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第五章 伍(少しだけ未来)

伍 大城洋子(少しだけ未来)


 風が通り過ぎていった。

 駅の階段を降りる途中でのことだ。無意識に足を止め、慌てて髪とスカートを押さえる。幸い、周りには誰もいなかったようなので、安心して残りの段数を駆け下りていく。

 ――髪、伸びたな……。

 改札に定期を通しながら、ふとそんなことを思う。前に美容院に行ったのはいつだっただろうか。小学校を卒業して以来、ずっとショートを通してきたけど、この際だから、久しぶりに伸ばしてみようかな。学校も、制服も、生活も、全てが一新された今だからこそ、そんなことを思う。我ながら安易だとは思うけれど、そうすることで、過去の自分を――自滅することしか考えられなかった自分を、完璧に捨て去りたかったのだ。


 あの騒動から、もう二ヶ月が経とうとしている。

 たくさんの人に心配をかけた。

 たくさんの人を、傷つけた。

 今になってみれば、自分の馬鹿さ加減に腹が立つ。いくら、傷つき、追い込まれていたとは言え、私のしたことは最悪だ。『周囲の人間を悲しませたくない』『心配をかけたくない』『騒ぎにしたくない』という目的はことごとく叶えられず、全て裏目に出て――ただの自己満足だ、と言えば確かにそうなのだけど、その自分自身が死んでしまうのでは、それすら意味がない。誰も救わない、誰も救われない、何の意味も、何の意義もない、『計画』と呼ぶのもおこがましい、子どもの思いつき。あんなことを本気でやっていたなんて、思い出すだけで恥ずかしくて、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 だけど、あの時の私は――八方塞がりの密閉空間で酸欠に陥っていた自分は、そこまで頭が回らなかったのだと思う。誰も頼れない、誰にも相談できない、誰にも心配をかけたくない――勝手にそう思い込んで、自分で自分を『孤独』に追い遣って、それでますます首を絞めて……。

 全てが終わった今だからこそ、冷静に分析できるのだけど。

 

 駅舎の外にあるスロープに沿って歩き、天竜浜名湖鉄道の白い駅舎の前を通りすぎ、公衆トイレの脇にある駐輪場へ向かう。

 自転車は、お母さんが中古のモノを買ってくれた。自分でやったことなんだから、自転車ぐらい自分で買う、と最後まで主張したのだけど、「出世払いで返してくれればいいヨ」などと軽く流されてしまった。

「洋子は、もっと甘え上手にならなきゃダメだよ。そのためにお母さんがいるんだから、ね?」

 病室で言われた言葉を思い出す。

「まあ、そういうお母さんも、喜代さんに同じこと言われちゃったんだけどねー」

 努めて明るい口調で話そうとしているのが、何だかとても印象的だった。


 所定の位置に自分の自転車を見つけ、解錠する。前輪と後輪に一つずつ――両方とも、鍵を使うタイプ。前に使っていたダイヤル式の数字錠は、やめた。あれは当てにならない。……もちろん、自分の誕生日なんてベタなものを番号にしていた自分が悪いんだろうけど。

 ふと、海人の顔が頭に浮かぶ。あの子は、ずいぶん早い段階で私の考えに気が付いていた。私の絶望を、分かっていた。分かっていたうえで、私を傷つけまいと何も知らないふりをして、必死に妨害をしていたのだ。まだ小学生なのに、姉である私のために、たくさん危険なことをして――はち切れそうな不安を、自分の胸の中にしまい込んで。……ダメなお姉ちゃんだな、と思う。本当なら、私が海人を守らなきゃいけない立場なのに。たった一人の姉として、自分がもっとしっかりしなきゃいけないのに。

「……へへ」

 唐突に、笑いが漏れた。

『もっと甘えなさい』『肩に力入れすぎだよ』『責任感の強さが斜め上を向いてる』――今回、色んな人に、色んなことを言われた。黙って聞いてたのは、そのどれもが正解だったから。自覚は、しているんだ。……だけど、何か考え事をすると、すぐに『もっと頑張らなきゃ』『もっとしっかりしなきゃ』って思ってしまう。

