帰り道
「怒ってるよ」
ズグッとカナトの心臓がえぐられる。
「……でもいいよ、もう。あたしの方こそ、カナトのこと危ない目に合わせてばかりだった。檻から逃げ出して、換気ダクトの上から落ちたあたしのこと助けてくれようとしたのに。カナトとソナがいなかったら、きっとあたしはすぐ檻に帰されてたし、そしたらまた装甲車両に押し込まれてた」
「リニー……」
(ごめん)
自分のことしか考えないで、無責任に我儘勝手をした後で彼女のことを抱きしめたりして、心の底からバカだと思った。
けれど、無力だろうが、世間から堕落者だと言われようが、今だけはそんな自分でも許してもらいたかった。
彼女の首筋は当たり前だが温かく、その温度は自分と似ていて、このままずっと離れたくなくなってしまう。
ただ、『ヨンゴダの船』でそこら中に立ち込めていた煙の臭いがまだ彼女の髪に纏わりついていて、ソナの狂気や船から逃げ出してきたことが、けっして夢でも遠い過去の話でもないことを切に思い知らされた。
それはたぶんリニーにとっても同じだった。
彼女もカナトと同じことを感じたらしい。
「『ヨンゴダの船』は行っちゃったよ、ボロボロになって半分壊れたままずっとずっと遠くに。そのうち見えなくなって……ソナも一緒に。もう戻ってこないね、きっと」
「そうか──ねえ、リニー」
カナトは冷えた体に、ジンと熱い流れを感じた。
鼓動が早くなってしまったことも、伝わってしまっただろうか。
「あいつのこと、好きだったの」
リニーは驚いた様子で体を起こし、睫の長い目を丸くした。
「……『好き』?」
あまりにも無垢な顔で訊き返され、とうとうカナトの頭のてっぺんまでボッと血が通う。
「い、いや──いいんだ。今のは忘れていい」
リニーはそんなことは一瞬たりとも考えたこともなかったような顔をして首を傾げていた。
「あたしはカナト、好きだよ」
無垢な表情で、リニーは言ってくれる。
一瞬どきりとしたが、そうじゃない。
「──そういう『好き』じゃ……でも、ありがとう」
どんな言葉を返したらいいものか困ったあげく、カナトはそんなリニーのことをやっぱり好きになってしまったのかもしれないと思った。
「ソナも好きだった。ロウェンは──あまり好きじゃないけど……たぶん悪い人じゃない、あの人」
「ロウェ──そうだ、ロウェンさんは!」
言われて急に思い出し、カナトはいっぺんに血の気が引いた。
『ヨンゴダの船』でのあの惨事だ。
自分は奇跡的に無事だったが、元軍人とはいえあの男もただの人間だ。
彼になにかあれば、シュリーにはいっそう申し訳が立たない。
強そうに振舞っているが、実は線の細い従姉のことだ。
悲しみに暮れ、今度こそどうにかなってしまうかもしれない。
けれどそんなことは露ほども知らないリニーは、小さなため息さえ紛らせて肩をすくめた。
「帰り道を探しに行ってるよロウェンは。船が突き破った岩盤から二キロか三キロは離れてると思うけど、とりあえず様子だけ見てすぐに戻ってくるって言ってたから、もう戻ってくるんじゃないかな」
彼も無事だったらしい。
あの胡乱で怠け者だったロウェンを相手にカナトはホッとしてしまった。
「リニーは知ってたんだね、ロウェンさんのこと」
「うん、ずっと前に任務で。これくれたのはあの人だよ」
リニーはそう言うと、胸で揺れていた紅水晶のペンダントに触れた。
「拾ったんだって。酷い任務の後で、あたしはすごく疲れてて──一緒に組んでたあの人が、『なんの石かは知らないが、俺が持っててもどうしようもないからおまえにやる』って」
カナトは苦笑いをした。
シュリーにガラの店の番を任されたロウェンだ。
その石の種類を知らなかったはずがない。
「それはね、紅水晶っていう石だよ。『愛の石』なんだって」
愛の石……自分で声に出すとやっぱり少し照れてしまう。
