プロローグその一 妻が毒を飲んだようだ(なぜ?)
夫婦物のストーリーを考えました。ちょっとした悲喜劇にしたいと思っています。読者の皆様が想像する内容とは違うかもしれません。
一話は第三者視点です。
「奥様は毒を飲んでしまったようです」と、医者が言った。
屋敷の執事やメイド長はじめ使用人たちは、全員困惑している。
ライリー家の跡取り息子フィンの妻、アイネがベッドに横たわっていた。
もともと華奢な身体の上、毒物の影響が激しかったのか、ぐったりとして目は虚ろ、呼吸もわずかだった。意識も混濁している。
「そ、そんな……そんなはずない……アイネ様が自分で毒を飲むなんてこと、するはずないです! それなら毒はどこにあるんですか!? 誰かが毒を飲ませたんではないですか!?」
アイネの実家マケナニー家から来た侍女のアンだけが、崩折れてひたすら泣いていた。
「そんなわけないでしょう、誰が奥様にそんなことをするというのです!?」
屋敷の女主人が毒物で倒れてしまい、メイド長は胃が痛い――誰の責任になるのか?
夕刻になり、上機嫌でクラブから帰って来た夫フィンは、妻が毒を飲んだことを医者から告げられ取り乱した。
「あ、あり得ない! なぜ早くぼくに知らせなかった!? 一体どうしてこんなことになったんだ! 生きているのか、大丈夫なのか、どうして毒なんか……」
どういうわけか最近妻と疎遠になっていた夫のフィンは、心配と絶望が頭の中でぐるぐる回りながらも、ハットを投げて妻の部屋へ急いだ。
「で、ですから、奥様は恐らくみずから……」
奥様は自分で毒を飲んだのだとメイド長は思い込んでいるようだ。
それもそのはず、伯爵家の若奥様に対して毒を盛るなどという頭のイカれた使用人がこの屋敷にいるわけがなく、思い当たることさえないのだから。
「違います! アイネ様がみずから毒を飲むはずがありません!」
アンは反論した。
※
二段抜きで螺旋階段を駆け登り、ころがるようにして妻の部屋へ駆け込んだフィンは、あらためて中を見回した。
オフホワイトの暖炉、薄ピンクのレースカーテン、ホワイトレースのティーテーブル、エンジ色のプリンセスチェア。全体的に明るく、奥様向けというよりは令嬢向けの色調にしてある。メイクルームには意匠を凝らした豪華な化粧台。どれもフィンが新妻アイネのために用意したものだ。
ティーテーブルには飲みかけのティーカップとお菓子が載った小皿。小ぶりのデスクにはスケッチブック、窓辺にあるキャンバススタンドには描きかけの油絵があった。出窓から見下ろした庭園の絵だった。
妻には絵の才能がある、ピアノも上手い。素晴らしい芸術家なのだとフィンは思う。けれどもそれを披露することはないし、そんな必要もない。
フィンは扉が開いたままの寝室でぐったりしている妻を見つめた。まだあどけなさの残る、男を知らない少女のような姿。フィンが思い描く理想の妻そのもの。
アイネはフィンが見つけた、文字通り清楚で守るべき女性だった。
「お前たちは今まで何をしていたんだ! 一体どうしてこんなことになったんだ! 説明しなさい、ドクター!」
フィンは何回も叫んだ。
※
憂いを帯びたブルーアイでいかにも優しそうな容貌をしている、ライリー伯爵家の一人息子フィン。王宮でのちょっとした仕事のほかに、クラブ、狩猟大会、競馬などに顔を出す、ごく普通の貴族だ。
違うのは、父とは異なり社交的だということ。
自分に近づいてくる女性を冷静に評価しながら、妻にする女性はもの静かで清楚で周囲の男になびかない人にしようと思っていた。昨年のニューイヤー舞踏会で見かけたとき、マケナニー家の令嬢は自分の理想の女性に見えた。
まだ十七歳という若さにもかかわらず何物にも臆することのない姿、同格の伯爵家、凛として物静かな佇まい、男とは無縁の無垢な姿。
プロポーズから結婚まで――いや、今まで何の問題もなかった。
結婚後、アイネの部屋はフィンの部屋から少し離れた三階角部屋にし、寝室を共にすることはない。だからといって嫌っているわけではない。むしろその逆で、一輪の花のようにそばにいてくれるだけで心が休まった。
この屋敷で孤立しては心細いだろうと、侍女はマケナニー家から呼んだ。それがアンだった。
晩餐を共にし、一緒にパーティーへ行き、年の差もあって話が合うわけではないが、それなりの夫婦になったつもりでいた。アイネは名目上『妻』であればそれで良かったのだ。
結婚前からライリー家のタウンハウスには、家族ではない二人の女性がいる。敷地内の別邸に『没落貴族の令嬢を保護』という名目で住まわせており、フィン以外の男性が入れないよう徹底的に管理している。妻には余計な気遣いをしてほしくないので、そのことは知らせていない――手違いでバレたが。
ところが結婚して半年ほどたったとき、使用人たちからアイネについての不穏な噂が流れた。
『浪費家』
『我儘』
『悪妻』
にわかには信じられなかった。
あのアイネが?
