わがまま
小牧の歩みが止まる。
それと同時に、犬山が小牧の方へと歩み寄っていく。
互いに視線を交わす二人。
彼らの距離は徐々に近づいていき、あっという間にその距離は、互いに手を伸ばせば届いてしまうほどに近くなる。
ピンと張りつめた空気の中。
驚いた様子の小牧が、目を大きく開いたまま犬山に尋ねる。
「なんで……創太がここに……。莉緒は?」
「悪い。ここにいるのは俺だけだ。鳴海さんはいない」
「そ、そうなんだ……。ええっと……」
気まずそうにしている小牧。もじもじと手を動かして視線を落とした。
「…………」
一方の犬山も、何も言わない。そこから先のセリフをど忘れしたんじゃないかと思えるくらい、長い沈黙を決め込んでいる。切り出すタイミングを伺っているのだろうか。そうだとしても、このやけに長い沈黙は二人にとって居心地を悪くしているだけだ。
おいどうすんだこれ。
なんか言えよ。犬山……!
「――ちょっと……! アンタなんで身を乗り出してんのよ……!」
「いや、なんかつい……」
加納に言われて気付く。無意識のうちに体が動いてしまったようだ。あまりにもまどろっこしい状況だったから、ついね……。
「いいからステイ! ハウス!」
瞬間、加納の手によって俺の頭がぐいっと押さえつけられた。それに応じてがくっと持っていかれる俺の首。いっ……痛ぇ、痛えよ! 加減おかしいだろ、暗殺者かお前は。
「今は二人を見守るときでしょ。アンタがしゃしゃり出て、いいことなんてないわ」
「分かった……! 分かったから手をどかせ……! 首折れちゃう……首折れちゃうから!」
涙ながらに懇願すると、加納にも人の心があったのか、なんとか解放してくれた。とりあえず首がつながっているかどうかを確認。……あっぶねえ、こういう感じでうっかり殺されちゃうパターンもあるのね俺の人生。マジで気を付けよう。何が起こるか分からないし。いや、どんな人生だよ。
とか思いながら加納の方を睨みつけたときだった。犬山の声が校舎裏に響く。
「……今日会ったのは、確認したかったからだよ」
「え、確認?」
「あぁ。陽菜が俺を振ったその理由を、ちゃんと聞かなきゃって思ったから」
再び二人の方を見る。どうやら犬山から先に口火を切ったらしい。
「俺、陽菜からちゃんと別れたい理由を聞いてないからさ。それだけは、はっきりさせたくて……」
「そう、だよね」
口を噤んでいた小牧が声を漏らす。それは風に乗って飛んで行ってしまいそうな、なんとか聞こえる程度の声量だった。
「ごめんね。昨日はその、別れたいだなんて、急に言うだけ言って帰っちゃって……」
「……あぁ」
申し訳なさそうな表情で手をもじもじとしながら謝る小牧。
「その、なんというか……、莉緒と話してるってことは、大体の話も聞いたんだよね?」
「うん。聞いた」
「そっか……、だよね」
小さく笑って、何かを取り繕うことに必死で。
小牧はしばらくの間を置いてから覚悟を決めるように、今まで俯いていた顔をぱっと上げる。
「創太とは、いろいろあったよね。小さい時からずっと、私たちは一緒だった」
「……? うん、そうだな。ずっと一緒だった。家も近かったし」
「うん。ずっと一緒だった。創太が近くにいてくれて、いっぱい楽しいことがあった。創太と一緒にいた時間が大切だったって本気で思ってるんだよね」
少し照れるように小牧が笑う。
「創太には、本当に感謝してもしきれない。そんな思い出がいっぱいあるの。いっぱい、いっぱい。ほんとに、いっぱい。――そんな思い出を私は、壊したくなかった」
小牧の表情はぎこちない。笑みを浮かべているつもりなんだろうが、口角だけが吊り上がったその表情はこわばっているだけだ。芯のある声も、わずかに震えている。
けれど、小牧の言葉が途切れることはない。
「創太に告白されて、とても嬉しかったよ。本当に嬉しかった。……でも、このまま付き合って、二人で関係を深め合って、今よりもっと仲良くなって――ある日突然、糸が切れちゃうみたいに、別れることになったら、それまでの思い出ってどこに行くんだろうって考えたら、急に怖くなって……」
両手を胸の前でぎゅっと握りしめて、目を閉じる小牧。
「私たちが付き合ったら、絶対楽しいと思うよ。それは分かってる。分かってるんだけど……それでも、どうしても前に踏み出せなくて」
緊張をはらんだ小牧の小さな声を、犬山は黙って聞いている。
「今までの思い出が邪魔をして、この関係だけは壊れてほしくないって、どうしても考えちゃう」
「――陽菜」
小牧は再び俯いて、そして声を震わせる。
「ごめんね……。わがままだって、本当は分かってるの……」
「…………」
どうしたって、小牧陽菜は思い出を守りたかった。
前に進んで壊れてしまうくらいなら、前に進まないことを選んだ。
それは犬山のことが嫌いだからだとか好きじゃないからだとか、そんなことではなくて。
犬山のことを誰よりも考えているから。
犬山のことを、本気で思っているから。
――進めない。
前に進むことができない。
これまで積み上げてきた二人の関係が。
互いに惹かれあうようになった、他ならぬ二人の思い出が。
――二人の恋路を邪魔している。
「…………」
それを小牧は『わがまま』だといった。
自分のせいだと、そう言って自分を責めている。
自分の行動がどうしようもなく独りよがりだということを彼女は知っている。
けれど、それでも進めない。
思い出に縋っているから。関係を壊したくはないから。
前に進めば、きっと関係が壊れてしまうこともあり得るから。
そうなる前に。そうなってしまう前に。
二人の関係が進んでしまう前に、元に戻ってしまえば。
きっと、小牧は――
「――そう、だよな」
「……え?」
それは温かさを含んだ、優しい言葉。
驚いた様子の小牧に、犬山がかけた言葉。
それは、とても優しくて、とても甘い。
「俺も、そう思うよ」
犬山は小牧に微笑みかける。
「俺たちの思い出が壊れるだなんて、それは絶対に嫌だよな。そう思うのは多分当たり前だよ。俺だってそう思う。だから、『わがまま』なんかじゃない」
犬山の手が、小牧の頭の上に乗せられて。
そしてゆっくりと小牧の頭を撫でていく。
「陽菜の言っていることに間違いなんて無いよ。大丈夫。陽菜は悪くなんかないんだ」
「……創太?」
――きっと犬山だって同じ気持ちだったはずだ。
二人は互いに思い合っていたのだから。
二人は同じ場所を目指していたはずなのだから。
だから、二人はきっと……。
「それでも、俺は――陽菜と一緒にこれからもいたい。付き合って、前に進んでいきたい」
それは、犬山の覚悟の言葉だ。
小牧が望むことを叶えながらも前に進めることを、犬山は知っている。
小牧と一緒にこれからも進んでいけることを、犬山は知っているのだ。
そのために、犬山にできることは――
「もう一度、俺と付き合ってほしい」
――小牧陽菜と、また向き合うことだ。




