夏休みの入り口
七月。本格的な夏を感じさせる今日この頃。
二期制である忠節高校は六月末に中間試験を行うので、生徒にとってはこの中間試験明けが最もテンション高まる時期になる。
現に教室内の喧騒はいつにも増して騒々しく、あちらこちらで『夏休みの予定はどうなん?』的な会話が飛び交っている。
――夏休み。
七月末から始まる夏休みは、俺たち高校一年生にとって大事な期間となろう。夏といえば青春だし、青春と言えば夏。銘々で夏休みを満喫するためのイベントがあるだけでなく、学校公式の行事として一年生は二泊三日の林間学舎活動なんてものもある。高校生活で最初に訪れる長期休暇ということもあり、試験が明けてからのクラスの雰囲気は、海に浮かぶ浮き輪のように浮ついていた。
「海行こうぜ! 海!」
「やっぱサーフィンするならココの海だよな!」
「わたし、サップやってみたいー」
とまあこんな感じである。好きな季節は何と聞かれたら、即答で夏と答えそうな連中が俺の席の横で騒いでいる。本当に騒がしいし、暑苦しい。ただでさえ夏は暑いのだ。だいたいサップって何よ。格闘家?
夏休みの計画を立てている彼らを尻目に、俺は引き出しから教科書の類を取り出す。
言っておくが、別に俺は斜に構えて彼らを見ているわけではない。……い、いや。ほんとだよ? 俺だって夏休みは楽しみだし、やりたい事もいっぱいある。
ただ、彼らみたいな連中とはどう考えても馬が合わないだろうし、夏休みの楽しみ方がそもそも違うから話しても無駄だということなわけで。
大体こいつらの目的はサップではないのだ。俺は賢いから知っている。彼らはサップではなく、その向こう側にある禁断の果実が欲しいだけだということを。
夏と言えば海。海と言えば寄せては返す下心とモラル。つまり……あとは分かるよな?
こんなチャラチャラした男女が海なんて行ったらそれはもう楽しいパーティでしょうよ。サップを通して恋がヒートアップ、大人の階段をステップアップに違いない。もうダメだろこれ。
こんな頭のなかまで南国リゾートみたいなやつらと常に冷静沈着で高尚な精神を持つ俺が会話なんてできるわけがない。そういうわけだから離れろ離れろ。もうすぐ授業だっつーの。……そういうのを斜に構えるって言うんですよね。ごめんなさい知ってました。
まあ夏の楽しみ方は人それぞれだ。俺が彼らの夏の楽しみ方に文句をつけることはあるまい。せいぜい夏を楽しめばいいさ。んで不祥事起こして警察にキャッチアップされて、ブラックリストにリストアップされればいい。あー夏とかマジいみわかんね。滅びねえかなぁ。
とか思っていた時だった。教室前方で歓声が上がる。
「マジで? お前も遂に彼女持ちか!」
「夏休み前によくやったな!」
「これから応援するぜ!」
みたいな。どうやらクラスメイトの誰かに彼女が出来たらしい。
人だかりができている場所から察するに、あそこの席は確か……犬山創太、とか言ったっけ。なんともまあ爽やかな名前である。確か童顔で可愛らしい顔立ちのイマドキ爽やかイケメンだった記憶がある。ちくしょう、名前も顔も爽やかとか許されない。
あまりにも許されないのでじーっと彼の方に注目してしまう。
「いやぁ、頑張った甲斐があったわー」
人だかりの中心にいるイケメンがそう言って笑みを零した。おいおい、受け答えする笑顔もめちゃくちゃ爽やかじゃねえか。なにあいつ。静岡県民?
「押し切っただけのことはあるなぁ」
「彼女って、確か小牧さんだよね。あのめっちゃ可愛い子!」
「え、マジかよ! 抜けがけしやがってー!」
「マジでおめでとうな!」
人だかりの中、犬山は満面の爽やかスマイルで彼らの祝福を受けていた。そりゃあれだけ顔が整っていて性格も良さげな人が押し切ってしまえば、彼女の一人や二人簡単に出来るだろう。
裏を返せば、陰キャでオタクで友達も少なく、捻くれていることだけには定評のある俺は彼女を作ることが難しいということになる。たぶん押せば押すほど手ごたえが無くなっていくに違いない。マジで暖簾に腕押し。それ最初から手ごたえ無いけど。
下らない光景を前に下らないことを考えていると、聞き覚えのある声がした。
「よう、陽斗」
こちらもイケメン、大里智也パイセンだ。どいつもこいつもイケメンばかりで本当に困る。相対的に俺の顔がゴミに見えてしまう。これが相対性理論か……。違うか。違うね。
「なにまた下らないこと考えてんだよ」
「俺の思考を読むな。なにお前? エスパーなの?」
「バカお前。顔に全部書いてあるぞ。何なら当ててやろうか?」
え、マジ? 俺の顔ってそんな分かりやすいの?
驚いていると、智也が両手の人差し指をこめかみに当てていた。どうやら俺の思考を読んでいるらしい。エスパーとかじゃなくてバカにしか見えないぞ、それ。
「お前の思考を読んだ。なになに……? ビーストボム、ドロップキック、ゴリラプレス……」
「――それサップじゃねえか!」
おいお前いつの記憶引き出してんだよ。つーかサップってそっちじゃねえから。
「じゃあ何考えてたんだ?」
「……別に。あそこの犬山に彼女が出来たらしいから、死なねえかなあとか思ってただけだ」
「お前なぁ」
智也が大げさにため息をついて見せる。人を呪っているようじゃ幸せにはなれないぞ、とでも言いたげな顔だ。人を呪わば穴二つ、というやつである。
「犬山はこれから苦労するだろうからな……。お前にも祝福してほしいもんだ」
そう言って智也が不遇な動物でも見るかのような目で俺の肩をポンとたたく。この手は何だろうか……。よく分からんがどうやら哀れまれているようだ。おい放せこの野郎。
まあ俺の性格がカスであることくらいこいつも承知のはずだ。それより俺が気になったのは智也の台詞にあった『苦労する』という言葉の方である。