宇宙まで届きそうな告白
「付き合ってほしいって……、で、でも……」
小牧が二歩三歩と後ずさる。明らかに戸惑ったような表情。声。仕草。
このタイミングで告白されるなんて、思いもしなかったのだろう。
小牧の口元がしきりに動いている。何か言いたいことが喉まで出かかっている様子だが、それを声に出すことが上手くできていない。
犬山は、そんな様子の小牧を見て、
「――ははっ、焦りすぎだろっ」
「……あ、はは、ごめんね」
緊張を解くように、顔を綻ばせる。
小牧の言葉を急かしたりはしない。彼女が何を言おうとして、何を伝えようとしているのか、懸命に汲み取ろうとしている。
小牧のことを誰よりも、分かっているから。
「でも、でもだよ……? 私たちが付き合って別れちゃったら……、私は創太と離れ離れになっちゃうのが怖くて……」
「大丈夫だよ、陽菜。この関係を壊すことはしない」
犬山の言葉は、まるで自信に満ち溢れているみたいに、力強い響きを持っていた。
「昨日陽菜に振られて分かったんだよ。俺だって、陽菜とこれまで紡いできた関係を壊したくないんだって……、気付いたんだ」
それは、互いに同じ気持ちだったという小さな気付きであって。
それと同時に、犬山の自信の根源ともいえよう、大きな自覚になったはずだ。
「俺だって壊したくない。陽菜と一緒だ。陽菜が大事にしていたものを、俺だって大切にしたい。壊したくない。壊さない。壊さずに、俺は陽菜と前へ進みたいんだ」
「そんな、こと……できるはずないよ。だってそれって――」
――それは、とても難しいことだと思う。
たぶん、一介の高校生がそこまで考えることなんてほとんどないだろう。
誰もが青春に溺れていたいから。遠い未来の話だとしか思えないから。
高校生の恋愛なんて、遊びだと割り切っている者さえ大勢いるのだから。
きっと真剣に考えることさえしない、そんな覚悟を。
このとき――犬山は。
「――陽菜のことを、本気で俺は好きなんだ」
「………え」
「世界中が陽菜の敵になったとしても、俺だけは陽菜のそばにいたいと思う」
それはいつか聞いたことのある台詞だった。
あれ。どこで聞いた台詞だっけ、と思い出してみると、確かそれを聞いたのは水族館デートの日だと気付いた。ああ、そうだ。大きな水槽の前で、俺と加納がデートの手本を見せるために俺が放った言葉で――って、え? 俺が言った台詞? てかちょっと待って? これってまさか…………。
「――結婚しよう、陽菜」
犬山の口から出た言葉は、俺が思い付きであの日口にした言葉。
犬山と小牧の前で口にした、ロマンチックでキザで恥ずかしくて絶対に使う機会がないであろう、そんな言葉を……。
――言いやがった、あいつ……。
え、なにこれ? どういうこと? マジでどういうこと?
まさか小牧と別れたくないから、じゃあ結婚を申し入れればいいやって、そういうこと? え? そういうこと? そういうことなの? 嘘でしょ? は? 結婚!?
