↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Article 9 永遠の愛 — それは福音なのか、呪文なのか PART Ⅱ  作者: あみれん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/13

第七話 暗約

Day −2 / 14


千尋はベッドに横になり、目を閉じ、耳を澄ましていた。

千尋の腹部にそっと置かれた手を、カーテンの隙間から漏れる月の光が柔らかく照らす。

湖の月光に揺れる小舟のように、その手のひらが腹部を優しく愛撫している。


「ねぇ、あなたはどうしたいの?」


千尋は再び小さく呟いた。


耳を澄ますと、普段は意識していない音が耳元で鳴り始める。

どの音も遠くで小さく鳴っている。


電車がレールを擦って走り去る音

飛行機の飛び去っていく音

過ぎ去っていく救急車のサイレンの音


そして―

近づいてくる靴音が聴こえてきた。

あの男の靴音だ。

靴音が止む。

男の声が蘇る。


「産むことは許さない。下ろすんだ、いいね。費用は全てこちらで持つ」


再び男の靴音が鳴り出す。

靴音は遠ざかっていく。

そして、聴こえなくなった。


千尋の目が開く。

千尋はベッドから起き上がると、ベッド脇のサイドテーブルの上に置かれたタブレットにタイプし始めた。


>お願いがあります。


数秒の沈黙。

タブレットのモニター上の幼虫は動かない。


千尋は続けてタイプする。


>一千万は今の私の全財産です。会社を辞めたので、お支払いする事は出来ません。


一拍。

千尋は天井を仰いだ。


>相手の男に支払わせる事は出来ませんか?一流企業の役職者です。"費用は全てこちらで持つ"と言いました。


モニター上の幼虫がモゾモゾと動き出す。


>男の氏名を。男の勤務先は、あなたが辞めた会社ですね。


千尋は下唇を軽く噛んだ。


>田邊隆二


モニター上の幼虫がクルクルと周り出す。

千尋は目を閉じ、腹部に手を置く。


数十秒後。


モニター上の幼虫が回転を止め、モゾモゾと動き出す。


>承知しました。一千万は、田邊隆二さんから頂きます。デュプリカントのモニターの件は無かったことにするよう手配します。安心してデュプリカントとの生活の準備を進めてください


幼虫の体表がわずかに歪み、

意味を持たないはずの形が一瞬だけ現れ、

そのまま静かにフェードアウトしていった。


千尋は小さなため息をつくと、ベッドに横になった。

目を閉じると、一粒の涙と共に言葉が漏れ出した。


「これで⋯いいんだよね」



Day −3 / 14

夜。

都内某所。


ビジネス・リュックを背負った男が、街灯に照らされた住宅街の通りを足早に歩いている。


濃紺のスーツ。

ネクタイは外されている。

襟元がわずかに開いている。

整った顔立ち。


「田邊さあーん」


男は立ち止まり、後ろを振り返る。

誰もいない。

男は再び足早に歩き出す。


「田邊さあーん、ってばぁ〜」


男は再び立ち止まり、後ろを振り向く。

十メートルほど後方、そこには長身の男が立っていた。

長髪、口髭、黒い上下のスーツに、黒いシャツ、黄色いネクタイが街灯の灯りを鈍く跳ね返している。

両手をパンツのポケットに入れ、両脚をその筋肉質な肩幅よりも広く開いて立っている。


「田邊隆二さんですよね~」


「誰?」


田邊隆二は目を細め、男を確かめようとする。

男はゆっくりと田邊隆二に向かって歩き出す。


「どなた⋯ですか?」


男は田邊隆二の二メートル手前で立ち止まり、両手をポケットに入れたまま、田邊隆二を見下ろした。


「はじめまして」


その体格に似合わず、声は細く掠れている。

顔には無駄な贅肉がない。

街灯の灯りが、その顔をスケルトンのように浮かび上がらせている。


「ご帰宅途中にすみませんねぇ」


田邊隆二の全身に力が入る。

――まずい、面倒なことになる


直感だった。

田邊隆二は固唾をのんだ。


「千尋の⋯件ですね?」


男は黙って頷くと、右手でVサインを立てた。


「やはり⋯千尋の件ですね。それで、どんなご要件でしょうか」


男はフッと失笑すると、右手のVサインを田邊隆二に突き出した。

そのVサインは、田邊隆二の両目の瞳孔を一瞬で開かせた。


「ああ⋯二百万⋯というわけですか」


男はVサインを突き出したまま、何も言わない。


「⋯しかし、た、高いなぁ、二百万は。堕胎にそんなにかかるのでしょうか⋯。私の調べた限りでは⋯」


「何にも分かっちゃいねぇなぁ、あんたは」


男が田邊隆二の言葉を遮った。


「な、何がでしょうか⋯」


男はフッと失笑すると、右手の親指と人差し指で円を形作る。


「ゼロが一つ足りない」


田邊隆二の顔が紅潮する。


「二千万! 冗談じゃない。そんな金払えるか! その根拠は何だ!」


男は、そのスケルトンのような顔に微かな笑みを浮かべた。


「俺は気が短いから一度しか言わない。費用は全て払う、と言ったんだろう。あんたは値踏みする立場にないんだよ」


「し、しかし根拠が⋯」


「これが公になった時のあんたの経済的なダメージを考えてみろ。随分とお安いだろう。あんたは大した高給取りのようだからな」


「恐喝か⋯」


「俺の世界では“取引”と呼ぶ」


「け、警察に⋯」


「好きにしろ。だがな、俺はあんたの知らない裏世界のプロだ。取引が経済的な価値で済むうちに応じたほうが利口だと思うがね」


田邊隆二は下を向いている。

息が荒い。

全身に力が入り、汗ばんでいる。

冷たい汗だ。


「いいか、自分のしたことをよく考えてみろ。やっちまったことをナシには出来ねぇんだよ。それからな、相手の女が負った傷と、これから負うであろう傷の深さを考えてみろ。それを、女は二千万で全てを忘れてやる、と言っているんだ。あんたに払えない額じゃないだろう。なんとも慈悲深けぇじゃねぇか」


田邊隆二が顔を上げた。


「もし……」

そう言いかけて、首を横に振り、再び口を閉ざした。


「一週間以内にこの口座に振り込んでくれ」


男が紙切れを、田邊隆二のシャツの胸ポケットに突っ込んだ。


「もし、期限内に入金がない場合、ある“処理”が行われる。それは、あんたにとって生き地獄になるだろう」


男はそう言うと、田邊隆二の横を通り過ぎていく。

男の足音が遠ざかっていく。


田邊隆二はしゃがみ込み、両手で頭を押さえた。

汗、鼻水、そして涙が同時にアスファルトの上に落ちる。

そして、震える声で小さく呟いた。


「千尋⋯」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。