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勘違いという名の権能

(クラリス、ブリジット。それに他の娘たちのお陰でなんとかなってるな)


 安宿の食堂で夕食を済ませているハルが、心底からの感謝を抱く。

 覚悟をしていたとはいえ、働いていた西方一座と袂を分かち、これからどうしたものかと途方に暮れていたが、とりあえず纏まった金額が手に入ったので、いきなり生活に困るようなことは無いだろう。


 それも全ては、劇を手伝ってくれたクラリスとブリジット。更には彼女たちから聞いたところによると、残りの五人も教会への口利きをしてくれたらしく、七人のお陰で生活が出来るようになっていた。


(立派になったもんだ。残りの五人と会うのも楽しみだ)


 思わずハルは年寄りのような思考になるが、それは仕方ないことだろう。

 鼻水垂らして遊び回っていたクラリスたちの子供時代を知っている身からすると、手際よく動き回っている彼女たちの姿は感慨深いものがある。


(しかし……女司祭でも結婚はする。嫁入り前に俺の近くにいて本当に大丈夫なのか? あれだけ綺麗になったら、彼氏くらいはいるだろ)


 ただハルは別の心配事も湧き上がった。

 司祭、女司祭問わず、結婚は禁じられていない。それなのにもう三十半ばを超えた、世間の若者からはおっさんと呼ばれる自分の近くに、そろそろ嫁入りを考える女がいるのはマズいように思えた。


(うーむ……)


 トイレに行くため立ち上がったハルは、妙な悩みを抱きながら歩く。

 そのすぐ後、杯にナニカを垂らされたのには気が付かなかった。


 それ程語ることは多くない。

 突然通り魔が現れるようなもので、突拍子が無いのだ。


(死んじまえ。死んじまえ)


 名も語る必要が無い男の背景?

 賭け事にのめり込んで借金を背負い込んだ薬師が、勝手に絶望して、勝手に狂気に陥り、偶々訪れた安い宿の食堂に入り込んだ。

 皿の状態からまだ食べている最中の人間が、トイレにでも行ったのだろうと判断して、小瓶から毒を取り出しさっと流し込んだだけの話だ。

 周囲は酒が入り注意力散漫で気が付かず、男の方も名も顔も知らない誰かが、一旦席を外したのではなく、食事を終えていても構わない適当さである。

 本当に意味もない通り魔に等しいだろう。


「ふー」


 そんな通り魔が去った後、息を吐きながらハルが席に戻り、杯に入っていた酒を飲む。

 この毒は特殊で、なにかに混ざれば数十分で毒の作用が無くなる代わりに、非常に強力な効果を齎す。酒で薄まっていても、一口飲めば忽ち血反吐を吐き散らして死に至るだろう。

 が。

 ハルの認識は酒だ。


 ならば酒であるべきだ。


 ならば酒精であるべきだ。


 ならば単に酔うだけであるべきだ。


 体は毒を完全に無視し、粘膜は爛れることなく、単なる酒として処理されていく。

 幾らなんでもで出鱈目過ぎる能力は、権能と呼んでもいいだろう。


 一方、名も無き男は、そろそろ借金取りに全てを奪われそうな自宅に戻っていた。


(誰かは分からんが飲んだかなあ。死んだかなあ。明日は一番強力なのを井戸に入れてやろう。きっといっぱい死ぬだろうなあ)


 こんな風に注意力散漫で、毒物を扱うべきではないだろう。

 例えばぼーっとして、つい、水を飲むつもりで、うっかり毒の入った瓶を手に取り、間違って口をつけ、

 勘違いでそのまま飲むことだってあり得る。


 実際はもっと、もっと、もっと悍ましかった。


(し、しまった⁉ 毒入りの瓶⁉)

「ごぼっ⁉」


 男の喉から血が溢れた。

 彼が飲んだのは毒ではなく本当に水だ。

 なんの注意書きも張られていない瓶に入れていた、なんの変哲もない水を飲んだのに、彼はそれが毒だと誤認して悶え苦しむ。


「おおっごっ! ごげえっ!」

(ま、マズい猛毒を飲んだ! げ、解毒剤を!)


 男は自分が使った毒を飲んでしまったと思い必死に吐き出そうとしたが、濁った血が出てくるだけで呼吸もままならない。

 単なる水が思い込みの力で食道を焼き、胃の粘膜を爛れさせ、大量の出血を伴わせる。


 それでも必死に、念のため用意していた解毒剤を飲もうとして……気が付いた。


(これは単なる水だ! 解毒剤は何処だ⁉)


 厳重に封をしている小瓶を見て、それが単なる水だと思う人間などいないだろう。

 それなのに男は中身が水だと誤認し、血走った目で必死に探す。


 馬鹿げた話だが水を毒だと勘違いし、解毒薬を単なる水だと()()()したのだ。


(無い! 無い! ど、どこだああああああああ⁉)


 目の前にあるだろうと言ってくれる人間はいないし、言われたところで彼は誤認し続けるだろう。

 床を探し、隅を探し、探し、探し続け……。


「ごぼぼぼぼっ…………」


 ついには溢れた血で気管が詰まり、痙攣して……果てた。

 皮肉なことに倒れた衝撃で解毒剤の小瓶が落ち、彼の指先で止まった。


 害の位置も意図も関係ない。

 害の意識も無意識も関係ない。

 害の指定も無差別も関係ない。

 害の自覚も無自覚も関係ない。


 死につながる物を勝手に判別し、死につながる者を勝手に見つけ出し対処する無意識、無自覚の防衛機構。

 世界に潜む概念そのもの。

 誤認して正しい方向に突き進める人間がいるなら、間違えて死に直結する者がいるのも道理だろう。


 明日には井戸に毒を混ぜ、大きな被害を生み出したであろう男は、人知れず無自覚勘違いを抱いて命を落とした。

本日終了。主人公補正のない無自覚勘違いってこんな感じすかね?(*'ω'*)

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