春日井美咲の緊急相談
春日井さんの話を少し。
擬似ダブルデート作戦はそれから何事もなく終わりを迎えた。
水族館を出てのそれからは、五人で公園をぶらぶらと歩き、レストランで適当に軽食を取り、観覧車は『またいつでも来れるし』という理由で誰も乗ることは無く、結局夕方になる前には現地で解散となった。
恋愛相談部として特に犬山や小牧に何かしたわけでもなく、二人が勝手に良い雰囲気となったために、作戦は結果だけ見れば成功という形で幕を下ろした。
――あのデート作戦から数日。
犬山や小牧が恋愛相談部に来ることは無く、いつも通りの日々が続いていた。
今は昼休みで、俺は弁当箱を持って廊下を歩いている。
いつもなら昼休みは智也と飯を食うのだが、今日は昼錬があるとかなんとかで部活の方へと行ってしまった。智也に聞くと、もうすぐ大会があるのだそうだ。昼休みなのに満足に飯を食う時間も無いとかヤバすぎる、サッカー部。
というわけで、ボッチ飯をキメる場所を探していた。こういう日は一人で飯を食べなければならない。なんせ俺の友達は智也一人しかいないので。……べ、別に寂しくなんてないんだからねっ!
まあ今のツンデレは冗談みたいなもんだが、今のところ優しさとか頼りがいとか色々総合すると、登場人物の中でメインヒロインになり得るのは智也だけのような気がした。俺のラブコメはマジでどこに向かっているんだろうか……。もしかしてBL?
――下らないことを考えて歩いていたら、いつの間にか部室の前にいた。
ふん……。どうやら帰巣本能でここまで来てしまったらしい。こんなところを自分の巣だとか思っちゃってる俺ヤバい。
まあアレだ。昼休みなら俺の天敵である加納もいないわけだし。むしろアイツさえいなければこの場所は俺にとって実にリラックスできる場所なのだ。
昼休みの教室は基本的に生徒の喧騒で騒がしいのだが、特別教室棟に位置するこの部室なら窓辺でチュンチュンしている小鳥のさえずりだって聞くことができる。
もちろん部活動以外の目的で部室を使用することは禁止されているが、わざわざこんな辺鄙な場所まで人が寄ってくることは無いし、影の薄い俺に声を掛けてくる奇特な奴もいない。咎められる心配は無用だ。
大きく息を吐き、扉を開ける。
すると、部屋の中から涼しい風が吹き抜けた。
「…………え」
「…………あ」
二つの声はほぼ同時だった。驚きと驚きの二重奏。
予想外の光景と状況に、俺は思わず一歩後ずさってしまう。
「え、なに。なんでここにいるの」
彼女がこちらへ振り向くのに合わせて、長い茶髪が靡くのを見る。
視界の中央にいる女子――春日井美咲が机の上に弁当を広げているところだった。
「……なによ? ここにいたら悪いわけ?」
「いや悪くはねえけど……」
悪いとかそんなんじゃなくて純粋に驚いているだけだ。春日井が放課後以外にここへやってくるのは初めてではないだろうか。
俺はボッチ飯をするとき最近この部室を利用している。これまでに何度か昼休みにここを訪れているが、誰かがいるというシチュエーション自体初めてのことだ。
そしてその『誰か』というのが……よりによってこいつである。正直、ギャルとか一番苦手な人種だ。こんな奴と相席とかマジで勘弁。絶対会話とか続かない。ちょっと待てい、くらいなら言えるかもしれないが。
「飯……、食うのか?」
「そりゃ人間だもの。ご飯くらい食べるけど?」
「いやそういうことじゃなくてだな……」
つーかなんでここに春日井がいんの? どういう状況、これ。
思いつく限りの可能性を高速でシミュレートしてみるが、そもそも脳ミソの出来が良くないので何も導かれない。
そして部室にこうして弁当箱を持って来てしまった以上、帰れるものも帰れなかった。
どぎまぎしていると、呆れた様子の春日井が手をくいっと動かして言った。
「とりあえず、座ったら?」
その声に俺は無言で頷く他ない。
――とりあえず部屋に入る。
そして春日井から最も遠い席を見つけて、そこに腰掛けた。
以前に恋愛相談をした相手とはいえ、こういうギャルみたいなのとサシで話すのは少しばかり緊張する。とりあえずアレだ。黙っておこう。そうしよう。
「ちょっと?」
「な……、なんすか」
「なんでそんなに遠いのよ」
「いや、だって関わりたくねえし……」
思わず本音をこぼすと春日井の眉がぴくっと吊り上がった。ああ、やばい。あの目は前にも見たことがあるぞ……。あれは目じゃなくて眼だ! だからどういうことだよ。
俺の発言にお怒りの様子の春日井さん。指をくいっと動かしている。もしかして「くるしゅうない、ちこうよれ」という合図だろうか。それとも俺のことが好きなのだろうか。わずかな期待に胸を膨らませて彼女と視線を合わせたその瞬間、レーザービームみたいな鋭い視線が俺の目を焼いた。目がっ、目がぁぁ!
「そんな遠くにいたら話できないでしょ? バカなの?」
「いや俺は別にお前と話なんて――え、話?」
きょとんとした俺の表情を見て、春日井はあからさまなため息をつく。それはもう、すんごいため息だった。お、おう……。そんな露骨に呆れなくても良いじゃないですか……。
ところで話とは何でしょう。こっちは別に話すことなんて無いんですが。
「何を話すことがあんだよ……」
「決まってるでしょ? 柳津はここがどんな部活か知ってるよね?」
「いやまぁ……。知ってるけど。俺がいる部活だし」
認めたくないが。一応所属してますので。
ちなみに初心者の方もいると思うので説明しておくと、ここは恋愛相談部といって、簡単に言うと俺が早く辞めたい部活である。
「柳津を待ってたのよ。ここでね」
「……はい?」
相変わらず状況がつかめない。いや状況だけ見ればこのまま告白イベント突入の可能性大だが、何を告白されたもんか分かったもんじゃない。春日井の態度がそれを裏付けている。なにあいつ。なんであんなイライラした感じなの? もしかして生理なの?
甘酸っぱい言葉なんて無論期待していない。むしろ酸辣湯みたいな辛酸っぱい暴言が飛んできそうだ。
身構えていると、ついに春日井が口を開く。
それは、予想だにしない言葉だった。
「恋愛相談を、聞いてほしいのよ」
「…………え?」