第九章 『荒野』の魔法使い 其の三
「おまえはあのとき、チェルザードと呼んだな。なぜチェルザードだとわかったのだ」
尋問のように厳しいファードル師の声が部屋に響く。
「わかったわけじゃないんです。ただ、あのとき、獣が最後に聞き取れない言葉を言いましたが、僕がチェルザードと会話したとき、彼が名乗ったのもあんな響きだと思ったんです。だからそうじゃないかと」
「それではおまえは、確信も持てないのにチェルザードだと決めつけて魔法を使ったのじゃな?」
「……すみません」
「自分がどんなに危険なことをしたのか、わかっておるのか。もしちがったらおまえばかりではなく、この『学びの塔』全体が大きな損害を受けてしまったかもしれんのじゃぞ」
氷のように冷たい視線で射すくめられる。
「そういうことは教えていませんでした。今回のことはご容赦願います」
並ぶ師匠の中からトゥーリオ師が遠慮がちに口を挟んだが、ファードル師は強く首をふった。
「今回のことばかりではない。つい先日も獣舎には近づかんようにと注意したばかりじゃ。いくら学生だからと言って甘く見て済ませられることではない」
「待ってください。今回のことは、何か外部から仕組まれたと考えられませんか。俺が地下に閉じ込められたことといい、偶然にしちゃおかしすぎる」
ダッジオがきっぱりと意見する。
「それはそれで考えておる。じゃが、この学生はちと出しゃばりすぎじゃと言うておる」
ちらりと師匠たちの顔を見ると、ダッジオもトゥーリオも難しい顔をしている。
自分のしたことはそんなに悪いことだったのだろうか。
師匠たちが先に助けてくれれば、あんなことにはならなかったのに。
「この学生をしばらく地下に移すように。ことの真相がわかるまで出してはならん」
「……はい」
トゥーリオが重い返事をして、ラジュエルの腕をそっと引いて部屋を退出した。
一晩ぐらいなら我慢できるが、ずっと窓もない地下の部屋に閉じ込められると思うと気が滅入る。
「どうしてあの時、師匠たちは誰も何もしてくれなかったんですか? サマル師が危険にさらされていなければ僕だって……」
我慢できなくなってついトゥーリオ師に本音を言った。
「君も気持ちはわからなくもない。でも考えるべきだったね。なぜみんなが手出しをしようとしないのかって。無能だから何もしなかったわけじゃない。時機を見計らってたんだ」
「……そうだったんですか」
言われればその通りだったかもしれない。師匠たちがあえて何もしなかったのに、自分ごときが手を出してしまったのが生意気だと叱られたのだ。
「言ってみれば君がそれだけ力をつけてきたってことでもある。地下は辛いだろうけど、まあ頑張って」
ぽんぽんと慰めるように肩をたたいて、トゥーリオ師は扉を閉めて出て行った。
ふと不安になって外から鍵をかけられていないか確かめてみたが、開けてみると扉は簡単に開いた。
部屋には灯りはないが今は昼なのでぼんやりと明るい。薄い敷布を敷いただけの堅いベッドに横になりながら、つらつらと、ダッジオ師がなぜ閉じ込められたのか、宿の主人はなぜあんな行動に出たのだろうかと考えてみた。
いつもながら部屋にはベッドのほか何もないので退屈でしょうがない。
これではいけない、自分の気持ちを暗くしてはおしまいだと思って、一生懸命、豊かな草原や狼のいるはずの森や故郷のことを思い出してみる。
友達は今頃講義を受けている最中だろうか。どうして自分ばかりこんな目に合わないといけないのだろう。いっそ故郷に帰って魔法などと縁のない暮らしがしたいのに。
