大丈夫20話 吸血鬼は泣いた
翌日――
G.O.D日本支部・第三区分室。
朝の空気は、いつにも増して重かった。
「……え?」
四ノ宮は、上官からの報告を受けた瞬間、思わず言葉を失った。
「昨日、一緒に飯を食ったあの2人が……殉職?」
手渡された書類を見ても、信じられなかった。
訓練校からの同期で、昨日もあれだけ元気に笑っていた仲間たちが――
“死亡”と記された欄が、無慈悲に彼の名前を突き刺してくる。
「そんな……なんで……」
目を疑いながら、現場の記録映像と写真に目を通す。
しかし、その中にあった“痕跡”は――
ただの吸血ではなかった。
壁に激突したように破壊された背骨。
明らかに圧力で千切れた腕。
咽喉を裂くのではなく、“引きちぎる”ように断たれた首。
返り血すらも芸術的なまでに散っていた。
「……これは……」
吸血衝動による殺害ではない。
これは明らかに、“見せしめ”だ。
意図的に“殺す”ことを前提とした、殺意の痕跡。
――しかも、速すぎる。
「応戦の形跡がない。……まともに武器も抜けていないままやられてる」
上官の言葉が重く響いた。
「んー……復讐に来たのかもね」
不意に根津さんがつぶやいた。
「あの母娘、戦う力はほとんどなかった。となれば……懇意にしていた別の吸血鬼が、仇討ちに動いた可能性が高いね。次に狙われるのは、僕たちかも」
そう言って、根津さんはニヤリと笑った。その笑みはどこか楽しんでいるようにも見えた。
***
その頃、夜の街角。
真白は日が差さないビルの裏路地に静かに潜んでいた。身を潜めるのは得意だった。そして“気配”を読むのも。
目の前に広がるのは、血と死の気配をまとった路地裏。
「あの二人じゃなかったか……」
小さくつぶやくと、仮面越しの声が夜に溶ける。
「……次」
感情のないその一言だけを残し、真白は再び暗闇へと身を沈めた。
***
一方、G.O.D支部。
「我々は、しばらく二人を襲った吸血鬼の捜査に移る」
上官がファイルを置きながら言う。
「現場の痕跡、行動パターン……すべて異常な点が多い。“杭”を狙った動きだ。特定は困難だが、そのうち……向こうから姿を現すだろう」
根津が肩をすくめる。
「どうせ、どこかを歩いてればそのうち出くわすさ。ああいうタイプは、待つのが嫌いだろうしね」
***
「真白君が……やはり一人で動いているようだ」
中村の静かな声に、喫茶店の空気が僅かに揺れる。
カウンター越しでそれを聞いた祐は、カップを置き、立ち上がった。
「店長。……僕も行きます」
「四ノ宮君、ここからは二手に分かれよう」
「……二手に、ですか? 一体の吸血鬼に、二人で対応するのが基本では?」
四ノ宮が首をかしげる。
吸血鬼は少数でも危険な存在であり、単独行動はリスクが高すぎる――訓練でも、そう叩き込まれてきた。
だが、根津は構わず歩を進めながら答えた。
「常識的には、ね。しかし、今回の対象は『ただの吸血鬼』ではない。目撃情報と行動パターンを照らし合わせると、こちらの動きを察知して逃げている可能性が高い。……ならば、釣り餌が必要だ」
「……囮、ですか?」
「炙り出し、と言った方がいいかな。君のような“新人バディ”が、うろついていれば、きっと接触してくる。今のうちに、手札を見せさせるんだ」
その言い回しに、四ノ宮の眉がわずかに動く。
「……ですが、それでも単独行動は――」
「心配はいらない。確かに今は一人だが……“仕掛け”はすでに終えてある。あとは、そこに獣がかかるのを待つだけさ」
根津は不吉な笑みを浮かべ、煙草の火を細い指で弾いた。
「四ノ宮君。吸血鬼は一体とは限らない。そして……彼らがこちらの思う通りに動くとも限らない。ならば、“揺さぶって、動かす”んだよ」
四ノ宮はしばらく沈黙し――やがて、静かに頷いた。
「……了解しました。俺にできる範囲で、炙り出してみます」
「頼もしいね。君のような“正しさ”を掲げる存在が、餌として歩いてくれれば、きっと出てくる」
背を向けたままそう告げる根津の言葉は、どこか――予言めいていた。
**
薄暗い路地を、四ノ宮は一人歩いていた。
吐く息は白く、頬を撫でる風がやけに冷たい。
冬の空気は、ただ静かに街を凍らせていた。
左手の中指には、黒銀の指輪――レヴナントが嵌められている。
まだ展開はしていない。だが、いつでも“応じられる”ように、意識は研ぎ澄まされていた。
“新人バディがうろつけば、向こうが手札を見せる”
(……つまり、俺が囮ってことか)
不満はあった。だが、“杭”である以上、任務を放り出すわけにはいかない。
その言葉を反芻しながら、周囲に気を張って歩いていたそのときだった。
角を曲がった先、街灯の下に、フードを被った一人の青年の姿があった。
(……誰だ?)