「え、何言ってんのあいつ」
ちょっと犬山が何言ってるのか分からなかったので、隣の二人の判断を仰ごうかと思って見てみたら二人とも赤面していた。「うわぁ……!」とか「えぇー」とか言っていた。感動したり驚いたりするときに日本人が主に発する声を発していた。
「おいあいつ結婚とか言い出したぞ……。どうすんだそんなこと言って」
理屈は分かる。理屈は分かるんだが……。いや理屈もよく分からんな。それに突然すぎる。
だって結婚って人生の分岐点よ? 俺結婚したことないから分かんねえけど、きっと人生における超重要な選択よ? いいの? なんかこんな体育館裏でそんな決断しちゃって。
そして、そう思っていたのは俺だけではなかったようで。
「け、けけ、け、けけけけけっこん!?」
小牧が壊れたロボットみたいな声を出していた。
「そう、結婚だよ! 結婚して俺たちは一生を添い遂げる!」
「そ、そそ、そんなこと急に言われても!?」
いやそりゃそうだ。そんなこと急に言われても困る。
女の子と一緒になりたいからって結婚を申し入れる男子高校生はかなり珍しい。珍しいってかほとんどいない。そりゃ不安を塗り替えるような愛を伝えた方が良いとは言ったけどさ……。極端すぎるだろ。愛が急にリアルな重さになってんだよ。
「け、結婚だなんて、そ、そんな……」
たじろぐ小牧。ここから見ても耳まで真っ赤なのが分かる。
「もちろん今からすぐにってわけじゃない。でも俺は、陽菜と結婚しても良いと思ってるんだ……!」
「そ、それは……」
「俺は絶対に陽菜とは別れない! 約束する! 陽菜の隣に一生これからも居続ける! 思い出も壊さねえし、俺たちの関係にひびを入れることも絶対にしない! 約束だ!」
校舎裏に響く犬山の叫び。
運動場にいた連中にはさすがに気付かれるレベルの声量で、もう何人かはフェンス越しに二人の様子を見ている状況だった。
しかしそんな他人の目など気にする様子もなく、犬山はひたすらに絶叫を続ける。
「好きだ! 好きだ、陽菜!」
「ちょ――ちょっとやめてよっ! みんな見てるんだけど……!?」
「俺はお前のことが好きなんだよ! それだけ伝えるために、俺はここにいるんだっ!」
止まることを知らない犬山の告白。それを聞いて徐々に野次馬たちが集まり始める。
周りの視線を集めて、さらに顔を真っ赤にする小牧。
そもそも周りに人がいることにさえ気付いていなさそうな犬山。
なんつーかもう、ここまでくると笑うしかないというか……。
「おい……。どうすんだこれ……」
収拾がつかないというか、もう俺たちが介入する他ない状況だ。
犬山の愛の告白は、結局その後もしばらく止まることはなかったわけで。
好きだの愛してるだの結婚してくれだの、最後の方はもう暴走しているとしか言いようがなく……。
結局途中で俺と加納と鳴海の三人で二人の仲裁に入ることになったが、それでも犬山は、小牧に向かい叫び続けていた。
「好きなんだよ! 絶対に壊さないって約束するから!」
「あーはいはい。うるさいよー。みんな見てるよー。静かにしようねー」
「柳津……! まだ俺は陽菜から返事をもらってないんだ!」
犬山に声をかけるも、こいつは俺の方を見ることさえせずに、じっと小牧の方を見るばかりだ。
これはもうアレだ。
こいつはもう、小牧の不安をかき消すとか復縁するとか、そんな話も忘れてひたすらに思いをぶつけているだけなんだろう。
たぶん、そうすることしかできないから。
想いを伝え続けることでしか、小牧を振り向かせることができないと分かっているから。
だから――
「好きだーーーー! 陽菜ぁぁぁぁっ!!!」
校舎に反響した犬山の告白は遠く彼方までその声が届いているように思えた。
その告白は空高く、たぶん宇宙まで届いてるんじゃないかってくらいに、まっすぐ突き進んでいく。
遠く、遠くへ。
犬山の告白は遠く彼方まで消えることを知らない。
正直うるせえし自分勝手だし独りよがりで最低極まりない告白だと思う。
本当に、最低な告白だ。
けれど――
その告白が犬山と小牧、二人の関係にこれからどんな影響を与えていくのか。
犬山と小牧の未来がこれからどうなっていくのか。
今振り返ってみれば、もうあの告白をした時点で答えは見えていたのだろう。
――あの告白を見てから、思ったのだ。
あそこまで人を好きになれるということ。
あそこまで好きな人のために、行動を起こすことができるということ。
それだけあれば、二人の抱えていた問題なんて、些細なことだったんだと。
小さな問題だったんだと、今になって、そう思う。
だって、そうではないか。
宇宙にまで届きそうな告白が、目の前の女の子に届かないはずがないのだから。