崩壊したフィン・ライリーの理想郷(ぼくはただ……)
フィン・ライリーの理想とは、『妻は元気で生娘がいい』である。
なぜそうなったのかは不明だ。
産みの母が出産時に亡くなったからなのか、母がいなくて寂しかったからなのか、義母とは仲良くできなかったからなのか、生娘だと思っていた初恋の女性に裏切られたからなのか。
愁いを帯びた表情をし、一見優しそうな容貌を持つフィン・ライリーは、博愛主義者ゆえに残酷な男だった。女性に想いを寄せられるのは当たり前、女性たちを慰めるのも当たり前。別れる時は後腐れなく。自分から愛を告白したことは一度もない。
そんな彼が理想の唯一を見つけたとき悲劇ははじまった。
理想の唯一にされたのが、田舎の領地に籠りっぱなしだった、社交界に突如として現れた、無垢な子供のように微笑むアイネ・マケナニー。
あのニューイヤー舞踏会で見つけた少女。
小さな体を大きく見せるように、クリーム色のドレスを誇らしげにまとって父や兄と踊る姿は、フィンにとっては妖精のように見えた。
――あぁ、ぼくの理想はこの娘しかいない。
フィンの誤算は、アイネが前世の価値観を持つかかあ天下予備軍だったことである。
前世の愛音:『駅弁買ってきて。わたしは鳥弁ね』
前世の愛音の彼氏:『うん、分かった』
前世の愛音の彼氏:『あいねちゃん、何で死んじゃったんだよ~、ぼくはどうすればいいんだよ~』
☆ ☆ ☆
「残念だよ、ダフネ、ミケーレ。君たちを大事にしていたのに。できればぼくの子供を産んでほしかったのに」
フィンは別邸のソファにもたれかかりながら頭を抱えてつぶやいた。
別邸の居間には警官に拘束されたダフネとミケーレ、アリッサがいる。
(――婚約破棄され、暮らしに困っていた令嬢を別邸に保護し、大切にしたのに。
――二人には自分の子供を産んでもらおうと思ったのに。子供を産んだら乳母として伯爵家にいてもらおうと思ったのに。こんなことになるとは)
こんな事態になった原因も理由も、フィンは理解できない。
「それならどうして妻にしてくれなかったの!?」
警官に拘束されたダフネが叫んだ。
「最初に言っただろう、保護はするが妻にはできないと。子供を産んだら伯爵家で面倒を見ると。それが無理なら嫁ぎ先を探そうということで合意したはずだ」
「結婚したのなら奥様に産んでもらえばいいじゃない!」
「……ぼくの妻は清いままでいてほしい」
「子供を産まない清い妻なんて、バッカじゃない!? そんなの妻と言えるの!?」
「出産を避ける貴族夫人はいる。珍しい話じゃない」
「もう、バカバカバカ!! 保護するとか言って、結局はわたしたちを利用しただけじゃない!」
「……そんなつもりはなかった」
「ダフネ、もう何を言っても無駄よ……」
ミケーレは直情的な従姉をなだめるのに必死だ。毒殺未遂の片棒を担がされたアリッサは黙ってうつ向いている――平民の自分は罪が重くなるだろうとため息をつきながら。
「君たちには失望した。これは傷害罪だから数年もすれば刑務所から出られるだろう」
「害そうとしたわけじゃないわ、ちょっといたずらしただけ。ぶ、分量を間違えただけよ!」
「アリッサをそそのかし、毒入りシュガーを妻の飲み物に入れさせたことに違いはない。大人しく罪を償ってくれ。さようならだ」
「ライリー様……さようなら。今までお世話になりました」
「ご主人様、申し訳ありませんでした……」
ミケーレとアリッサだけが謝罪をし、ダフネは涙を流しながら取り乱すだけだった。
その後、ダフネは貴族令嬢ということで刑が軽くなり、更生施設付き刑務所の上級者向け区画に一年ほど、平民のアリッサは環境の悪い刑務所に五年間収容された。ミケーレは罪には問われず、貴族の血筋を求める裕福な地方地主の元へ嫁いで行った。
☆ ☆ ☆
「わっ、わたしは子供を産みたいわけじゃない。でも本当は、夜は一人ぼっちで寂しかった……夫婦なのに……隣で微笑んでいればいいとか言って、結局はわたしを放っておいただけじゃない!」
「アイネ……申し訳なかった……まさかあの二人があんなことをするとは思わなかったんだ……」
すっかり毒が抜けてベッドから起きられるようになったわたしは、フィンの前で泣き続けた。
