変わらないこと、変わっていくこと
相談者が部室から去り、部屋には部員だけが残った。
いつもの沈黙が訪れ、それまで騒がしいくらいの激論を見せていた俺たちは人が変わったかのように各々スマホを弄っている。
相も変わらず恋愛相談部は平常運転である。
季節は七月に入り、夏到来って感じの気候がここ数日続いていた。気温は優に三十度を超え始め、その暑さは外を歩くだけでもすぐに汗ばんでしまうほどだ。加えて梅雨が明けきっていないせいか、じめじめとした肌にまとわりつくような空気感があり、大人しくしていた虫たちも続々と出現し始め、おまけに日差しは肌に刺さるくらい燦燦と照り付けてくる……。ほんと、イヤになってしまう。日差しが強くて嬉しいのなんて太陽光パネルくらいだというのに。いや、知らんけど。要するにクソ暑くてマジだるい今日この頃。
俺は机に突っ伏して、微動だにせずボーっとしていた。
――暑い。
ただでさえ放課後に時間を使ってまで他人様の恋愛相談なんて聞きたくもないのに、追い打ちをかけるように俺を襲う夏の暑さ。
部屋のエアコンは効きが悪い上に二十六度以下には設定できない始末で、うちわを扇げど頬に当たるのは熱風の類。心頭滅却すればなんたらと言うが、どう考えてもこの暑さは人が我慢できるものじゃない。なにこれ? 修行?
地球温暖化が進んでるなぁとか思いつつ、その原因物質である二酸化炭素をため息で盛大に吐き出してやる。すると、俺の行動が気に食わなかったのか、あいつが口を開いた。
「そんな露骨にため息つかないでほしいわ。幸せが逃げるでしょ?」
「別に良いだろ……。逃げるのは俺の幸せなんだし」
「聞いているこっちまで幸せが逃げそうなのよ。今日、私に面白くないことがあったらアンタのせいだからね」
「理不尽すぎるだろ……」
何が理不尽かって、逆に俺は加納のせいで幾つもの幸せが奪われていることだった。放課後に心静かにラノベを読むことも、みんなでわいわいカラオケとか寄り道することも、帰り道の公園で彼女とドキドキしながら唇を重ねることも……――うんそうだね。二つくらいありもしない幸せだったね。……うるせえよ悪かったな友達も彼女も満足に作れなくて。
とまあ意気消沈していると、
「そういうときは、逃げた幸せを吸っちゃえばいいんじゃないかな……?」
もう一つの声――どこか落ち着いていて優しい声が聞こえた。
声の主は鳴海莉緒。最近になって恋愛相談部に入部した同じ一年生だ。
「いや。そういうのでも無いと思うけどな……」
「そうかな? 私のお母さんは、逃げた幸せはちゃんと吸い込むようにって言ってたよ?」
ちなみに鳴海にはちょっと天然が入っている節がある。彼女の返事に俺は『そ、そうですか……』という他ない。幸せが吸い込めるんなら、家からダイソン引っ張り出してきてそこら中吸いまくってるよ俺?
「莉緒ちゃん違うわ。アイツといると、私たちの精気が吸われちゃうって話よ」
「ああ、なるほどー」
「なるほどじゃねえよ」
いつの間に精気の話になったんだよ。精気吸うとか俺は妖怪かな?
まあ俺に友達が少ないのも、彼女がいないのも、人生がうまくいっていないのも全部妖怪のせいだからね……。仕方ないよ、うん。何が仕方ないんだろうか。
今日も加納の毒舌は止まらない。俺を毒づくことに関して言えばこいつの右に出る者はいないだろう。たぶん左に出る者もいないと思う。
「というか、そんな話はどうでもいいのよ。それより陽斗くん、さっきの相談は何?」
下らないことを考えていると、加納が大げさにため息をこぼしていた。話題が変わったかと思えば加納がこちらを睨み付けている。いつものゴミを見る目だ。ちなみにもう慣れた。……ていうかお前もため息してんじゃねえか。
「何のことだよ?」
「あのあと誤魔化したから良かったけど……。アンタには常識とかモラルっていうものがないわけ?」
「おいその言葉。自分の巨乳に手を当ててもう百回復唱しろ。お前だお前。常識もモラルも無いのはお前」
「はぁよく言うわこの童貞?」
「まぁまぁ……落ち着いて、ことちゃん……」
見ての通り、俺と加納は相変わらず相性が最悪である。水と油。犬猿の仲。排他的関係というやつだ。もうホントにね。排他的経済水域ですら二百海里離れてるんだから俺たちもそれくらい離れた方が良いと思う。
俺たち二人がいがみ合っているのを仲裁する鳴海。俺と加納が喧嘩を始めて、鳴海がそれを止めるという構図が最近の部活の日常風景となってしまっていた。
鳴海には本当に迷惑をかけている。申し訳なさというか、罪悪感みたいなものを感じてしまう。……まあ俺たちが喧嘩やめればいい話なんだけど。
「でも、ことちゃんの言うことには一理あるなぁ」
とか思っていたら、鳴海が俺の方を見ていた。
「……え?」
「みんなせっかく来てくれてるんだから、柳津くんはもっと真剣に相談した方が良いと思うよ?」
「お、おう……」
鳴海に怒られた……。というか、諭された。
突然のお叱りにびびって俺は鳴海の方へと向き直る。彼女と視線が合った。すごくマジメな顔で俺のことを見ている。
確かに鳴海の言う通りかもしれない。一理どころか百理あるな、これ。
別に怠けていたつもりはないけれど、真剣に相談していたかと言われると微妙なところだ。最近は解決策が思いつかないと処女を捨てれば良いんじゃね? とか思っていた。そのたびに加納から鉄拳制裁を食らっていた。
なんだか胸を締め付けられるような思いがしたので、正直な反省の言葉を口にする。
「それはそうだな。気を付けるよ……」
「うん!」
俺の返事に満足したのか、鳴海がニコッと笑う。可愛い……。鳴海は今までの恋愛相談部にはいなかった天使みたいな存在である。
恋愛相談部に彼女が加わったことで、部内のパワーバランスに何らかの変化が生じ始めている。こうして俺と加納が下らない諍いを起こしても、それを止めてくれる存在が現れたからだ。いわば鳴海はレフェリー的存在とでも言うべきか。
このまま加納王国だった恋愛相談部に、鳴海が革命を起こしてくれることを切に願ってやまない。なんなら革命じゃなくて謀反とかでもいい。首取っちゃえ首。
「ちょっと! 私との話はまだ終わってないんだけど?」
「はいはい、うるせえうるせえ。もう帰るぞ」
喚く大将は放っておいて俺は鞄を持ち上げると、そそくさと扉に手をかけた。
扉を開けて、ふと、思い出す。
――鳴海のあの事件から一カ月。
あれ以来、大ごとになるような相談は来ていない。
無論、面倒な相談なんてこっちから願い下げなわけだが、時折あの騒がしかった一連の事件を思い返しては、ため息をこぼす。
恋愛相談部は、今日も今日とて何も変わらない。
「……また明日な」
最近、帰り際にそんな台詞を口にするようになった、そのこと以外は。




