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「なにを見てるんだ?」
食堂のテーブルに、珍しく呪いの品以外のものを広げているエルに、ジンは話しかけた。
エルの手には、書類の束、テーブルにも書類の束。
「正室、側室候補者の身辺調査書です」
「……はい?」
「はやく選んだ方がいい、と長老会から送られてきたんです」
最初、側妻と側室は同じものだと思っていたが、微妙に違うことをエルは知った。
側妻はまだ公的に認められていない妾のこと。
側室はその逆で、公的に認められた妾のことらしい。
つまり、お前はまだ認められていない、ということをエルは公然と示されたのだ。
それでも、現状ジンの寵愛を受けているのはエルだ。
無視して人選し、離宮に送り込むことも出来たが、それでジンの怒りを勝っては元も子もない。
ならば、と表向きはエルを正室として認めるよう動き、ほかの候補者が出揃ったら、適当に理由をつけて放逐しようと考えたのである。
「余計なことを」
ジンの機嫌は一気に急降下する。
今のジンにとって、エルは必要な存在となっていた。
戴冠式の時までは半信半疑だった、エルの正体。
それを知ってから、そして、彼女がほかの男を探すと言ったのを引き止めてから、ずっとその想いは募り続けている。
「……でも、ジンさんのためですよ。
いいお嫁さんを探しますからね、楽しみにしててください」
思わず、抱きしめたくなる。
そして、それはお前だ、と言いたくなる。
けれど、言えない。
エルはそれを冗談と捉えて、やんわりと拒否するだろうことがわかっているからだ。
「好みとかありますか?」
「……お前のように手合わせのできる者がいい」
「我儘いいますね。他には?」
「自分で自分の身を守れる者がいい。
お前のように」
「ジンさん、私の事大好きですね。
となると、確かこっちに、あ、あったあった!
これです、アマゾネス部族――」
好きな女が、自分に充てがう別の女を選んでいる。
それがとても許せなくなり、ジンは思わずエルに手を伸ばした。
我慢が出来なくなり、彼女を抱きしめようとする。
そして、
『お前がいい』
そう伝えようとする。
しかし、それを、エルはするりと避けた。
「お茶入れてきますね。
ジンさんも飲みますよね?
って、どうしたんです、そんなところにズッコケて」
「……なんでもない」
「?」
疑問符を浮かべつつも、エルは厨房に引っ込む。
程なくして、お茶を入れて戻ってきた。
「今日のお茶受けは特別ですよ」
お茶とともに、果物が出される。
こちらでは見かけないものだ。
「親戚が梨農家なんですよ。
毎年実家がもらうんですけど、それを送ってくれたんです。
ジンさんの口に合えばいいんですけど」
大陸全土から珍しい食べ物が、王都には集まってくる。
しかし、海の向こうから、というとまだまだ限られている。
とくに、エルの故郷、邪神大陸などと呼ばれ恐れられている大陸とは、たしかに貿易はしているが、そこから来る食べ物が並ぶのは専ら港町周辺に限られる。
保存食品ならいいが、果物などは鮮度が落ちる為だ。
「ドライフルーツじゃないのか」
皿に切って盛られた果物は、林檎のようなものに見えた。
よくよく見ると、林檎とは似ても似つかないが。
切り方の問題だろうか。
「保存魔法をかけて送ってもらいましたからねぇ。
新鮮なままですよ」
説明を受けつつ、ひとつ摘んで食べてみる。
とてもみずみずしく、歯ごたえもあった。
甘くて美味い。
「保存魔法、か。
お前の故郷は、こちらより魔法が発達してるんだよな?」
「えぇ。
あ、だからって侵略に行ったらだめですよ!
