十 終わりと始まり
十
同じ時は二度とない。だから、いつだって。
「え?」
新緑の緑輝く大樹の下。昨日と同じ人たち、同じ席順。
でも何かが違う。どこか柔らかい空気で敷物の上に私達は座って、円になって朝食を始めようとしていた時。
「何故そんな顔をするの。当たり前でしょう。私は帰るわよ」
朝食の席で、瑞花さんは少し呆れたような表情でそう言いました。
「おやぁ。もう良いのぉ?」
「良いも何も、巫女は要らないのならここに居る意味はないわ」
どこかスッキリしたような雰囲気で、瑞花さんは仄かに微笑み。
「帰るの。私の役目を果たすわ」
迷いの無い声でそう言う。そのまま、立ち上がって何も食べずに行こうとするのをビオルさんが引き止める。
「ダメだよぉん。ご飯はぁちゃんと食べないとぉ」
「本当は昨夜にでも立とうと思っていたの。流石にこれ以上」
「御付の人たちならぁ、軽ぅい暗示で誤魔化しておいたよん? 大丈夫大丈夫ぅ」
「…………何ですって?」
えっと、ビオルさんが今、言った言葉に瑞花さんとナハトさんがお化けでも見るような凄い顔してます。
「あは。だってぇ、凄く心配して探していたみたいだったからぁ。心労で倒れたら可哀想でしょぉ?」
「えっと、ビオルさん……?」
「つまりぃ、あまり長くは続かないようにしたけどぉ、しばらくは此処で休んでいっても大丈夫ってぇ事ぉ」
しん……と静まってます。
何だか瑞花さんの目が怖いです。
「私の国の民に何をしているの?」
「うふ。大事な国民に心労掛けるのは良いのぉ?」
「…………」
えっと、あれ?
「国民……?」
「嗚呼、リトさんは馴染みがないからぁ、わからないよねん。瑞花さんはぁ、斎宮って言ってねぇん。皇族の姫が務める巫女の位にある子なんだよぉ」
「それってもしかして、お姫様って事ですか?」
「そうよ。…………まさかわかってなかったなんて」
お姫様! うわぁ、本物のお姫様って初めてです。
思わずまじまじと見つめてしまった私に、瑞花さんは少しだけ居心地悪そうに身じろいで、またビオルさんを睨みました。
気分を悪くしちゃったと思いましたが、何となく瑞花さんの雰囲気は柔らかいままで、頬が桃みたいに綺麗に染まっていたのが見えたのでそこまで怒ってはいないようです。
「まあ、いいわ。姫も何も、関係ないもの。だから、態度を変える必要も無くてよ」
「あっは。私を睨みながらぁ、言っても的外れでしょぉ? リトさんに言ってるならぁ、リトさんを見て言わないとぉ」
「うるさいわよ。この物の怪」
ビオルさんと瑞花さんのやり取りに、ナハトさんが腕を組みながら。
「今更の杞憂だ。乙女は元より身分などで人を見ていないだろう」
そういえば、ナハトさんも王様でした。
そんな私の考えを読むように、樹宝さんがちょっと呆れた声と視線で私を示して。
「いや、リトはただ単に良くわかってねぇだけだと思うぞ」
見抜かれてました。
「あ。えっと……はい」
「つっても、それで今から態度変えるかっつったら」
「瑞花さんは瑞花さんですし、ナハトさんはナハトさんです。……直さないといけないのでなければ、変えられないと思います」
「問題ねーな」
「うふふ。じゃあ、納得がいった所で食べようかねん。ほらほらぁ、瑞花さんも座ってぇ。大丈夫ぅ、瑞花さんに会えば暗示は解けるしぃ、その間はぁ瑞花さんが『ついさっき』禊に出たばかりぃって認識するようにしておいたからん」
「それ、後々彼らに何か無いでしょうね?」
「大丈夫ぅ。そんな強力なものじゃあないからん」
ビオルさんがそう言って、瑞花さんが席に着いたので改めて朝食が再開されました。
「便利だね布!」
「そうですね」
「あはは。誤魔化しているだけだけどねぇ。ロアさん、銀月さん」
「お前らはいつまで居る気だ……」
じろりと樹宝さんがロアさんを睨む。
「そんな邪険にしなくても良いんじゃないか。樹宝!」
「お前は特に馴れ馴れしいんだよ! 銀月は放り出した瞬間死にそうだから兎も角、お前はそんな事もねぇだろうが!」
「酷い差別だ。ロアはか弱い人間なのに」
「ここに居る人間の中じゃ一番しぶといだろうが!」
「あー、もう。皆、気にせず食べようかぁ」
ビオルさんが言い合う樹宝さんとロアさんを横目にそう言って、作り立てのパンやジャムを配り始める。
乾燥させた木の実は甘みを増していて、パンに入れることでふんわり甘く。少しの酸味がまた格別です。
賑やかな朝食を取りながら、私達はいつの間にか皆、笑顔になっていて。
「忘れないわ。ずっと」
ぽつりと、瑞花さんがそう呟きました。
「乙女。少し時間を取ってもらえないだろうか」
「ナハトさん。大丈夫ですよ。どうしたんですか?」
朝食を終えて、敷物の上に広げられた木のお皿やコップをナハトさんと片付けていた所で掛かった言葉に私は少し首を傾げました。