 ――ゴメンね、みんな。

 この性格は、当分治せそうにない。


 ペダルを漕ぎ、三月の柔らかい空気を切り裂いていくように、駅前の商店街を抜けていく。買ってもらったのは中古のママチャリだけど、乗り心地は抜群だ。少し沈んだ気持ちを振り払うように、ぐんぐんペダルを漕いでいく。立ち漕ぎしようかと思って一瞬腰を浮かしかけたのだけど、さすがに自重する。

 豊橋信金の角を右に曲がり、天浜線とJR線の踏切を連続で渡ると、道を挟んで左手に市の施設が見え、その先には小さな公園が広がっている。

 あそこのベンチで、海人とたこ焼き食べたっけ。あの時は香織さんも一緒だった。……そう、確か二年前の夏休みだ。当時私は中学生で、海人は三年生、香織さんはまだ高校生だった。三人で浜松に遊びに行って、その帰りにあの公園に寄ったんだった。

 あの時の香織さん、右腕を骨折してた。

 これじゃ受験勉強も店の手伝いも出来ないし、暇だからって、それで私たちと一緒に遊んだんだ。だんだん思い出してきた。

 香織さん――キレイで、優しくて、頭が良くて、私はいつも甘えてばかり。だから、病室で仲の良かった後輩が自殺したって話を聞いた時は、本当に驚いた。夏と冬にしか会えないけど、いつも――いつでも――いつだって、明るく優しくしてくれていたのに。

 香織さんも、無理してたんだと思う。いや、もしかしたら今でもそうなのかもしれない。だけど、私たちにはそんなところ見せない。それどころか、本気で私のことを心配してくれて、思い出したくないだろうに、あんな辛い過去の話までしてくれて。

 年はそんなに変わらないけど――強い人だと、思う。

 また一緒に遊びたいな。何にも考えないで、朝までカラオケとかではしゃいだりしたい。いつも私を可愛がってくれる香織さん。大好きだ。


 本屋の向かいにあるサークルKでお茶を買い、外に出て飲む。別にそれほど喉が渇いている訳じゃなかったんだけど――天気が良くて暖かくて気持ち良くて――何だか、久々にぼーっとしてみたくなったのだ。たまには、こんな時があってもいい、と思う。

 西日を浴びながら一息吐いていると、交差点の向こうから見知った人間が自転車で近付いてくるのが見える。目が合う。挨拶しようとして――ほんの一瞬だけ、無視されたらどうしよう、と思ってしまう。いや、あの人はそんなことしないって分かっているけど――

「お、洋子ちゃんじゃんっ!」

「こんちわー」

 ……結局、声をかけるのが遅れてしまう。いつもそうだ。外で誰かに会っても、自分からは声をかけられない。躊躇してしまう。人からは『人懐っこい』と言われる私だけど、それは意図的にそう見せているだけで――本当は、人見知りなのだ。溜息を吐きそうになるのを、ギリギリのところで我慢する。

