終業式
翌日――
その日のクラスの浮かれ具合は異常だった。
――高校生最初の夏休み。
思い出を作るスタートダッシュとして絶対に逃がせないこのイベント。銘々がそのことに気付いているのだろう。恋も部活も人間関係も、大きく変わる転換点としてこの夏休みは重要だ。教室に入ると、いろいろな思いがひしめきあっているような雰囲気を感じる。
例えばそれは、いよいよ夏休みが始まるんだという高揚感だったり。
例えばそれは夏休みを絶対に満喫するぞという心意気だったり。
何が起こるか分からないという期待だったり、あるいは何かを起こそうという渇求だったり……。
いや、まあ……。楽しみにしていた気持ちは分からんでもないが、それにしたって、その日のクラスは完全に浮かれていた。
「浮き輪! 浮き輪持ってきたぜー!」
「はははっ……! 何やってんだよお前!」
「気が早いよぉー、まったくー」
――みたいな。遂には浮き輪を投げ合ってドッジボール始めちゃう始末。……おい。本当に浮き輪持ってきちゃったのかよ。マジかよ。持ってきてどうすんだよ。ここ海なし県なんだけど?
まあアレだ。さすがにあんな奴らと一緒にされるのは御免だが、俺だって夏休みは楽しみなので逸る気持ちは分かる。今日の式を終えたらいよいよ夏休み。人生のなかでも一度しかやってこない、高校一年生の夏休みが始まるのだ。
でもまぁさすがにね……。浮き輪だのゴーグルだの持ってきてる奴らはさすがにヤバいと思うけどね……。終業式が終わったらそのまま海にでも行くのだろうか。一秒たりとも時間を無駄にしたくはないというその行動力だけは見習いたい。
なんて思いながら、彼らを見ていたときだった。
「あっ、やべ!」
焦ったような声。
それと同時に視界の奥から急接近してくる何か――
向こうのほうから浮き輪が飛んできて――
「――ごほぁっ」
そのまま俺の顔に浮き輪がクリティカルヒットした。
「あっ、すみませーん」
「ちょっとー、変な方向に投げないでよー」
「てか今の聞いた? 『ごはー』って言ってたよあの人」
「ウケるんだけどっ」
「…………」
くっ、陽キャ共め……。何してくれてんだ……。普通に痛かったんですけど……。
だいたい教室でドッジボールすんじゃねえよ。お前らアレか。昼休みまで待てなくて五分休みで遊び始めちゃう小学生かよ。
「――よう、陽斗。もう夏休み気分か?」
飛んできた浮き輪を窓の外へ捨ててやろうかと思っていたとき、智也から声をかけられる。
「……俺のじゃねえよ。あそこにいる奴らの持ち物だ」
「なんだ、そうなのか。てっきり陽斗が浮かれて持ってきた私物なのかと」
「んなわけあるか」
まったく……。
そう言ってため息をつき、仕方なく俺は浮き輪を陽キャ共へと返してやることにする。
しかし普通に返すのも芸がない。こんなセリフをご存じだろうか。――やられたらやり返す。百倍返しだっ!
というわけで、フリスビーの要領で勢いよく浮き輪を投じた。
「死ねぇぇぇ!」
道徳の時間であれほど使ってはいけないと教わった忌詞を何の躊躇もなく口にできる自分が本当に恐ろしい。回転と陽キャへの怨念がたっぷりかけられた浮き輪はまっすぐと飛んでいき、そして――全く関係ない女子の頭にごつんと当たった。
「「あ」」
俺と智也の声が重なる。
浮き輪をぶつけられた女子は俺と視線が合うと、ものすごい顔で俺のことを睨んできた。
「あ、ど、ども……。すみません」
「……何やってんだよ陽斗」
いやまあ今のはね……。コントロールミスったんだよ……。
基本的に日陰者が調子に乗るとロクなことが起こらない。なぜだか分からないが、陽キャの真似事をすると本当に失敗ばかりするのだ。なんでなんだろうね……?
