春日井美咲は許せない
許せないっていう話です
「浮気よ! それはっ!」
放課後、恋愛相談部を訪ねてきた春日井は叫んでいた。
俺が浮気調査の結果を報告したところ、開口一番に叫んだ台詞がそれだった。
「いや……。だから浮気とかじゃなくてだな――」
「浮気よそんなのっ! やっぱり私が見たのはともちーだったのね……」
「ともちー、って」
んん……。誰だよ、ともちーって。
いや。カップルが互いにどう呼び合おうが知ったことではないが。
「陽斗くん、今の話は誰から聞いたの?」
「もちろん本人に聞いた」
俺が加納にそう言うと、春日井が前のめりになった。
「ともちーがそう言ってたのね! 言質は取ったわ!」
「いやだから浮気じゃねえって」
興奮状態の春日井を宥める。なんでこいつブチ切れてんだよ。
「さっきも説明しただろ。お前が見たのは確かに智也だが、浮気じゃない。あれは告白してきた部活のマネージャーのことを思ってのデートだったって何度言ったら……」
「言ってるじゃん! デートって言ってるじゃん! それはもう浮気って言ってるようなもんじゃん!」
「いや、それはさすがに違うだろ……」
俺の言葉に耳を貸す様子もなく、春日井はあらん限り怒り狂っていた。
その様子を見ていた加納が小さく息を漏らし、俺の横腹をぐっとつねる。耳を貸せという事らしい。加納は相変わらずめちゃくちゃ可愛いのに、素行が小学校時代俺をいじめてきた隣の席の香澄ちゃんと一緒だった。……もう少しやり方あるだろ、痛ぇよ。
「……ほかに何か聞いてないの?」
「いや、それだけだ」
「そう……。じゃあ私たちはもう幕引きね」
「は……? どういう意味だよ」
「美咲、こうなったら誰にも止められないのよ」
呆れた様子で小さく息を漏らす加納。
なるほど。確かに春日井は怒髪衝天って感じだ。……怒り狂ったラージャンかよ。
加納は俺から離れると、いつものにっこり笑顔で春日井に声をかける。
「美咲、まずは落ちつこ。別に彼氏さんも美咲を裏切るようなことしたわけじゃないし」
「裏切ってるよ! だって別の女と乳繰り合ってたんでしょ! 他の女と、乳繰り合ってた……。乳……、繰り合ってた、のかなぁ……」
「大丈夫かよお前」
なんかちょっと泣きそうな表情になってる春日井さん。
なんちゅう言葉の区切り方してんだよ。何を想像したのか丸わかりなんですけど……。
「安心しろ。そういうことはしてないとも言ってた」
「そういうことって何よ!」
「お前が今想像したことだよっ!」
言わせんな恥ずかしい。
「智也は春日井のことを第一に考えていたよ。それだけは確かだ」
「……そんなの、分かんないじゃない」
「いや分からないとかじゃなくてだな――」
「絶対に浮気よ! 信じられないっ!」
「……っ」
くっそめんどくせーな、こいつ。聞く耳もたねえし。
智也が春日井のことを本気で思っていることは確かなのだ。浮気をしていないことも事実相違ない。
だが、春日井にとって智也が別の女の子とデートをしたのは理由に関わらずグレーゾーン……、むしろクロだというのだから始末に負えない。
まあ、春日井の気持ちも分からなくはないんだが……。
「こういうのってさ……」
と、あれだけ怒声を散らしていた春日井が、いつの間にシュンとなっていた。
ポツリと呟くように、口を開く。
「こういうのって惚れた方が負けなんだよね……」
「…………」
――惚れたら負け、か……。
春日井の言葉に、俺は何か引っかかる感情を覚えた。
惚れたら、負け。
果たしてそれはどうなんだろうか。いったい何に負けるというのだろう。
誰かに惚れて恋をすることは、とても素晴らしいことだというのに。
春日井は、負けを認めなければならないのだろうか。
「あの男……。どうしてくれようか……」
「殺気立つな殺気立つな」
なんか春日井の後ろでメラメラと燃える炎が見える。彼女の凄まじい怒気が俺に幻覚を見せているのだろうか。
「今日はともちーの絶望記念日ね……。二人も一緒に記念日を分かち合いましょうか? ……ふふっ、どうやって懲らしめてあげようかしらね」
「勝手にそんな記念日を押し付けんな。あと怖ぇよ」
春日井曰く、智也は疑惑がシロでも半殺しの運命にある。春日井が智也を許そうが許すまいが、どっちにしろ智也が絶望するのは確定である。はいはいラートムラートム。
不穏な笑みを浮かべる春日井に呆れていると、隣で様子を見ていた加納が口を開いた。
「美咲……。それでいいの?」
「いいもなにも、私には許せない! ともちーには地獄を見てもらうわ」
「何する気だよお前……」
もはや春日井からは命を刈り取る死神のオーラしか感じ取れない。くくくっと笑うその姿はホラー映画に出てくる幽霊のようだ。たぶん今の春日井にナメた口を利くとホラー映画で最初に死ぬお調子者みたいに真っ先に殺されるに違いない。
友人として智也を救いたい気持ちはある。だが自分の命も惜しい。そこで俺は智也と自分の命を天秤にかけることにした。……がくん、と秤が下がる。選ばれたのは俺の命。よし。智也は諦めよう。
心の中で祈りをささげていると、部室の扉がノックも無しに開かれた。
がらがらと無機質な音を立てる扉。誰だよと思って俺は扉の方を見る。
――現れたのは渦中の人だった。