第三章 見えない敵 其の四
ドアが少し開いてきちんとした身なりの中年女が顔を出す。
「おはよう。いつもの仕事をやりに来たぜ」
女は無言で中に引っ込んだが、ボルードは構わず待っていた。やがて中年の男が顔を出して、いくばくかの金をボルードに渡す。大金ではなかったが、本当に金をもらえるとは驚いた。嘘ではなかったのだ。
「その狼と少年は?」
「ああ、こいつは俺の新しい仲間だ。本物の『力あるもの』なんだぜ」
ドアを細くしか開けていなかった中年男は、少しドアを開いてラジュエルを頭からつま先までじろじろと眺めた。
「……本物なのか? 本物の魔法使いなのか?」
「いえ、僕は……」
「本物さ。こいつは死にゆく魔法使いから『力あるもの』を授かったんだ」
ボルードがすかさず言葉をさえぎった。中年男は敬虔な顔で自分の額に祝福の星印を描くと一歩下がってラジュエルと狼をもう一度見つめた。
「なんだと? 本物? それはご主人様に報告せねばならん」
それだけ言うと男はパタリとドアを閉めてしまった。
受けとった金をちゃりんと手の中で鳴らすとボルードは、行こうと言ってまた歩き出した。
「仕事は?」
「ああ、ぼちぼちやるさ。まずは腹ごしらえだ」
ボルードは市でパンとバターを買うとラジュエルにも分けてくれた。ふんわりして白っぽい美味しいパンだった。久しぶりのまともな食事だったのであっという間に食べ尽くし、正直なところまだ足りないぐらいだったが、それ以上要求するのは申し訳ない。
「さ、仕事だ」
広場の木のベンチから立ち上がったボルードはさっきの屋敷の前に戻ってきた。何をするのだろうと見ていると、玄関の外で聞いたことのない調子外れの歌を歌い出す。それが終わると家の窓の下を回って、手に持っていた棒きれのようなもので窓に何か印を描いた。終わるとまた玄関に戻り、背負い袋の中から平たい石をいくつか出して玄関の外に積む。
「これはなんだい?」
「ああ、魔法だ。この家を『見えない敵』から護ってやってるんだよ」
「へええ、すごいな。これが魔法か」
婆様のしていたこととはだいぶ違うが、本物の魔法というのはまた違うと婆様も言っていた。ちゃんと金ももらったことだし、ボルードの魔法は人々の役に立つものにちがいない。
終わるとボルードは今度は別の大きな家に向かい、ノッカーを鳴らした。出てきたのは中年の男で、ドアを細く開けて相手を確認するなり厳しい声でまくしたてた。
「またおまえか。さっさと帰れ。おまえにやる金なんぞない」
「へっ、後悔すんなよ。今日は本物の『力あるもの』を連れてるんだからな」
「なに?」
ようやく男はドアをしっかり開いた。そして狼を見るとぎょっとしたように後ずさり、自分の額に祝福の星印を描いた。
「まさか……」
そしてラジュエルと目が合うと今度はもう少し丁寧な声で訊いた。
「本物の魔法使いなのか?」
ボルードが替わって答えかけると男は、おまえには訊いていないとぴしゃりと言った。
「いいえ、僕は魔法使いじゃありません。おそらく魔法使いだと思うご老人からこの狼を託されただけです」
「なに? なぜ魔法使いはそんなことをしたんだね」
「僕もよくわかりませんけど、その方は僕に狼を託したあと雪山であたっていた火を消してしまったんです。自分の死期を知ったのかもしれません。止めたかったんですけど、僕も道に迷っていたので、どうしようもなかったんです」
男は何か言いかけるように口を開いたが、そのまま黙ってバタンとまたドアを閉めてしまった。
ちぇっと舌打ちして別の家へ向かうボルードのあとをついて行きながら、なぜ人によってこんなに対応がちがうのだろうと思った。村では婆様のことをおしなべて丁寧に扱っていた。頑固者で厳しいところもあるので煙たがる人はいたが、婆様の言うことは神官様と同じように重要だったし信頼されてもいた。ボルードへの町の人々の態度はなんとなくそれとはちがうように感じられるのだった。
その後も数軒、豪華な家ばかりを訪ねた二人には、同じようなことが繰りかえされた。金をもらえるときともらえないときがあったが、いずれも出てきた人々は一様にラジュエルと狼を見ると驚いた顔をして、魔法使いかと尋ねるのである。
そしてわかってきたのは、町では大きな家には使用人というものがいて、主人が直接ドアの前には現れないということ、ほとんどの人が『力あるもの』という言葉を知っていて、それは魔法使いに属するものだと知っているということだった。
「へへっ、今日は収穫だな。やっぱり『力あるもの』を連れてるとちがうな。ほら、おまえの取り分だよ。飯でも買おうぜ」
ボルードは手に入れた金の中からすこしだけラジュエルに渡してくれた。決して多い額ではなかったが、夕食のパンとエールを買うには十分だった。
「結局『見えない敵』って何なんだい? 僕にはよくわからないんだけど」
「そりゃおまえ……見えないから見えないんだよ。でもやつは危険なんだ。気をつけてなきゃいけねえ」