絶対返り討ちにあっちゃいますから!!」
そんな余裕はない。
戦火の爪痕があちこちに残り、わだかまりが燻っている。
まずは大陸内を安定させるのが先であり、課題だった。
そして、そもそもジンは個人個人が戦うのは好きだが、戦争は好きじゃなかった。
沢山死ぬし、不幸になる。
「わかってるさ。
邪神大陸には、伝説の悪魔の子孫がいるからな」
「そうですねぇ。めちゃくちゃ強いですよ。
でも、国それぞれです。
人の国と友好的な魔族の国もあるんですよ」
「そうなのか」
「はい。
ここに来る前にちょっと寄って、とある魔族の国の子と、成り行きで友達になったりしましたねぇ。
元気かなぁ」
「男か?」
「はい、喧嘩売ってきたんで、ボコボコにしたら友情が芽生えました」
拳で友達を作ったのか、と呆れてしまう。
というか、本当に友達なのだろうか。
舎弟とか言われた方が納得できる。
どちらにしろエルらしい、といえばらしいが。
「あー、話してたら思い出してきました。
魔族って、より強い存在を求めるらしくて、こっちに行くのやめて嫁にこい、俺の子を産めって頼まれたんですよ」
ぶっ!
エルの過去話に、ジンな盛大に食べていた梨を吹いてしまった。
「げほげほ」
「そんな驚かなくてもいいじゃないですか」
「え、そ、それでなんて答えたんだ?」
「セクハラやめろ、って足蹴にして別れましたよ。
そしたら、なんて言うんですかねぇ、足蹴にしたのを切っ掛けにそっち方向に目覚めたらしくて。
共通の知り合いから、娼館に通って娼婦に専用の鞭やロウソク使わせて、楽しむようになったって教えてもらいました」
安心していいのか悪いのかよくわからない話だった。
というか、目覚める人いるのか、と何ともいえない気分になる。
「ま、強い存在を求めるって言ってもケースバイケースみたいですけど。
そんな事言い出したら、嫁に相応しいのはウカノお兄ちゃんになりますし。
あ、でも、子供を産めるって意味だと、フィリアお姉ちゃん達を紹介すれば良かったかなぁ。
長兄たちには強さでは負けますけど、私より全然強かったんで」
言って、そこでハッとする。
「私のお姉ちゃん、側室候補として紹介しましょうか?!」
「やめろ」
「私よりも強いし、結婚願望もありますよ?」
「というか、そもそもお前兄弟姉妹何人いるんだ?」
「私入れて十五人です。十男五女ですね。
私が一番下なんです」
「多いな?!」
「貴重な労働力ですから、産んで増やすってのはあるあるです。
あと元々多産の家系みたいで、親戚も子供多いですよ。
というか、親戚自体が多いです」
「え、なに、お前の故郷は農民でも一夫多妻が認められているのか?」
「いやいや、まさか。
全員お母さんが産みましたよ。
私を産む時なんて、陣痛来るまでドラゴン駆除やってたって聞きましたねぇ。
それが遺伝したのか基本的にみんな働き者ですよ」
「はい?!?!
御母堂殿の体は大丈夫なのか?!」
一人の人間がそんなに産めるのか、ということと、安静とは全く逆の行動力にジンは引いてしまう。
「とりあえず、死んでませんし。
今でもドラゴン含めた害獣駆除に精を出してますし」
「け、健在なら、よかった。
ところで、一番上の兄殿とはいくつ離れてるんだ?」
「お兄ちゃんですか?
えーと、お兄ちゃんが家出したのが私が13歳の時だから、今から二年前で。
32歳ですね、だから17歳離れてます」
もうほとんど親子じゃん。
「もうほぼ親子みたいな年齢差だな」
心の声がそのまま出てしまった。
「そうですねぇ」
「ん?ちょっと待て、兄、ウカノ殿は家出したのか?」
「えぇ」
「なんでまた」
「お恥ずかしい話なんですが、親子喧嘩で。
父と祖父と兄で刃物を持ち出す喧嘩になっちゃって。
ついに嫌気がさして、お兄ちゃん家出したんです。
そのあと色々あって、私も出稼ぎに行くことになってここにいるというわけです」
「な、なるほど」
「私も忙しくてお兄ちゃんとは連絡とれてないんですよねぇ。
見つかったのかな」
そこで、エルは逆にジンへ訊く。
「そういえばジンさんの御家族はどうされてるんです?