考えすぎたせいだろうか、だんだんと息が苦しくなってきた。
「落ち着け」
と自分に言ってみる。
ゆっくりと深呼吸をすると落ちついてきた。
扉は木でできていて外の物音が少しは感じられる。
ホールには人がたくさん歩いているようだ。
そういえば今日は『白い火柱の儀式』の日だ。儀式の日に地下室へと以前ファードル師が言っていたが、そのために閉じ込められたのか。
夕方になるころ、階段で大きな物音とギャアという叫び声が上がった。
パチンとシャボン玉がはじける音につづいて何かが階段を転げ落ちたようだ。
「出せ! 放せ! こんちくしょう!」
野太い声が罵っている。
パタンと近くの部屋の扉が開き、ごろごろと何かが転がる。
扉が閉まったのか、バンバンと扉が強く叩かれるが、返事はない。
いつか悪い魔法を使ったとみられた学生が、シャボン玉に閉じ込められて地下に送られたことがあった。同じようなことがまた起きているのだろうか。
石材を通した光が薄らいできて、日が暮れたのがわかる。
ホールが静かになったのは学生たちがもう帰って行ったからだろう。上階にはきっと師匠たちが集まり、儀式に向けて魔力を集結しているのだろう。
ふたたびさっきのように胸が苦しくなってきた。
気のせいだ、今日はいつもとちがって閉じ込められている人が他にもいるから緊張して苦しいような気がするだけだと考えてみる。
さっきは大丈夫だったのだから、今度も大丈夫なはずだ。
何か気をまぎらわすようなことを考えればきっと……。
しかし、どんなに楽しいことを考えようとしても、首や胸が締めつけられるように苦しい。
息を吸い込みたいのだが十分に吸い込めなくて苦しい。
自然浅い呼吸をはっはっとすることになる。
――死ぬようなことじゃない、君がちゃんとした学生なら。
とトゥーリオ師は言った。
ちゃんとした学生じゃないか。いったい自分のどこが悪いというんだ。
しかし考えれば考えるほど、締めつける力が強くなっていく。
そう、村を出てすぐの樹の洞で樹の精に殺されそうになったときのように。
気のせいじゃない、これは魔力だ――。
どういうことだろう。ここは魔法が効かない場所なんじゃないのか。
悪い魔法使いがのたうち回って苦しむのは、悪い魔法使いは生命を維持するということすらも魔法を使っているから、それが効かなくなるせいだと思っていた。
でも自分はまだそこまでの魔法使いではないはずだ。
なにか、なにかまだ自分には知らされていないおかしなことが起きているんじゃないだろうか。
その時、部屋の外からも苦しげな悲鳴が聞こえてきた。
さっき転がり落ちてきた誰かが苦しんでいるのか。
喉が詰まりゴホゴホと咳が出る。
「助けて……」
思わず出した声が、ぜいぜいと苦しく響く。締めつけている何かの力を振りほどこうとして喉に手をやるが、なんの力も感じない。まるで自分自身が息を止めているようにただ、息ができない。それでいて自分ではどうにもできないのだ。
「誰か……」
だんだんと周りの状況がどうでもよくなってきた。ただこの苦しみから逃れることしか考えられない。
死ぬのだろうかとはじめて心配になった。
『死の淵をのぞいたものはその生命を大いなる方に捧ぐ』。ナジュリル経典の第26章だとミリュウが言っていた。
――ああ、ミリュウ。
このまま死んでしまうのだろうか。
もう彼女に会うこともできなくなるのだろうか?