噂の真相を探っていた矢先に――夫は妻が何を訴えているのかまじめに聞こうとしなかった――アイネの服毒という陰惨な事件が起きたのだ。
※
「ライリー様、ご覧の通りでございます。奥様は服毒され、心身ともに消耗しております」
エントランスでフィンを迎えた医者が妻の寝室へやって来た。
「妻は助かるのか?」
「息がほとんどありません。助かる見込みは……どうでしょう……覚悟なさった方がよろしいかと……」
「まさか、そんな……」
「もう少し早くわたしを呼んでくだされば……」
「遅くてもよい、何とかしろ!」
「はい、善処致します」
「医者を呼ぶのが遅すぎる、どうして誰も気づかなかったのだ!」
イライラしているフィンは、今にも部屋中を破壊する勢いで執事に迫った。
アイネの部屋には執事以下使用人が集まっていた。
「も、申し訳ございません。奥様は日中自室にこもっておりまして。いつものように絵をお描きになっていると思っていたのでございます……」
執事がうろたえながら答えているとき、アイネの侍女アンが涙ながらに訴えた。
「恐れながらご主人様、わ、わたしはメイド長から二日ほど休暇を頂いておりまして、友人宅を訪ねていたのでございます。夕刻お屋敷に戻りましたら、ま、まさかこんなことになっているなんて……アイネ様はわたしがお世話しますとアリッサから言われておりまして……」
「わたしは奥様のお世話をアリッサに任せなさいなどとは誰にも言っておりません! そもそもアリッサは別邸の使用人ではないですか、なぜ彼女が?」とはメイド長の反論だ。
「アリッサ、なぜお前がアイネの世話をした? それに、何故発見が遅れた?」
「あ、あの、アンが二日間いないと聞いていたので、それならわたしが奥様のお世話をしようと……アフタヌーンティー用に、奥様にいくつかお菓子と、ダイエットシュガーとミルク入りカモミールティーを持って参りました。そのときはお元気でした。けれども晩餐にお呼びしようとしたら返事はなく……だから、お休みになっているものとばかり思い……」
アリッサと呼ばれる使用人が泣きそうになって訴えた。
「その時点で確認するべきだろう!!」
「も、申し訳ありません……」
(日中はたいてい妻とは別行動だ……特に最近は妻を自室で大人しくさせていた……しかも、今日に限って帰りが遅くなってしまった……)
「アイネ……」
夫のフィンが妻のベッドに突っ伏してつぶやいた。
〈ウ〜ン……〉
ベッドからか細い声がした。
「アイネ!」
「アイネ様!」
「生きてらしたのですか!?」
フィンとアンがアイネの顔を覗き込み、メイド長はただただ驚いていた。
〈ウ〜ン……ハァァァァ……〉
弱々しく、消え入りそうな声。
次いで、薄く目を開けたアイネがつぶやいた。
「生きていて、申し訳、ありません……」
※皮肉の効いた話にできるといいなと思っています。
※投稿はだいたい一日おきにしようと思います。