「学校の帰り?」

 脇に自転車をとめて、神谷さんが聞いてくる。

「はい。神谷さんは、またサボりですか?」

「『また』って何だよ――あ、ちょっと待って」

 ツッコミの途中で店の中に消えていく。数分して、カフェオレと肉まんを購入した神谷さんが戻ってくる。

「……だいたい、職務中にサボったことなんて、一度もないんですけど。人聞きの悪いこと、言わないでもらえるかなぁ?」

「今は何なんですかー?」

「今が職務中なんて、僕は一言も言ってないよ?」

「へえ。非番でも制服なんですか。こち亀の両さんみたいですね。……新畑さんに言いつけようかな」

「肉まん、半分食べる?」

「馬鹿にしないでください。私が食べ物に釣られるような女だと――」

 最後まで言わせてもらえなかった。神谷さんが、半分に割った肉まんを口に押し込んできたからだ。

「食べたね? じゃ、取引成立ってことで」

「司法取引ですか。とんだ悪徳警官ですね」

 憎まれ口を叩きながらも、口元が緩んでいくのを止められない。

 私はこの人に心を開いてるんだな――と、自覚する。

 人見知りな私は、親しい人が相手じゃないと、リラックスして会話を楽しむということができない。これは最近気が付いたのだけれど、私はどうやら、あまり親しくない人を相手にしている時や、親しい相手でも自分の気分が落ち込んでいる時には、必要以上にお喋りになってしまう癖があるらしい。沈黙が、怖いのだ。相手が黙っていると、とてつもなく不安になる。だからハイテンションのマシンガントークで、場を埋める。相手に考える隙を与えないようにして、身の安全をはかる。臆病で卑怯な人間なのだ、私は。『風車』のおばあちゃんは、そんな私を見て「アンタのそういうとこ、お母さんにそっくりだわ」なんて言っている。少し捻くれてて少し天然なところはお母さんに似て、真っ直ぐで思い込みが激しいところはお父さんに似ている、らしい。『捻くれてる』のに『真っ直ぐ』って、矛盾していると思うのだけど――おばあちゃんに言わせれば「人間なんて矛盾の塊」らしい。よく分からないのは、私がまだ子どもだからか。

 

 西日に当たりながら、二人並んで肉まんを平らげていく。

 

「……学校には、慣れた?」


 カフェオレに口をつけた神谷さんが、何気ない風に聞いてくる。視線はまっすぐ前を見据え、口調はどこまでもフラット。あくまで自然に、世間話でもするかみたいに。

「ハイ――友達も、できました」

 神谷さんの気遣いを心地よく感じながら、私も自然な口調で返す。

 何気ないついでに、そっと彼の横顔を窺う。

 目尻が吊り上がっていて、黒目の部分が小さい。無表情だと、それだけで怒っているように見える。

 誤解されやすい人。

 私と同じで――多分、人見知り。

 だけど仲良くなれば、面白くて優しい人だって、分かる。

 神谷さん。

 私の命を、助けてくれた人。

 本人は偶然通りかかっただけで、本当に感謝しなきゃいけないのは、私の考えに気付いた大和さんだって言ってる。それは確かにその通りで、本当なら大和さんに直接お礼を言いたかったくらい。

 ただ、私が感謝してるのはそのことじゃなくて――

「そっかぁ」

「三学期の中途半端な時期に転校したから、最初は不安だったんですけどね」

「大丈夫でしょ。洋子ちゃん、不安になるとマシンガントーク発動するし。すぐに打ち解けられるだろうな、とは思ってた」

 さらりと人の内面を見抜く人だ。胸を突かれたような気がして、少し動揺する。

「あ、でも大変なんですよーっ! ほら、浜松の高校だから、電車通学になったじゃないですか。朝とかすっごい混むし、この前なんて定期と間違えてテレホンカード改札に通しそうになっちゃって、後ろのオジさんに舌打ちされるし、しかもその場面、たまたま同じクラスの子に見られてたらしくって、教室で散々ネタにされて、『洋ちんって意外にドジなんだねー』って、失礼な! ってか『洋ちん』って何!? それ私のあだ名!? 親にもそんな風に呼ばれたことないんですけど!」

「――動揺してる? もしかして図星だった? 言ってるそばから、早速マシンガン連射してるけど」

 サトリの化け物か、この人は。それとも私が単純なだけかな。新しく出来た友達にも、『洋ちんって、変にしっかりしてるくせに、変に天然だよね』って言われるし。……別に、嫌じゃないけど。

「いいよねー、洋子ちゃんは。僕なんて、見た目のせいだけで、どれだけ損してきたか。ほら、僕って目付き悪いじゃん?」

「そうですねー」

「……うん、あのね、そこは嘘でも『そんなことないですよー』って言うべきじゃないのかな?」

「無茶言わないでください」

「肉まん返せこのヤロウ」

「サボってること、新畑さんに言いつけますよ」

「ごめんなさい」

 下らない軽口が、今は何だか楽しくてしょうがない。最初は、ここまで仲良くなるなんて思ってなかったんだけど。

 ――退院する、前の日。

 その日は朝から暖かくて、ベッドでウトウトしている間にお母さんがどこかに行っちゃってて、仕方ないから窓を開けて外の風景を眺めていたんだった。日差しが強くて、額が汗ばむ。汗を拭こうとしてフェイスタオルを取り出したところで――

 風が、吹いた。

 タオルが飛ばされて、窓から落ちちゃって――それを拾って届けてくれたのが、神谷さんだった。最初は私服だったから気付かなかったんだけど、少し話をして思い出した。学校の帰りに、何度か声をかけてきたお巡りさんだ、って。それに、神谷さんのことはお母さんから聞いていた。何度もお礼を言って――また悪い癖で、沈黙を埋めるように冗談めかして一方的に喋り続けて――神谷さんは、時々相槌を打つだけで、ずっと聞き役に徹していて。