だいたい俺の方に浮き輪飛ばしてきた奴らも悪くね? とか思ってそっちの方を見たら、そいつらは素知らぬ様子でスマホとかを弄っていた。あ、あいつら……。完全に知らんぷりを決め込んでやがる……。
なんとかペコペコ謝って女子からの威圧が解かれると、智也が口に手を当ててクスクスしているのに気付いた。
「なに笑ってんだよ……」
「い、いやぁ、わりぃ。陽斗ってやっぱ面白いなぁって思っただけだよ」
「そ、そうですか……」
なんだろう。きっと誉め言葉のつもりなんだろうが全然うれしくなかった。というか馬鹿にされた気分になっているまである。だいたい今のどこが面白かったんだよ。
ギロッと智也を睨みつけてみるが、智也は歯牙にもかけない様子だった。
「そういえば、明日から夏休みだな」
「……そうだな」
ニコニコと爽やかな笑みを浮かべる智也に、俺は適当なトーンで返事を返す。
「夏休みはいろいろやることがあるんだよなぁ。友達と遊園地、一人旅に家族旅行。美咲とのデートもあるし、部活も手を抜いてられねえ」
「お前は予定がいっぱいあって羨ましいよ……」
かたや俺の予定なんて学校の課題を終わらせる、夜までギャルゲーをする、新作ゲームを買いに行くとかその程度だ。今のところ市内を出る予定はない。オンラインで買い物を済ませてしまえば家から出る予定すら無かった。……オンラインは人をだめにする。
「そうなのか? 部活があるだろ」
きょとんとした様子の智也が俺に尋ねる。……は? 部活?
「もしかして恋愛相談部のこと言ってんのか?」
「そりゃそうだろ。夏休み中に部活ねえの? 合宿とか?」
「……やるわけねえだろ。ていうか合宿ってなんだよ合宿って。何を合宿する必要があるんだよ」
恋愛相談部の合宿……。いったい何をするのか想像もつかない。どうせ適当に観光地を回って適当に飯を食って適当に帰ってくるだけだ。それは合宿じゃなくて旅行である。ちなみに恋愛相談部で旅行をする話などは一切持ち上がっていない。
「まぁそれもそうか。となると残る大きなイベントは林間学校くらいか」
「そういえば、そんなのもあるんだっけな……」
林間学校。日本アルプスの山間部に位置する学校所有の林間学舎へ、一年生が複数の団に分かれて林間学舎活動を行うというもの。部活動を除けば学校の連中と夏休み中に顔を合わせる唯一のイベントであり、二泊三日という合宿スタイルということもあって、そのイベントを心待ちにしている生徒も多いらしい。
「楽しみだよなぁ……。三千メートル級の山に登る日もあるらしいぜ?」
「なんでわざわざ山登りしなけりゃならないんだ……」
「登山というよりハイキングみたいだったって、先輩は言ってたけどなぁ。でも崖みたいなところもあって結構ハラハラしたらしいぜ……? いやあ、本当に楽しみだ。学舎の近くには温泉もあるみたいだし。陽斗も楽しみだろ?」
「はぁ……」
乾いた相槌を打つ。全然楽しみじゃないんだよなー、これが。
「なんだ、違うのか? せっかく遠いところに行けるんだぞ」
「遠いところって……。いや林間学校なんてめんどくさいに決まってんだろ……。だいたい遠い場所に行って喜べる時期はとっくに終わったんだよ俺は……」
「……ませてんなぁ」
「ほっとけや」
それに、だ。イベントの内容がこれまた気に入らないのだ。
登山に野外炊飯にキャンプファイヤー、そしてみんなの前で余興をやるらしいレクリエーション。正直、子供だましのようなイベントだなぁとか思ってしまうわけだ。……やっぱり俺はませてるだけなんだろうか。
「いやぁ、ほんとに夏休みが楽しみだよ」
しかしそんな俺とは対照的に、子供のようにケラケラと笑う智也。そんな様子を見ていて、ふと思うことがあった。
「……お前、今日機嫌いいよな」