というか、この偽装結婚のこと知ってるんですか?」
エルの無邪気とも言える質問に、ジンは少し視線を逸らせる。
そして、
「……いない」
短く、そう答えた。
「そうですか」
「だから、こんな形とはいえお前と一緒になれて良かったと思ってる」
「……それはよかった。
でも、それはこれから迎えるお嫁さんに言ってください」
そんなやり取りをした、さらに数日後。
新米侍女の謹慎が明けた。
「それじゃ、早速仕事をお願いします」
テキパキとエルが新米侍女、ルカに指示を出す。
ルカはその指示を受けつつ、首を傾げる。
「あ、あの、エル様」
「ん?
指示分かりづらかった?」
「い、いえ、ただ。
ここは、離宮で後宮とは建物が別ですよね?
なんで、他のお妃様の部屋の準備を?」
「え、だって、ここにちゃんとした主を迎える準備は必要でしょ?
もう少ししたら、新しい侍女たちが配属されるから、ルカの負担も減るだろうし、それまで頑張ってね」
「え?えぇ??」
主は、エルでは無いのか。
どうなっているのだろう、と戸惑う。
その戸惑いというか、疑問はその日の夜に解消される。
その日にあったことを、もう一人の主人である国王へ報告した。
すでにエルは自室で休んでいる。
ルカも、この報告が終われば休む手筈になっていた。
夜勤は、衛兵が行うことになっている。
「なるほどな。
いや、まぁ仕方ないか」
「あ、あの、エル様はいつかここを出ていかれるのでしょうか?」
「どうだろうな。
その前に――」
殺される覚悟で、子供でも作れば留めておけるかもしれない。
子は鎹と言うし。
その言葉を、ジンは飲みこんだ。
無理矢理は避けたい。
「ここに未練でも作れればいいんだけどな」
「未練、ですか?」
「難しいんだよなぁ。
アイツ、欲しい物ときたら野菜の種や苗、農機具とかしか言わないし。
あ、あと大工道具一式か。
好きな物もよくわからない」
「……え、でもエル様って旅が好きらしいですよ??」
「そうなのか?」
「はい。
今日、湯浴みのお世話をした時に、あちこち旅するのが好きで特に温泉に入るのが好きだと申しておりました」
なるほど、だからか。
ジンは納得する。
エルはあの大浴場のことを、とても気に入っているし。
そもそも故郷の外に出ること自体が目的だった節がある。
「他には何か、言ってたか?」
「猫が好きらしいです。
ご実家で飼われていたとか」
「猫か」
「ネズミ捕ってくれる上に、愛嬌があって好きだとか」
「ペットですら実用性重視か」
猫でも贈ろうか。
そう考える。
エルの性格からしていつかは出ていくから、という理由で断りそうだ。
そうなると、
「遠出が無難だな」
なんだかんだと、この離宮に閉じ込めているようなものだ。
少し外出するのも悪くないだろう。
なんだかんだと多忙だが、そろそろ休めという声も上がっているのも事実だ。
「あとは、あ、エル様って結構な読書家みたいですよ」
「本好き?」
「はい。ご実家からわざわざ愛読していた物を送って頂いたらしく。
天気が優れない日は、それを読んで過ごされているとか」
「晴耕雨読を地で行ってるのか」
「お姉様達が読む方らしく、その影響だとか」
貧乏農家出身の割に、妙な教養が身についているのはそのためだろう。
というか、少なくともエルの故郷では身分に関係なく、文字などを学べる機会というか、制度が整っているようだ。
こちらでは、近年着手し始めたばかりである。
「なるほど。これからも報告を頼む」