7
早朝。
基本不規則な生活を送っているジンは、朝日が昇るかどうかと言う時間に離宮に帰ってくることがある。
この日は丁度その日だった。
「あ、ジンさんおかえりなさい」
やんわりと、好敵手だった頃には見せたことの無い笑みを浮かべ、妻が声をかけてきた。
離宮には畑がある。
花壇もある。
それらを世話しているのは、このエルだ。
「ただいま」
彼女との、このなんでもないやり取りはジンに懐かしさを与える。
まだ、彼の周囲に家族がいて笑っていた頃を思い出す。
世界はどんどん悪い方向に進んでいたのに、それでも家族さえいれば幸せだったあの頃を思い出す。
「……おつかれですね」
「まぁな」
「先に汗を流してきてください。
ルカがそろそろ出てくる時間なので、食事の用意をさせますね」
「あぁ、頼む」
家族が殺されて、無力を思い知らされた。
だから、強くなりたいと思った。
そして、家族を殺した、旧シルスフォード国の上層部の連中に復讐をした。
そうして、ジンは国を手に入れた。
そこから始まったのは、家族を奪った世界そのものへの復讐だった。
そして、その復讐はいつしか快楽へと変わっていったのも、事実だ。
強いやつと戦いたい。
もっと。
もっと。
もっと、もっと、もっとだ。
そうして破竹の勢いで快進撃を続けた結果、彼女と出会った。
復讐を始めてから負け無しだったジンの膝を、地面につけさせた存在。
彼女が新しい目標になった。
屈服させたい。
なんとしても、彼女の膝を土につけさせたかった。
その背中を追いかけているうちに、復讐心はすっかり消えていた。
そして、気づけば大陸を統一していた。
さらに、なんと彼女と結婚までしている始末である。
ジンは彼女に感謝していた。
なぜなら、復讐に取り憑かれていた彼の心をそうと知らず救っていたから。
それは、今もだ。
多忙でありながら、帰る場所がある。
待つ人がいる家がある。
穏やかな時間を共に過ごしてくれる人がいる。
けれど、彼女はどうやっても手に入らない。
表面上は夫婦になったのに。
彼女の心はどうしたって、手に入らない。
疲れているからだろうか、今日はやけにそのことが気になって仕方なかった。
「……ジンさん。昨日話してくれた温泉旅行のことなんですけど」
ジンの顔を観察していたエルが、そう声を掛けてくる。
そういえば、遠出の提案をしたのだったとジンは思い出す。
彼女が好きだという旅行と温泉。
それに行こうと提案したのだ。
昨日は、畑があるからという、遠慮もへったくれもない理由で断られたのだが。
「うん?」
「ジンさん、お疲れみたいですし。
行ってもいいですよ」
不意打ちのその言葉に、ジンが足を止めまじまじとエルを見た。
「いいのか?」
「はい」
「でも、畑は?」
「それなんですけどね。
農業ギルドの職員が世話をすることを認めていただけたらな、と思いまして」
つまり、離宮に農業ギルドの者を入れる許可が欲しい、と言うことらしい。
「それは構わないが」
「決まりですね!
あ、その者の身分保障書をあとで提出しておきますので、確認をよろしくお願いします」
やけに話が早いな。
昨日の今日だというのに。
「いつの間に根回しをしたんだ?」
「話があってすぐにですね」
手紙を書いて出したにしても、こんなすぐに根回しが出来るものだろうか?
「昨日、ジンさんお昼に帰ってきたでしょ?
そのあとに、農業ギルドに頼んでおいた最新式の農機具と、追加発注しておいた肥料が届いてですね」
「ふむふむ」
「で、運んできてくれる方が、最近こちらに派遣された旧知の友人でして。
旅行のことを話したら、なんなら畑の面倒みるよって言ってくれたんです」
「なるほど」
「農業ギルドとしても、王室とは繋がりを持ちたいので渡りに船だったらしいです。
なので、お言葉に甘えようかと思いまして」
「そうか。そういうことなら、許可しよう」
「ありがとうございます!」
そうと決まれば、あとは日程の調整だ。
それからジンはさらに多忙な日々を送り、エルもエルでプランを考えたり、道の調査など下調べを徹底的に行った。
あまり仰々しいのは、他の客にも迷惑なので護衛やお付きの者は最小限にすることになった。
なんなら、お忍びということになった。
さらに数日後。
この日二人は早めに食事を済ませた。
離宮内にあるジンの私室にて、旅行の打ち合わせをするためだ。
横長のソファに並んで座り、旅行計画を立てていく。
「カイウェル元帥を護衛に?」
「はい!
どうせなら幼い娘さんも一緒に、と思いまして。
そうすれば、娘さんの世話役の方も同行することになりますし、こちらはルカがいれば充分でしょう。
カイウェル元帥が断れば、他の候補者を推薦しますよ」
「何故、彼の娘を加えるのだ?」
「お忍びなんですよね、今回の旅行。
なら、設定が必要だと考えたんですよ。
カイウェル元帥が上司で、ジンさんが部下。
二人は家族ぐるみで付き合いをしています。
今回は、骨休みと称してお互いの家族の親交を深めるための旅行を企画、ということにするんです。
娘さんの存在は、その設定に説得力をもたせられますし」
「しかし」
「彼にとっては好都合だと思いますよ」
「好都合?」
「えぇ、家族サービスが出来るんですから」
それ、余計なお世話にならないだろうか?