立ち止まり、四ノ宮は警戒を強める。
――それは、僕だった。
吸血鬼の影響で、人々の足が遠のいた夜の街。
まるで世界が息をひそめたような空気の中、僕は一人、響華の気配を追って走っていた。
(……真白ちゃん。無茶してなければいいけど……)
そんな矢先だった。
曲がった先、街灯の下に“それ”は立っていた。
大柄な男。鋭い目。まだ展開されてないが黒銀の指輪。
(……杭。……でもまだ、展開はしてない)
相手の指輪を見て、僕はひとまず距離をとった。
けれど、血が足りない。瞳が――赤く染まりかけている。
(……まずい)
「止まれ」
四ノ宮の低い声が、夜を裂いた。
「お前、何者だ。吸血鬼か?」
僕は一歩も動かず、マスク越しに返す。
「……どいてもらえますか?」
「……!」
その一言で、四ノ宮の目が鋭くなる。
(こいつ……目が、赤い……!)
「お前……吸血鬼か?」
沈黙。
その沈黙が、すべてを肯定していた。
(反応なし、肯定もしない……でも――この目……この“飢え”)
四ノ宮の脳裏に、嫌でも蘇る。
数日前、仲間だった二人の“杭”が、赤い霧のように散った現場。
応戦の隙すら与えず、“見せしめ”のように惨殺されたその現実。
――そして、目の前の“赤い目”。
「お前……俺の同期二人を殺した奴の仲間か?」
「……なんのことか分かりません」
冷静に返したつもりだった。だが、瞳が物語っていた。
(……バレた……!)
「その目が証拠だ。……血に飢えた、あの目が!」
四ノ宮は、左手をゆっくりと持ち上げた。
中指の指輪が淡く輝く――
レヴナントが、応じようとしていた。
「お前たちはなぜ、無垢な人々を襲う!」
叫びと同時に、四ノ宮はその場から飛び退き、展開の構えを取る。
黒銀の指輪から噴き出す黒い靄。
それが形を持ち始め、巨大な重量武器――大剣の輪郭が現れ始める。
「なぜ――二人を殺した!!」
僕は咄嗟に身を翻す。
――もう、交渉の余地はなかった。
「何故だッ!!」
止まらない。問答無用の攻撃。
僕はただ、かわし続けることしかできなかった。
「彼らはなぜ殺された!? G.O.Dだからか!? 人間だからか!? ――人が殺される理由なんて、どこにある!!」
轟音と共に、振り下ろされた大剣が地面を砕き、壁をえぐる。
破片が弾け飛び、僕の身体が吹き飛ばされた。
「この世界を歪めてるのは――貴様ら《吸血鬼》だ!!」
背中を打ちつけたコンクリートの冷たさが、冬の夜の気温をまざまざと教えてくる。
立ち上がりながら、僕は静かに呟いた。
「……僕たちだって……好きで人を襲ってるわけじゃない」
足を引きずりながら立ち上がる。
「柚葉さんたちは、誰も襲わなかった。あの人たちは……ただ、静かに暮らしたかっただけなんです」
赤い瞳。獣のように剥き出しの犬歯。
そして、かつての“屍鬼”の名残り――鋭く伸びた爪が、無意識のうちに光を帯びていた。
(止まれ……僕は、誰かを……)
その願いとは裏腹に、衝動が肉体を突き動かす。
**
四ノ宮も再び踏み込み、怒りを力に変えて大剣を振るう。
僕はその斬撃をかわしながら、腕を振り抜いた。
爪が空を裂き、四ノ宮の頬をかすめる。
(……影が……動いた?)