「いや、あの巫女ではないが、私も一度戻らねばならぬから。その前に、二人で話がしたい」
言ってから、ナハトさんは何故か慌てて付け足しました。
「誓って、危害などは加えない」
「ふふ。そんな事思ってもいませんよ」
「そうか。良かった」
ほっとしたみたいで、ナハトさんは朝焼けの瞳を優しく和ませる。
「おい。少しは警戒心持て」
「樹宝さん」
集めたお皿を私の手から軽く取り上げて、樹宝さんが眉をしかめてそう言って。
「変なマネすんじゃねーぞ」
「しない。私の名に誓ってな」
「……そうかよ」
樹宝さんはナハトさんにそれだけ言って、一度私を見るとお皿を持って家の方へ歩いて行く。
「まったく……。嫉妬深いな」
「嫉妬……?」
「いや、何でもない。それよりも、あれの気が変わらぬ内の方が良さそうだ。すまないが乙女、少し散歩に付き合って欲しい」
「はい」
立ち上がったナハトさんの少し後に続いて歩き始める。
日の光に透ける緑柱のような葉を揺らす梢。様々な生き物の声と気配。どれもがここでは命に満ちて、居るだけで元気になれるような気がします。
少しだけ森を進んで、それでもさっきまで居た場所に迷わず戻れる所でナハトさんは歩みを止めて振り返る。
「乙女。いや、リト」
「はい」
「…………これが本当に最後だ。私の妃になってはくれまいか」
私の前に跪きながら、ナハトさんがそう言う。
朝焼けの薔薇色をした瞳が真っ直ぐに私を見る。とっても綺麗な瞳。真剣な声音が、本気だと伝えてくれるけど。
「ごめんなさい」
私は、深く頭を下げる。真っ直ぐなその想いに応えることはできないから。
微かにナハトさんが笑う気配がした。顔を上げると、そこには複雑そうな顔で笑うナハトさんがいて。
「嗚呼。ありがとう」
ナハトさんも私も、これはけじめとしてのものなのだとわかっていたから。
立ち上がり、ナハトさんが溜め息混じりに言う。
「これで、私も本当に心から友人になれる」
「ごめんなさい」
「謝る必要などない。何度もすまなかった。……どうしても、邪魔が入らない時にきちんと、乙女の口から聞きたかったのだ。答えが決まっていて、無駄なことでも」
多分、私も樹宝さんに受け入れてもらえなかったら、最後にきっともう一度告白する。
最後に気持ちを伝えて、また新しい気持ちを育てる為に。
「でも、嬉しかったです」
「不快でなかったのなら、それは救いだ。ありがとう」
ほろ苦い感情が残る笑顔で、ナハトさんはそう言って私に片手を差し伸べて。
「これからは、友人として。乙女の為なら、私は尽力を惜しまぬ。願わくば、友人として末永く」
「はい」
差し伸べられた手をとって、私もナハトさんも微笑む。
「ここって、一番最初にナハトさんに会った場所ですよね」
「覚えていたか」
「ふふ。だって、あんな大きな犬さん見たの初めてでしたし」
翼を怪我して蹲っていた大きな黒い犬さん。
朝焼けの瞳を怒りと警戒心で燃やして、牙を見せながら唸っていた。
「乙女は怯まなかったな」
「実は怖かったですよ? でも威嚇よりその傷を放っておく方が怖かったから、怖さ比べで勝っただけで」
本当に怖かったけれど、そのままにしていたら、傷が膿んで最悪の場合は目の前のこの犬さんは死んじゃう。
命が、消える。
そう思ったら、後はもう何も考えられなくなっていて。鋭い牙より、命が消えることの方が怖くて。
痛みと怒りに染まったまま、命が終わる事ほど哀しいものは無い気がして。
「ナハトさんが噛まないでくれて、すっごくほっとしました」
「出来まい。威嚇した鼻面を可憐な乙女に叩かれては」
「あ。あの時はごめんなさい……」
クスクスとナハトさんが笑う。
「いや、良い。あれで我に返ることが出来た。そして、だからこうしてここに居る。乙女と友人となる事が出来た」
もっと怒って、噛み付かれるかと思ったけれど、それからそんな気配はなく。それどころかとても大人しくなって、犬の姿のナハトさんは手当てをさせてくれました。
「私も、お友達を助けられて良かったです」
同じ時は二度とない。だから、その時その時に出来る事を。
後悔をする事もあると思うけれど、いつだって同じ時は二度とないから。
私達はその時を精一杯生きている。
「乙女に助けられて、良かった」
後で私はナハトさんのお嫁さん達に会うことになるんですけど、それはまた別のお話。
機会があれば、その時に。
終
はぁい、ここまで読んでくれてぇ、ありがとうぅ。
楽しんでもらえたかなん?
まだ残ってる事とかぁ、あるなぁって思う人もいるかもねん。
とりあえずぅ、ナハトさんに関するお話はぁ、ここで区切りだよん。
読んでくれてぇ、ありがとう。
また気が向いたらぁ、会いに来てくれると嬉しいよぉ。
くふ。それじゃあ、またねぇ。