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「お前は何か知らないのか?」
「何が?」
むすっとしたクレアが聞き返してくる。無理に起こされたのが不満なのか、起こされ方が嫌だったのか。おそらく両方だろう。
リエリアはうんざりしながら事の顛末を話す。強力な、それも魔王レベルの敵が現れた事。その男が魔物を操っていた事。そして、一連の事件にシルヴァ・ウィンチェスターが関係している事。
「別に、魔王の一人や二人、出てきたところで問題はないだろう」
枕を抱き締めるように持ったクレアがぼやいた。彼女にとってはそうかもしれないが、他の人間は違う。
「問題は、この先なにが起こるかだ」
魔族の男が首都付近にいた理由。それは魔物の出現地点が関係しているとリエリアは読んでいた。
魔物の発生。数にだけ目が行きがちだが、その出現場所がどんどんと近くなっている事が妙だ。一ヶ月前までは首都から遠いアイガー平原に現われていたのに、今ではすぐ近くのノーレイの森。明らかにおかしい。
クレアもそれに気付いたのか、表情を険しいものへと変える。
「"世界樹の根"が拡張されているのかもな……」
足元を見つめたクレアが呟いた。
「なら、シルヴァが倒した魔族は……」
「今回の事件の下準備に来ていたか」
「あの馬鹿め……」
リエリアは忌々しげに毒づく。シルヴァに部下を殺されたため、あの男が自ら最後の仕上げに来たのだとしたら、もう未然に防ぐのは不可能なのではないか?
一ヶ月前の大量発生はオーガなどの大型クラスが出現していた。今回は小型の魔物だ。
魔族の狙いは、おそらくアルメイアの首都を直接攻撃すること。小型の魔物ではいくら用意しても無駄なため、大型を送り込んでくる気だ。
ヴァンプス将軍の率いる主力部隊は各地に出現する魔物の掃討に向かっている。つまり、今の首都は守りが薄いのだ。
「まずいな。既に術中にはまっている」
シルヴァは何か知らなかったのだろうか? 犯人である魔族を何人か殺している以上、事件の尻尾を掴んでいる可能性も高いように思える。
「シルヴァは何か言ってなかったのか?」
クレアに尋ねる。あの男と一番親交があったのはクレアだ。
「いや、なにも言わなかった。だからシルヴァは騎士団を追われる事になったんだろう」
「まったく……」
クレアに嘘を吐いている様子はない。
「ライキ殿を守っている余裕は無いかもしれんな」
「それは……」
クレアの言葉にリエリアの表情が強張る。来希がゴーレムの扱いに慣れてきたこともあって、式典は間もなく開催される予定だ。
その場で<ブレイド>は完全に来希の物となる。だが、やはり気は進まない。初めての実戦に臨む時に、傍についていてやれないとは──
「私は、ライキ殿の騎士だ」
「………」
リエリアが苦しげな表情で言った。その気持ちを察してクレアは押し黙る。当然だろう。リエリアは今、首都に住む民より、来希を優先したのだ。
勇者を守ることがリエリアの仕事だ。それは全てにおいて優先される。たとえ、世界中の人間が危険に晒されるたとしても、最後まで勇者の盾となり、剣とならなければいけないのだ。
それが騎士だ。
「今なら、シルヴァが去った理由もわかるな」
こういった、騎士の意地のようなものが嫌だったのだろうと思う。国民から納付された税で暮らしておきながら、その力を違うものを守るために使う。これは変だ。
「それは、仕方のない事だろう」
クレアがポツリと漏らした。抱えていた枕をギュッと抱きしめ、
「あの馬鹿め……」
そう呟いた。
◇
「では、騎士団を辞めた理由というのは……」
「んー。辞めろって言われたし、辞めたかったし」
シルヴァはだらだらと答えた。魔族を何人か殺したが、そこで捜査が打ち切られたため、その後の事は知らない。興味もなかった。
「騎士団に不満があったのでしょう?」
「そんなん最初からあったわ」
それでも入った。他に道がなかったからだ。色々と込み入った事情もあるが、とりあえずは何かの技術を手に入れたかった。
シルヴァは天涯孤独の身だ。家族はいない。一人残らず死んでしまった。だから、生きるための技術がどうしても必要だった。
「ヴァンプスのおっさんから色々と教わったし、恩返し的な意味もあったよ。別に誰かを守るためとか、そういうんじゃない」
魔族に襲われた村へ救援に向かったのも、それが騎士団員の仕事だったからだ。正義感から、というわけではない。