その瞬間、彼の背に違和感が走る。
「ッ……誰かいる……後ろに?」
僕は、音もなく“影”を滑るように移動していた。
そして気づけば、四ノ宮の背後――彼の影の中に立っていた。
“夜に気配を感じたら、決して振り返るな――振り返れば、そこに《シャドウグリム》がいるから”
中村さんから渡された古書に、そう記されていた。
屍鬼の進化先。
影を纏い、影を喰らい、影そのものを武器とする異形。
それが《シャドウグリム》。
「くっ……!」
警戒と本能が同時に働き、四ノ宮は反射的に身を翻した。
だが――遅い。
鋭利な爪が、彼の頬を浅く裂いた。
影が蠢く。
地面に落ちたふたりの影が、ねっとりと絡み合い、やがて一つに重なっていく。
「これは……!」
四ノ宮の足元から、黒い糸のような影が伸びる。
まるで意志を持つかのように、彼の動きをじわじわと侵食していく。
僕の《影》と四ノ宮の《影》が、一本の“縄”のように結びついている――
その瞬間、四ノ宮は本能に逆らえず振り返ろうとした。
「く……ッ!」
鋭利な爪が、彼の頬をかすり、浅い切り傷を刻む。
“エンド”として目覚めた、自分の中の何かがうねり始めていた。
四ノ宮は、死を覚悟した。
そのときだった。
「逃げてくれ――!!」
「!?」
叫びだった。
「逃げてくれ!人殺しに……僕をしないでくれッ!!」
仮面の奥の瞳が、赤く光る中で――
確かに、涙を流していた。
「僕は……人なんて殺したくない……!!」
四ノ宮は絶句した。
(……吸血鬼が……泣いてる?)
衝動に呑まれながらも、必死にそれに抗うように。
――その姿が、どこまでも“人間らしかった”。
そして、四ノ宮の中で、何かが揺らぎ始めていた。
遠ざかっていく足音が聞こえた。
助かった。
そう思うべきだった。
だが安堵より先に、身体の奥底から別の何かが溢れ出してくる。
飢え。
渇き。
理性を削り取るほどの衝動。
「ぁ……
「血が……血が欲しい……ッ」
喉の奥が焼けつくようだった。
頭の中はもう真っ白で、理性という理性が吹き飛んでいた。
「血をくれよォ……!」
それは叫びというより、獣の唸りに近かった。
吸血鬼の吸血衝動――それは、気が狂うほどの苦しみだ。
痛みではない、飢えでもない。
ただひたすら、“欲求”だけが肉体を支配していく。
エンドは地面を這い、爪を突き立て、狂ったように暴れ回った。
全身が軋み、胸の奥が焼ける。
何かを壊さなければ、耐えられない。
その時だった――
背後に、微かな気配。
本能が反応し、鋭利に伸びた爪を後ろへ振るう。
ブシュッ――!
血のにおいが鼻を突いた瞬間、夜の冷気にその香りが溶けてゆく。
冬の空気はどこまでも澄んでいて、だからこそ――彼女の血の匂いも、すぐに届いた。
「……エンド」
優しい声が耳に届いた瞬間、動きが止まる。
そこにいたのは――セレナだった。
セレナの腕を傷つけてしまった――
その罪悪感すら、僕の理性では押さえきれない衝動に、涙がにじんだ。
「だいじょうぶ……」
その言葉とともに、セレナは何も言わず、静かにエンドを抱き寄せる。
「……!」
傷つけたはずなのに、彼女は微動だにせず、ただ包み込むように僕を抱きしめていた。
その胸元から、流れる血が口元に触れる。
舌先が――勝手に動いた。
意識では止めたかった。けれど、渇きに抗えなかった。
(やめろ……やめたかったのに……)
その葛藤を置き去りにして、血が舌に触れた瞬間――
視界が、溶けた。
(……ああ……)
甘く、温かく、優しい。
それはまるで、世界中の赦しを凝縮したような、幸福そのものだった。
暴れていた身体から、徐々に力が抜けていく。
その中で、セレナの声だけが、遠くで何度も繰り返されていた。
(――これが、僕の生き方なのか?)
(誰かを傷つけて、赦されて……それで、生きていくのか……?)
「……だいじょうぶ……」
「もう、大丈夫だから」
その声は、まるで雪のように静かで、やさしかった。
終わりない闇《吸血衝動》を、銀色の冬が照らした。




