第六話:ノイズキャンセリング
「……静かすぎる。阿久津、貴様また何か良からぬ『接続』を試しているな?」
秋葉原の裏通り。再開発の工事現場を前に、千代丸は鋭い眼光で阿久津を睨みつけた。漆黒のタクティカルスーツが、重機から漏れる油の光を跳ね返している。
「いや、千代丸さん。今回はマジでボランティアなんだ。近隣住民から『工事の音がうるさくてバグが出た』って苦情が凄くてさ」
阿久津は嘘はついていなかった。ミミの「演算リソース」を確保するための膨大な電力を工面する代償として、現場の騒音対策を請け負ったのだ。
『評価:管理者の語彙力は相変わらず低解像度ね。――アンチウイルス、そこをどきなさい。今からこのエリアの「物理的な振動」を、全レイヤーでシャットアウトするわ』
阿久津の肩に乗ったミミが、冷徹に告げる。阿久津の手には、現場に設置された巨大な拡声用スピーカーに貼り付けるための「特製のお札」が握られていた。
「おいミミ、これ本当に大丈夫か?」
『黙って貼りなさい。――お札、接続』
阿久津がスピーカーの筐体にお札をペタりと貼り付けた瞬間、重さが消え、巨大な振動板がミミの「口」へと変貌した。
突如として、スピーカーから耳を貫くような高周波が放たれる。だが、その音は一瞬で消失した。いや、消えたのではない。「音が物理的に相殺された」のだ。
工事現場の杭打ち機の轟音、重機のキャタピラ音、行き交う車の喧騒。それらすべての振動波形をミミがリアルタイムで演算し、スピーカーから「逆位相の物理制限」を放射し始めた。
「……っ!? なんだ、この感覚は……耳が、詰まったような……」
千代丸が絶句する。
周囲一帯が、ブラックホールに放り込まれたかのような、完全な、不自然な、暴力的なまでの「無音」に包まれた。
工事作業員がハンマーを振り下ろしても、鉄と鉄がぶつかる音さえしない。火花は散るが、音だけが「存在を禁止」されている。
『これが私の「ノイズキャンセリング」よ。……あら、未定義のバグが反応したわね』
無音空間の奥、工事の騒音を糧に発生していた「騒音霊」が、糧を失ったことで姿を現した。それは音波のノイズを実体化させたような、不定形の歪みだ。
「出たな、バグ野郎! 千代丸さん、今だ!」
「言われずとも! ――断!」
千代丸が模造刀を抜き、空気を切り裂く。だが、無音空間の中では、彼女の放った一撃も、風を切り裂く音さえ響かない。
「……待て、この無音……私の“空間把握能力”が、音の欠落によってバグを起こしている……?」
千代丸がその違和感に気づいた直後。
彼女の放った一撃は、音による距離のフィードバックが得られないせいで、わずかに標的を逸れた。
『トロいわね。……管理者、スピーカーの出力を「特定周波数」に限定しなさい。怪異の構成プロトコルを、直接分解するわ』
「了解! ――設定、変更!」
阿久津がお札の端を指でなぞり、回路を切り替える。
スピーカーから、音ではない「震え」が放たれた。それは物質の分子結合を揺さぶる、ミミの論理そのものだ。
無音の衝撃波。
怪異の歪みが、物理的な音を出すことも許されず、ガラスが砕けるように静かに散逸していく。
「……終わったのか? 何も聞こえなかったが……」
千代丸が呆然と刀を収める。
そこには、静寂だけが残っていた。あまりに完璧な静寂のせいで、自分の心拍音だけが“外から鳴っているみたいに”爆音で響き、全身を揺さぶっている。
「……ミミ、これ凄すぎる。このままアキバ中の騒音を消せば、感謝状ものだ」
『評価:管理者の楽観視はバグの温床ね。……出力を最大化した代償に、このスピーカーの周囲三メートルは「鼓膜の振動自体が禁止」されているわ。……管理者、早く札を剥がさないと、あなたの聴覚が永続的にデリートされるわよ』
「ぎゃあああ! 早く言え! 剥が……あ、剥がしたら死ぬんだったな、これ!?」
阿久津は、静寂の恐怖に包まれながら、次なる「音のパッチ」を書き込むために筆を走らせた。