王家には嫌われまくっていたし、軍の上層部からの評価も最低だった。魔法が使えない、素行も悪い、異常に高い装備の破損率。
クビになるのは当然である。シルヴァの方も頃合いだと思っていたので、素直に辞めた。
「他にもなにか理由がありそうなんですが……?」
少女は疑問に思ったらしく、眼鏡をキランと光らせる。その視線を受け流し、シルヴァは紅茶を口に運んだ。
「それはどうでもいい事だろう?」
「む……」
「俺と今回の事件の関係性は無いし、仕事は受けた以上、きちんとこなす」
傭兵部隊への参加という仕事。まだ正式に受けてはいないが、受諾しようかとは思っている。
<ライン・ラーク>というゴーレムに興味があったし、他に行くアテもない。
シルヴァは空になったカップを置き、少女に目配せする。彼女はむっとした様子でポットを取った。
客人がお茶を注ぐという奇妙な光景だったが、文句を言う者はいない。シルヴァは高笑いがしたくなった。生意気な態度をとる少女が相手なので、なおさらだ。
「おっと」
ポットから注がれていたお茶の狙いが逸れ、テーブルに零れる。信じられない温度の飛沫が手にかかり、シルヴァはソファーから転げ落ちた。
悲鳴もない。右手の皮膚の一部が爆発したかと思った。涙で滲む視界の端で、こちらを見下ろす少女の顔が見える。
「失礼しました。こういうのは慣れないもので」
乾燥した声の裏で、ざまあみろと言われている気がした。
「わざとだろ」
「過失ですとも」
嘘だ。過失に見せかけた嫌がらせだ。そうに違いない。なんということだろうか? 無害な相手に向かって熱湯を浴びせかけるなど。危険な思想を持つ人間だということは明らかだった。
「しかし……」
加害者である少女が言った。悪いと思っている様子はまったく無い。
「巷で見かけたという不審な集団が気になります」
「妙な連中だった。ゴーレムも持っていたしな」
「騎士団の方は動けませんよ? 死傷者は一○○人以上。<グローリー>も五体が破壊されたということですし」
大型の魔物が二体出現したらしく、ヘルトロイトに配備されているゴーレムも大きな被害を受けていた。
他のところも似たり寄ったりで、つまりは街の防衛力が著しく低下しているということだ。
こんな時にテロリストの襲撃を受けたら、壊滅的な被害を被ることは間違いない。
「契約さえ結んでいただければ、<ライン・ラーク>をすぐにでもお持ちしますが」
「それは、この仕事が終わってからでいい」
シルヴァの言葉に、少女が形の良い眉を寄せた。気持ちはわかるが、こちらにも譲れないものがある。
今の状態では勝てないからといって、他者の力をアテにするというのは、ひどく格好悪い行為だと思うのだ。最初から用意された人員と装備だけで任務を完遂する。ポリシーの一つだ。
「無いなら奪えばいい。それだけのことだ」
もちろん、彼女を納得させられる理由もある。乗ったこともないゴーレムをぶっつけ本番で使いたくない。
<ライン・ラーク>の性能が<グローリー>と同程度だといっても、普通の器体という保証はないのだ。むしろ、込み入った事情があるからシルヴァのところに話がきた。
だが、シルヴァが述べたのは精神論の一種だ。必要なことを言わないのが彼の悪癖だった。
「……気に入りませんね」
「わかってもらおうとは思わんさ。俺は今ある物だけで仕事をする。外部から与えられた物はいらん」
頑固な言葉。少女は眼鏡の位置を修正しながら、呆れた顔をする。
それを眺めながら、シルヴァは考えていた。
騎士団がテロリスト三人組みから押収したというゴーレムが一器あったはず。
アルメイア製の器体ではなかったらしいが、問題はない。本当に非常事態に陥った場合、あれを使うしかないだろう。
テロリストの方にも余分な戦力は無いはずなので、もしかしたら取り返しに来るかもしれない。
やりようなどいくらでもある。安易な道は嫌いだった。
「では、これからどうするつもりなのですか?」
「大量発生は収まるだろう。本番はその後だ」
「………?」
ソファーに座り直しながら言う。シルヴァの言葉の意味が読めないのか、少女は怪訝顔をした。
首都に直接、大型の魔物を送り込むというのが魔族の考え。そう、シルヴァは読んでいた。
国立学院の入学式前後にあったオーガの出現に、最近続いた小型の魔物の大量出現。全てが繋がっている。
そして、シルヴァを襲った少女の言葉。テログループが魔族と繋がっているなら、被害はより深刻なものとなるだろう。
(でかい事が起きるな……)
その思いは確信に近い。シルヴァはひっそりと息を吐いた。