師は、扉を閉めて立ったままラジュエルに向き合った。
「何があった? というより、無事だったんだね。君は何も感じなかったのかい?」
「いえ。苦しかったです。周りからうめき声が聞こえたけど、僕も息が苦しくて。一度気を失ったと思うんですけど……」
「どうやって元気になったんだい?」
あの不思議な話し声のことを、言うべきか迷った。
しかしただの夢かもしれない。
それになんとなく、真相がわかるまで言うべきではないような気がした。
「よくわかりません。夢を見たような気がするんですけど、どんな夢だったのか覚えていません」
「そう、夢をね。まったく覚えてないのかい? 少しでも、こんな感じってのはわからない?」
「わかりません」
「ふむ」
トゥーリオ師は顎に手を当てて少し考え込んだ。
「まあ、儀式も済んだことだし、一度部屋へ帰っていいよ。どっちみち今ここにいる意味はもうなくなったからね」
「あの……どういうことだったんでしょう。僕のほかにいたあの人はどうなったんですか?」
「うん……。残念な結果になってしまったよ。悪い力が僕らの予想以上に入りこんでいたらしい。生き残ったってことは、君の力は悪くないんだろう。あまり気にしすぎない方がいい」
沈痛な顔でぽんぽんとラジュエルの肩を叩くと、トゥーリオ師はまた上へ戻っていってしまった。
ため息を一つつき、残りの食事を食べてしまうとラジュエルも地上へ向かった。
ひどく疲れて身体が重かった。
部屋へ帰れと言われていたので、今日の講義は諦めて宿舎の部屋へ帰った。
お盆を返しに管理人室へ行くと彼は心配そうに立ち上がってお盆を受け取った。
「大丈夫かい? 今日はゆっくり休みなさい。昼の食事も部屋へ届けてあげるよ」
「すみません」
「いやあ、しかし、よかったよかった」
いったい儀式の間に何が起きて、なぜあの人は命を落とすことになったのか知りたかったが、管理人に聞くことではないように思えた。
話してくれるとすればダッジオしかないだろうが、彼も教えてくれるとは限らない。なんとなく、ダッジオすら本当のことをすべて語ってくれているのではないと感じる。
諦めて部屋へ戻り、ベッドで休んだ。
昨夜はある程度眠れたと思っていたが、自分のベッドに戻ってみるとやはりひどく疲れが出て、またぐっすり、夢も見ずに眠り込んでしまった。
ノックの音で目が覚めた。
管理人かと思い、寝たままで
「はい、どうぞ」
と答える。
なかなか返事がないので、どうしたかと思って入口の方を見て驚いた。
「ミリュウ……!」
「ごめんなさい。休んでた?」
「いや、ぜんぜん。大丈夫だよ」
慌てて飛び起きて、着ているものや髪を整える。
「いいのよ、寝たままで。昨日、地下牢で一人亡くなったそうね。あなたが大丈夫だったのか心配したのよ。無事でよかった」
ミリュウは近づいてくると、手に持った籠から焼き菓子を出してくれた。
「ありがとう」
「この椅子、借りてもいい?」
「あ、うん」
「大丈夫。このぐらいできるわ」
立ち上がりかけると、ミリュウは自分でベッドのそばに部屋の椅子を持ってきた。
心配をかけてはいけないと思い、ベッドの上で焼き菓子を頬ばる。
「食欲はあるのね。安心した。でも、顔色が悪いわ」
「大丈夫だよ。ちょっと疲れたような気がしただけ。いつものベッドじゃないから」
「そういう疲れ方じゃないでしょ。だってあなたは羊飼いだもの」
「羊飼いだから?」
「羊飼いは放牧の間、外で寝るでしょ? いつものベッドじゃないぐらいで、あなたがそんなに弱るとは思えない」
内心でおどろいた。
やはりミリュウは頭がいい。
「……君にはかなわないな。うん、たぶん、魔法の何かの力だったんだよ。僕が悪かったんだけど」
「悪い? あなたが? そんなはずないわ。だって、あの場所であなたがしていたこと、全部師匠たちは見てたじゃないの。止めようと思えば止められたはずだわ、あなたが魔法を使う前に。ダッジオ師も地下に閉じ込められてたっていうし、なにかおかしいわ」
「うん。ダッジオ師のことは、僕も変だと思うけど……。その話もファードル師は考えてくれているはずだよ」
「叔父が……」
「ああ、ごめん。僕が君の叔父さんの名前を呼んでしまったから。でもあれも僕の誤解だったかも」
ううん、とミリュウは悲しそうな顔で首を振った。
「少なくとも、『荒野』の魔法使いの仕業じゃないかと思うの。叔父は偉い魔法使いの弟子に選ばれるぐらい力のある魔法使いだったみたいだし、今はおそらく『荒野』に出てしまったんだから、絡んでる可能性は高いと思う」
なんと返事をしたらいいか、わからなかった。
ラジュエル自身も、チェルザードの仕業ではないかと思っている。