「もちろん、それだけじゃないですけど」
「というと??」
「私としても交流を深めておけば、正室候補者の相談とか根回しがやりやすいんですよ。
長老会と私だけだと、どうしても偏りが出ちゃうので。
彼はジンさんとは長い付き合いです。
なら、彼から見てジンさんにとって有益なお嫁さん情報や候補をあげて貰えたら、もっと選択肢が広がるかなって思いまして。
今後のためですよ」
その言葉に、怒りのようなものが込み上げてくる。
疲れもあった。
だからだろうか、それまでは出来ていた抑えが効かなくなった。
おもむろに、彼女の肩を掴んで抱き寄せ、押し倒す。
そして、
「ジンさ……?
んぅっ、ふ、あっ!」
唇を重ねた。
容赦なく、深く深く口づける。
エルは抵抗するが、初めてのことで彼女も動揺し、うまく押し退けられない。
やがて、酸素不足でエルがくったりしたのを見計らって、重ねていた唇を離す。
「ふ、はぁ、はぁ、はぁっ」
小さく息をつく度に、エルの胸が上下する。
「俺は、お前が欲しいんだ。
他の女なんて要らない」
エルの表情が、少女のものではなく、女のものになる。
構わず、今度は見えている首筋に自分のものだという痕跡を落としていく。
エルは、抵抗する。
でも、うまく力が入らなかった。
いつもなら足蹴に出来るのに。
それなのに、彼の黒曜石のような瞳に熱っぽく見つめられてしまう、ただそれだけで抵抗出来なくなってしまう。
自分が欲しい。
それは、たまらなく嬉しい言葉だ。
「ジンさん、いやっ、やめて、んあっ」
それでも抵抗する。
けれど、彼のものであるという、赤い花弁が首筋に刻みつけられていく。
その時だった。
「エル様、そろそろ湯浴みの時間ですよ」
ルカが登場したのだ。
同時にカッと、エルの目が見開き身体に力が入る。
そして、思いっきりジンを蹴飛ばした。
「ぐはっ」
ジンに構わず、エルは真っ赤な顔をしてバタバタと部屋を出ていった。
「え、あ、エル様?」
ルカは部屋を出ていったエルと、蹴っ飛ばされたジンを交互に見て、さらに直前の光景を思い出し、何があったのかを察した。
そして、彼女も顔を熟れた林檎のように真っ赤にして、ジンに一礼して部屋を立ち去った。
「し、失礼しました!!」
パタン、と部屋の扉が閉まる。
そして、ジンは自己嫌悪に陥ってしまった。
「なにやってるんだ、俺」
疲れていたにしても、余裕無さすぎだろ。
エルはエルで、廊下の途中で蹲ってしまっていた。
そこにルカが追いついてくる。
「あ、あの」
おずおずとルカが声を掛ける。
すると、顔は真っ赤なまま、鼻声でエルは言ってきた。
「ルカぁ。ジンさん、めちゃくちゃ怖かった~!!」
「え、あ、はい」
なんとなく察してはいたが、やはり初めてだったかとルカは納得した。
自分と同い年の主人は、こういうことに不慣れなのだろう。
ルカも男性経験は無いので、人のことを言えないが。
「戦場の時とは全然雰囲気違うんだもん」
それはそうと、なんか、いつもより幼くなっている気がする。
「……今まで誰も、私の事そういう目で見てきたことなかったし。
私、ちゃんとしたお姫様が輿入れするまでの管理人のつもりだったのに」
かなり動揺しているのだろう。
いきなりの本心の吐露に、ルカが困惑する。
「管理人、ですか」
「うん。だって、今まで戦場で殺し合いしてきた相手だよ?
でも、利用できるから、そういう意味で必要だからジンさんに求められてるって思ってたのに」
「あ~、なるほど」
「だって、まさか、本当に女として見られてるなんて思わないでしょ?」
ルカもエルの経歴は知っている。
戦場で鬼神と呼ばれ、恐れられていたこと。
大陸を統一し、覇者となったジンとは何度も何度も一騎打ちの殺し合いをしたこと。
しかし、結局、ジンに白星を譲らなかったこと。
戦犯として処刑されてもおかしくない程、手を血で染め上げたこと。
戦争終結後は、処刑されることなく官僚としてジンのために尽くしてきたこと。
そして、今は、そのジンに見初められ、好敵手とは違う意味で、唯一無二の存在となり彼の支えとなっていること。
「たしかに、そうですよね」
ルカの本心は違うところにあるが、とりあえず同意しておく。
女性同士の会話で同意するのは大切なことである。
まず、同意、そして傾聴。
これが基本だ。
「ねぇ、私、どうすればいいのかな?」
初めて、年相応の女の子のような問いかけがされた。
「うーん。
たぶん、今、エル様は初めてで驚いてる状態なので。
今日はもう湯浴みをしたら寝て、明日起きてから考えた方がいいのでは無いでしょうか?
ゆっくり寝て、頭がスッキリしたらご自分の心に向かい合えると思いますし」
「そ、そっか!
寝るのは大事だもんね?!」
「えぇ」
相手をしつつ、ルカは思った。
(これは、エル様も陛下のことを憎からず思っていたんでしょうねぇ)
それを、かなり強引ではあるが今回のことで自覚しつつある、という事なのだろう、と。
そう考えた。