子供を産まなくていいとは言われたけれど、本当は相手にされていなかったみたいで悲しかった。強情なわたしが強がっていただけ。
どうしてわたしは悪妻になって離婚しようとしたんだろう。フィンにわたしの気持ちを気付いてほしいと思っただけなのかもしれない。だって、何を言っても笑ってかわすだけで、わたしの言い分を少しも聞いてくれないんだもの。何だか馬鹿にされているような気がして。
わたしは『お飾りの妻』でさえなかった気がして。
毒を盛られて心身ともに疲れ果てたというのもあるんだろう、将来が不安で不安で仕方ない。これからもフィンの妻でいられるんだろうか。
フィンはそんなわたしを抱きしめて優しく背中を撫でた。
「やめて、わたしに触らないで!」
「どうして?」
「だ、だって、気持ち悪いから」
「気持ち悪い……?」
「だって、こうやってあの二人を抱いたんでしょう? 気持ち悪い」
「そうなのか……ショックだ……悲しいよ……ぼくはアイネのために……」
「わたしのため?」
そういえば、こんな風にフィンに抱きしめられたのは初めてだっけ。思ったよりも気持ち悪くない、それどころか暖かい。二人も愛人がいることを黙っていた『汚らわしいビッチ野郎』だと思っていたのに。
「あの二人は最近没落した男爵家の従姉妹同士だった。婚約者を失い行き場も失っていたから保護した。二人にはぼくの子供を産んでほしかっただけで、好きとか愛しているとか、そういう気持ちはなかったんだ」
「は? 子供を産んでほしかったから保護したんですか?」
「そういう下心はあった」
「は……あ……何と言っていいか分かりません」
その思考回路が理解不能だよ。
「アイネを抱くことはできない。そんなことをしたら子供を産まざるを得なくなって、死んでしまうかもしれないから……」
「エッ、エエッ??」
こんな世界だから出産で死ぬことはあるんだろうけど。だから出産は妻ではない女性?
「母が産んだ最初の子供は死産だった。その後ぼくを出産して間もなく死んだ」
「お義父様もそんなことをおっしゃっていましたね」
「その後父はぼくの育児ともう一人子供を産ませるためだけに後妻を娶った」
ま、まぁ、そういう人もいるかもしれないわね? こんな時代だしね? 何だか酷い気がするけれどね?
「結局その後妻に子供はできず離婚、次の後妻も……」
貴族って難儀ね……。
「だから妻にはそんな無理はさせたくないし、アイネはずっと隣で微笑んでいてほしかった。子供が産まれたら、ぼくとアイネの子にしようと……」
庶子を跡継ぎに? 確かにそんな小説があったわね。
フィンの母親は彼を出産して間もなく亡くなった。だからフィンは、子供を産むというリスクを妻に負わせたくなかったと言うのだ。
わたしも子供を産まなくて済むんだなんて喜んでいたけれど……それにはダフネやミケーレのように、『子供を産むためだけの愛人』という犠牲が必要だった。
つまり、美味しい話には裏があったわけで。
離婚なんてできるはずもなく。
ハァ……。
この優しくて残酷なクズ夫をどうすればいいのかしら……。
※フィン・ライリーをクズ認定しました(あくまでも作者の独断です。クズではないと思う読者様もいらっしゃると思います)。
※庶子を(遺言で)跡継ぎにした小説は『戦争と平和』です。フィンは庶子を養子にしようと思っていました(この世界では庶子→養子→跡継ぎが可能という日本的な設定にしました。妾を持てと言ったフィンの父は離婚再婚を選んだわけです)。
※フィンは(理想の)アイネを溺愛しています。アイネからすると、ハァ?という感じなのですが。
※どんな状況になろうとも離婚は難しいでしょう。なんちゃって別居ならできそうですが、妻は隣にいなければならないという謎の妄執を持つフィンは、アイネを閉じ込めてでも許可しないでしょう。彼がこの妄執から解放されれば、アイネは色々な意味で自由になれるのだと思います。
※フィンがこんな性格になった原因を特定することは作者の傲慢だと思いますので、敢えてしませんでした。
※このストーリーはあと二回で終わります。アイネが決断します。一応コメディー(どちらかというと悲喜劇)です。