いろんな感情を誤魔化して、目を背けたいところから逃げ出して、そうやってきたロウェンだから、この石の前に気が引けたか。
「石って、それを必要としている人の前に知らず知らずのうちに現れることがあるんだってさ。そんな話を聞いたことがあるよ」
ふうん、とリニーは頷いた。
真剣にカナトの話を聞いてくれている。
無視されたり、なんの反応もされなかった時間の方が長かったから、まるで夢でも見ているようだ。
「気づいたら、ずっと前から持ってたみたいに大切にしてた。最初は冷たいのに温かい感じがして変な石だなって思ったの」
「ああ、それは俺も思った」
ガラの店で、その話をした時のことをカナトは思い出した。
ガラは今頃どうしているだろう。
戻らないカナトとロウェンのことをあの岩みたいな厳つい顔で罵り、当り散らしているだろうか──否、そんなはずはない。
たぶん刻んだ皺をなおも深くし、塞ぐシュリーと共に心配しているにきまっている。
やがて、二人の背後でタンッと靴音がした。
「邪魔か」
噂を聞きつけてきたかのようなタイミングでプラットホームに上がってきたのは、銃剣を担いだロウェンだった。
この人はいつもナイスなタイミングで現れてくれる。
「い、いえ、まさか」
常々思うが、この男の威圧感はどうにかならないものなのだろうか。
カナトは条件反射で背筋を伸ばしてしまう。
「気分はどうだ、ずいぶん長い時間そこで伸びていたが」
「よくわかりません──やっと頭がはっきりしてきたくらいで」
まごつきを抑えられないまま、カナトは答える。
「見つかったの、帰り道?」
リニーは束の間の白昼夢を絶たれたかのような暗い顔をしていた。
「いいや、岩盤が崩れて穴が完全に塞がってやがる。ヨンゴダのやつらにとっては好都合だったろうよ、証拠隠滅が出来たんだからな。まったく、あいつら虫けら以下だ」
ロウェンは苦々しく舌打ちし、細めた目を穴があったはずの方へ向けて続ける。
「おかげで来たところを戻るのは不可能だ。換気ダクトに入り込むわけにもいかねぇしな……戻れたとしても、一旦地上へ出たことがバレりゃ俺たちは謀反者だ。理由を説明したって軍も政府も簡単に処理しないだろう。俺たちはエクセラントを敵に回したんだ。なにか手を打たねぇと」
望みもなにもないようなことを、無表情のままでロウェンは告げる。
リニーのことを厄介者だとかお荷物だとは言わなかったが、一向に歓迎はしていない言い方だ。
シティにあるガラの店、その二階にあるロウェンの部屋は地上の景色を撮った古い写真のコピーやポスターでべたべたと埋め尽くされていた。
イメージや知識ならば頭に叩き込まれているはずのこの場所に、彼は今、どんな思いで立っているのだろうか。
一度は志したグランドフォースにしか踏みしめることが出来ないはずのこの場所に、地上派の婚約者だったという人が日々思いを馳せたであろうこの場所に、留まりたいという気持ちは一寸たりともないのだろうか。
ロウェンの心中はいつだって難解だ。
「リニー、おまえも協力しろよ」
リニーは黙り込み、しばらくはなにも答えなかった。
ロウェンも自分がそこへ立ち、彼女に影を落としてやるだけで充分返答を促す効果があるとわかっているのか、やかましく急き立てたりはしない。
「……あたしは」
なにか自分の思いを言い出そうとしたリニーだったが、それでも先を続けられなかった。
半ば呆れ、やがてロウェンは二人に背を向けてベンチの背もたれに腰を掛ける。
「おまえが檻に戻りたくねえことなんか、正直いってどうでもいい。けど俺らは帰りたいんだよ。ここは人の住む場所じゃねえ。そのためのシティだ。わかったな」
「……ロウェン、そういえば前からだったよね、どこの任務でも同行して必要以上に戦いたがってた──あの暗闇も、音も臭いも人一倍知ってるくせに、誰かが戦わなくちゃシティには誰も住めないって知ってるくせに、あの場所に帰りたいなんてわかんない」
ロウェンは目を瞬かせた。