 神谷さんも、私と一緒で緊張していたんだと思う。きっと、お母さんやおばあちゃん、それに香織さんみたいに、私を励ますなり諭すなりしたかったのかもしれないけど……結局、ほとんど何も喋らないまま、ただ私の話に耳を傾けていた。私は緊張すると必要以上にお喋りになるんだけど、神谷さんの場合はその逆で――と言うかそれが普通なんだろうけど――うまく、言葉が出てこないみたいで。ただ、側に立っているだけ。

 その日はそれで終わったんだけど――だけど、神谷さんはそれで終わらなかった。

 何かにつけ、私のことを気にかけてくれた。

 私の話を聞いてくれた。

 私の隙間を――埋めてくれた。

 そのくせ、不用意に深い部分まで立ち入って来ない。絶妙な距離感を保ちながら、私に居心地のいい空間を与えてくれた。つかず離れずの場所から、真っ直ぐに光を当ててくれた。

 何だか、ひどく救われた気がした。

 いつからか、私も神谷さんもすっかり緊張が解けて、顔を合わせるたびに軽口を叩き合う仲にまで進展している。……だけど、この関係に、どんな名前を与えればいいんだろう。『友達』とも違う気がするし、もちろん『恋人』でもない。……まあ、そんなことはどうでもいいのかもしれない。


 私は、今生きている。


 死ななくてよかったと、本気で思う。


 それで――充分だ。


「……ずっと、気になってたこと、一つ聞いていいですか?」

「彼女はいないよ」

「そんなこと絶対に聞かないし興味ないし聞かなくてもだいたい分かるし」

「おお、それ以上言うと、泣くぞ?」

「それ、何ですか?」

 神谷さんの軽口なんて無視して、私は制服の胸ポケットから覗いているそれを指差す。

「あ……これ?」

 指で摘んで、神谷さんはそれをポケットから引っ張り出す。一瞬、ギクリとした表情を見せたのは気のせいだろうか。この人の場合、そういうリアクションを取ると、人相がますます凶悪になるので、できればご遠慮願いたいのだけど。

「キーホルダーですか?」

「うん――昔、ある人から貰ったもので……僕の、宝物なんだよね」

「へぇ……」

 ぼかした言い方をしているのは、あまり触れられたくないからだろう。私にだって、そのくらいは分かる。

「それ、紙粘土ですか? 手作りですよね?」

「え、あ、うん。そうだけど……」

 何だろう。目に見えて挙動不審だ。そんな大したことは言ってないと思うのだけど。

「へー、風車ですかぁ。カワイイですねー」

「えっ!」

 吃驚した。いや、吃驚したのは神谷さんだけど、私はその声に吃驚した。見れば、普段は三角の目を丸くしてこちらを凝視している。

「……違うんですか」

「――いや――違わないけど――」

 そう言う神谷さんは、まだ吃驚したままだ。本当に何なんだろう。

「違わないけど……フッ」

 吃驚顔の神谷さん、今度は急に吹き出して、お腹を抱えて大笑い。

「ちょ、何ですかっ! 何で笑うんですかっ!」

「いや――うん、よかった――女の子にチョップする訳にはいかないからさ――って、ゴメンね、意味分かんないよね――だけど――」

 洋子ちゃん、すげえや。

 訳も分からず誉められて、私は一体どうしたらいいんだろう。何か、大笑いしながらもホッとしたような顔してるし。だけど、まあ、そんなに嫌じゃないから、いいか。


 風が、吹いた。


 風が通り抜けていった。

 何だか、懐かしい匂いがする。

 優しい、柔らかい、暖かいイメージ。

 ふと気配を感じて、後ろを振り返る。

 だけど、そこには誰もいない。

 一瞬感じたあの匂いは、どこで感じたものだっただろうか。思い出せない。横を見れば、神谷さんはまだ体を震わせて笑いに耐えている。次第にどうでもよくなって――気付けば一緒に笑っていた。

 私はもう、一人じゃない。

 

(風 ~ 了)

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