そんなのは嫌だ。もう一度会いたい、なんとかして頑張ってここを生き延びたい――。
しかし頑張れば頑張るほどますます苦しくなってくる。
――生命を大いなる方に捧ぐ。
そうかもしれない。
もう自分はこの世界での生命を保てないのかもしれない。
そう思う一方、どうしてももう一度彼女に会いたい気持ちが捨てきれない。
「ミリュウ……」
最後に彼女が笑ったのはいつだっただろう。
もっと彼女の笑顔を見ていたかった。ここで死んでしまってもう会えないのは悲しすぎる。
しかし、頭に思い描くミリュウの顔はだんだんとぼやけていき、いつしか暗い闇の底に沈み込むように意識がなくなっていった。
額に温かい手が置かれている。
ここはどこだろう。もう死んでしまったのだろうか。
これは誰の手だ。温かく気持ちがいい。まるでデュカスのがっしりとした温かみのような原始的な強い力が、額から流れ込んでくる。
ゆるゆると細い糸に紡がれるように意識が戻ってきた。
誰かの話し声がする。
一人ではない。
「……あまり与えすぎないように。本当は我らはここに干渉してはいけない決まりじゃ」
「わかっております。しかし、この子の力は奪われすぎです。ここまでやる権利は彼らにもないはずではないでしょうか?」
「150年も経つといろいろ変わってしまうものじゃのう」
くっくっくと楽しそうにその誰かは笑う。
ひどく気持ちのいい響きの声だった。どこかで聞いたことがある。
意識はだんだんと目覚めてきたが、まだ目は開けられない。
開けてはいけないと心の声が命じている。
「176年です」
「おお、そうじゃった。全きものになると本当に月日が早く感じられるものよ」
声の主はまた楽しそうに笑う。
「悪い方に変わらなければいいと思いますが」
返事をする声が軽いため息をつく。この声も確かに聞いたことがある。
「みな最善を尽くそうと思うておる。それはわかるじゃろう」
「最善。わしには道を誤っておるように思えまする」
「そうじゃな。言葉を換えよう。あまりに善きものばかりを追求するとかえって悪しきものを際立たせることになる。あるがままがよかろう」
「そう、あるがまま。この子ならそれができると思うたのです」
「よい資質をもっておる。わしらがこのぐらいの力を補助することは許されよう。これからも必要とあらば」
「許すも許さぬも、あなたが作られた法ではありませぬか」
「なに。法というのは使う人間たちのものじゃ。わしがいなければ変わりもする。……おっといけない。目覚めが近いようじゃ」
「目覚めても構いませぬ。わしに再び出会うことは告げてありますゆえ」
「あまりわしらの力を頼りにさせるのはよいこととは思えぬ」
「あなたも手助けなさったではありませぬか」
「ふふ……知っておったか……」
ふたつの声はひそやかになり、だんだんと夢が薄れるように消えていった。
目が覚めたとき、そこには誰もいなかった。
夢だったのだろうか。
身体はすっきりとした軽く、再び元気が湧いてきたのを感じる。
立ち上がり見回してみると、外はもう日が暮れたようで部屋も薄暗い。
不思議な夢だった。妙に内容のある……。
176年とは何のことなんだろう。
今がバオス歴800年だから、ええと……。
176年前となるとおよそ624年。『学びの塔』の設立が魔法大戦の8年前だから574年……。
あれ? と気づいた。
『学びの塔』の創立者エスケレス師が全きものになって『学びの塔』を去ったのが624年だったのでは?
「エスケレス師……?」
そして同時に気がついた。
彼には会ったことがある。
『喜びの門』の前を通ったとき、門をくぐった瞬間――。
『いたるところにいる方』。
「そうか! あれはエスケレス師とアルダムド師だったんだ!」
思わず叫んでしまってから、誰かに聞こえやしないかと慌てて辺りの様子に耳をそばだてた。
扉をそうっと開けてみたが人影はない。何の音も聞こえないので、今の声は聞かれなかったのだろう。
『全きもの』については、ここに来てからすこし学んだ。
魔法使いが死ぬと『全きもの』になることがある。ただしなれない人もいるようなので、どういう基準なのかはよくわからない。
歴史で学んだことによると、すごい魔法使いはたいてい『全きもの』になっている。
『いたるところにいる方』が同時にあちこちの場所にいたりいなかったりできるのも、肉体を持たない『全きもの』になって存在しているからなのだと、今急に気がついた。
では、夢でエスケレス師の言った手助けというのは、いつか『喜びの門』に入れたとき彼に会えたことだったのかもしれない。
力を補助すると言っていた。
自分は確かにさっき死にかけたのだ。それを助けてくれたのはアルダムド師かエスケレス師かのどちらかが自分に力を与えてくれたのにちがいない。
「ありがとうございます」
見えない二人に頭を下げ、大いなる方に祈った。
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今週も読んでいただきありがとうございます<m(__)m>
これからもよろしくお願いいたします(^^♪