「どう危険なんだい。そいつは何をするんだ? 君はいったい、どうやって『見えない敵』のことがわかるんだい?」
「そりゃわかるさ。俺はこの町の英雄になる男なんだからな」
どうもよくわからなかった。町の人たちのボルードに対する態度は、どう見ても英雄への扱いとは思えない。『見えない敵』についてもラジュエルの知りたいことは何一つ教えてはくれていない。
その晩はまたあの小屋に泊まった。狼は夜になると一度出て行って、今日はお土産なしで戻ってきてラジュエルと一緒に眠った。朝になるとボルードがやってきて、ちょっとがっかりしたように、
「今日は兎はなしか」
と言った。
「町で食料が買えたからね」
「肉はうまかったなあ。また獲ってこさせたらいいじゃねえか」
「僕が命令してるわけじゃないよ。この狼が自分で獲ってきてくれたんだ」
ボルードは驚きと羨望が混じったような目で狼を見つめた。
「なんでそいつはおまえの言うことをきくんだ」
「僕の言うことをきいてるわけじゃないと思うな。むしろ僕が狼に従っているような気がする」
「ふん、なんだそりゃ」
いらただしげに言うと、町に行くぜとボルードは立ち上がった。今日は長い木の棒と川原で拾ってきた平たい石を背負い袋にたくさん入れてきていて、町に行くときラジュエルにも半分背負わせた。
その日も同じようなことが繰りかえされた。昨日より話しかけてくる人が多い。
「あんたのことは大ぼら吹きかと思ってたけど、本当に『力あるもの』を連れてきたんだねえ」
「どこで魔法使いと知り合ったんだい」
最初はボルードに話しかける町の人たちも、本当はラジュエルに話したくてしょうがないらしく、狼もラジュエルも危険ではないと見るや、矢継ぎ早に質問を繰りかえしてくる。
「何ができるんだ。この町に何しに来たんだい」
「どこで魔法使いの修行をしたんだ」
「うちの魔除けもやってほしいんだけどいくらだ」
商売の話となるとボルードがすかさず値段をふっかける。それは高いと渋い顔をしていた町の人も、狼を見ると値切りながらも金を出す。ラジュエルはできるときには、本当は魔法使いではなく狼も託されただけであることを弁明しようとしたが、ちゃんと伝わったと思えることはあまりなかった。ボルードが先にしゃべってしまうのだ。
「何度も言うように僕は魔法使いじゃない。町の人たちはそれをわかってるのかな」
「そんなこと関係ないさ。『力あるもの』は本物なんだろ?」
「それもわからないんだ。あの老人がそう言ったっていうだけで、それも誰もいないところで言っただけだし、そもそもその人がなんていう名前でどんな人だかすらわからないんだから。なんだか町の人たちを欺してるような気がして嫌なんだけど」
「喜んで金を払ってくれるやつからはもらっておけばいいさ。やつらが喜ぶようなことをやってやればいい」
ボルードは持ってきた棒を金を払った人の家にたてかけ、平たい石を玄関の前に積んだ。そして昨日と同じように外から窓のところに棒きれで模様を描き、変な歌を歌った。
これが魔法なのかとラジュエルは眺めていたが、こういうものを自分がこれから求めたいという気持ちにはあまりなれなかった。
「どう思う?」
人に見られないように狼にこっそり尋ねてみたが返事はなかった。
「君はどこで魔法を習ったんだい」
夕食のパンとエールを、広場の椅子に座って食べながらラジュエルは尋ねてみた。
「うん、まあ、その……いろいろさ。町に来た魔法使いとか芸人とか吟遊詩人とか……」
「魔法使いがこの町にも来たのか」
追求をのがれてほっとしたようにボルードは胸を張った。
「来たさ。ありゃ、すごかったなあ。明るかった空がいきなり真っ暗になってさ、竜が雲の間を飛び回るんだ。稲妻が鳴ったかと思うと古い魔物たちが引き裂かれて消えていくんだ。町のど真ん中でだぜ」
「それは魔法使いたちの戦いってことなの?」
「うん、……そりゃそうだ。すごかったんだから」
口に出しては言わなかったが、記憶が急につながった。
あの日、忌み人の老人に出会う直前に、婆様が死者の魂がさまよっていると言った。そのときも同じように空が真っ暗になり、稲妻と閃光がはしった。あれはやはり竜だったのか。空から落ちた流星は引き裂かれた古い魔物だったのだろうか。
「それで、君が使っている魔法はどんな魔法なんだい」
「俺か。俺は『見えない敵』と戦う魔法だ」
「それさ、よくわからないんだけど」
「俺がこの町を護ってやってるのさ。俺のまじないがなかったら、とっくにこの町は滅ぼされてたんだぜ」
ボルードは言うが、実際に『見えない敵』が何の悪いことをして、彼のしている『まじない』とやらがどれほど効果のあるものか全くわからない。金をもらっているのであながち嘘ではないのだろうが、少なくともラジュエルには理解できないのだ。
「古い魔法を手に入れたらこの町の英雄になるのさ」
夢みるようにうっとりとボルードは笑みを浮かべた。