ファードル師に叱られたけれど、『もしちがったら』と仮定の形で言われた。
ということは、当たりだったのだ。
ヤマ勘にすぎなかったけれど、あそこでチェルザードの名前を呼んだ途端、変化が起きた。それはダッジオの言ったように、師匠たちが力を添えたのだろうけれども、正体が図星だったからこそ、魔力が発揮されたのだろう。
「でも、どうして『荒野』の魔法使いは、今頃になって塔に攻撃を仕掛けてきているんだろう。僕が来る前から『学びの塔』はずっとここにあったし、『荒野』の魔法使いもいたんだろ? 最近、どんな変化が起きたっていうんだろう」
ミリュウは首をふった。
「わからない」
「……そうだよね」
「でも、もしかしたら、あなたに関係があるんじゃない? 私、いろんな人に話を聞いたの。女子宿舎はほら、トゥーリオ師とよくお話しする人とかいるじゃない。あなたが来る前はこんなことってなかったみたいなの。あなたが来る途中にも、叔父の方から接触してきたんでしょ? だから、あなたか、あなたの狼が何か関係してるんじゃないかって」
「言ってた?」
「ううん。それはただの私の推測なんだけど」
「やっぱり君ってすごいね。もう一つ知りたいことがある。アルダムド師って、実は力のある魔法使いだったみたいだけど、どうして『学びの塔』を去ったんだろう。僕に狼を託されたのはたぶんアルダムド師だけど、あのとき、彼はたった一人で雪の中で命を落とした。いや、『全きもの』になったんだろうけど。マルリオス師が総長になってアルダムド師が去ったのには何か理由があったんだろうか」
「ええ、考え方の違いがあったみたいね。マルリオス師は古代魔法を徹底的に排除しようとした。一方アルダムド師はゆるやかに新しい魔法と古い魔法を統合しようとした。結局マルリオス師が残ったのは、王様が古い魔法をよしとしなかったからだって。これは叔父から聞いた話を、あとで父が言っていたことなんだけど」
「そうだったのか」
「アルダムド師が『学びの塔』を去ったとき、叔父だけじゃなく、たくさんの優秀な魔法使いたちが塔を去ったんですって。その人たちは今は『在野』になったり、一部は『荒野』の魔法使いになってる。だから『荒野』の魔法使いたちは、古い荒々しい魔法の使い手が多いのよ」
それで――。
ラジュエルがはじめて地下に行かされて羊飼いの歌を歌ったとき、アンジェニカ師が慌てて飛んできた。狼に仕事をさせている、と疑われた。
そのとき、一緒にいたダッジオは、こいつはチェルザードとは関係ないと言ってくれた。あれはラジュエルが『荒野』の魔法使いの一味で、『学びの塔』に古い魔法を仕掛けてきたと疑われたのだ。
「彼らは狼を手に入れたがってるんだろうか。君の叔父さんを最初見たとき、彼の歌に狼が反応して立ち止まったんだ。僕はそのとき、狼が彼を懐かしがってるような気がしたんだ。チェルザードは一度は狼と一緒にいたんだよね」
「ええ。村へ戻ってきたときは一緒だったわ。アルダムド師は一緒じゃなくて一人だったけど」
「狼が僕を護ってくれたように、チェルザードも狼と一緒に魔法を使っていたのかもね。それこそ『相棒』だったのかな」
羨ましいような気持ちがわき起こってきた。
アルダムド師に認められて狼を託されて、後継者とみなされるほど、彼は実力があったのだ。
その後、どうして別れることになったのだろう。どうして狼はまたアルダムド師のもとへ帰ることになったのだろう。
「野生の魔物や獣は人間に従わないで強い力を持ってるから危険だけど、狼のような『力あるもの』が人間の魔法使いと協力すれば、大魔法使いでも出せないぐらい強い力を持つことができるの。狼自身も原始的な強い魔力を持っているから。だから危険でもある。制御が難しいって言われてるわ。マルリオス師はその制御不能なところを嫌っているみたい。あの方は数学魔法の大家だから、理屈で割り切れないものが嫌いなのよ」
「そうか。原始的な力は理屈じゃ説明できないんだね」
ええ、とミリュウがうなずいたところへ、遠慮がちなノックの音がした。
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エール:ヨーロッパで飲まれていた大麦胚芽から作られる酒の一種。昔はホップが入っていないものをエール、入っているものをビールと区別していたが、現代では区別はない。中世ヨーロッパでは新鮮な飲み水が手に入りにくく、エールは飲料としてまた栄養補給食品として重要なものでした。
今週も読んでいただきありがとうございます<m(__)m>
今年最後の投稿です。来年はまた1月3日(日)投稿予定です。
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