仕入れ係は鼻が利く
檻車が森裂きを載せて去ると、小屋の前には深い轍と、削られた敷石が残った。
サナとリゼも、兵士に付き添われて村へ戻った。
ガレスは最後まで残り、窓の掛け金を確かめた。
「明日の朝、また来る。北へは入るな」
ユータはうなずいた。聞きたいことはいくつもあったが、男の目の下にも疲れが見えた。
その夜、りんは扉の前から離れなかった。
ユータが呼ぶと、顔だけを振り返る。
『ここが、いい』
仕方なく毛布代わりの上着を戸口へ運んだ。隣へ座ると、りんはようやく横になった。
*
翌朝、ガレスが持ってきたのは、小屋の許可ではなかった。
「北の巡回を増やすことになった。詰所の炊事も手が足りん。昼飯の支度を手伝う仕事はできるか」
「できます」
答えてから、ユータは棚を見た。
塩はある。しかし灰麦粉はほとんど尽き、野菜もわずかだった。
「材料は……」
「詰所のものを使う。働いた分は払う。まず一度、来てくれ」
胸が軽くなった。
次の食料をどうするか、昨夜は考える余裕さえなかったのだ。
支度を始めたところで、りんがガレスの靴を嗅いだ。
『おにくの、あしあと』
「肉?」
「なんだ?」
ユータが聞き返すと、ガレスは靴底を見た。
「南の草地を通ってきた。二角兎ならいるが」
りんの尻尾が持ち上がった。
ユータはその顔を見て、最初の牙猪を思い出した。
りんは獲れる。
けれど、あの巨大な肉を持て余した自分には、まだ獲ったあとの備えがなかった。
「兎なら、二人で食べ切れますか」
「一頭ならな。南は今朝も見た。詰所への道沿いだ」
ユータは空の籠を手に取った。
「途中で、少しだけ寄ってもいいですか」
*
南の草地は、小屋から歩いて十分ほどだった。
低い灌木の間に朝露が光り、森の縁だけが黒く湿っている。ガレスは風下で足を止めた。
「草を見ろ。踏まれた筋がある」
ユータには、最初はただの草むらにしか見えなかった。
しゃがむと、細い道のように茎が倒れている。その先で、りんの鼻が忙しく動いた。
『いる』
「俺から見えるところでな」
言い終える前に、茶色の影が跳ねた。
耳の根元に、小さな角が二本。
兎は鋭く向きを変え、灌木へ飛び込もうとした。
りんが走った。
草の上を白茶の体が滑り、一瞬だけ、額が金色に光る。
短い物音がして、草が静かになった。
ユータは息を止めていた。
りんが戻ってくる。くわえた兎は、もう動いていなかった。
『とった』
誇らしげな声だった。
ユータは膝をつき、受け取った。温かく、思っていたより重い。
「……ありがとう」
首筋を撫でると、りんは目を細めた。
食材だった。それと同時に、さっきまで草の中を走っていたものだった。
ユータは兎を籠へ納めた。
「ちゃんと、使うからな」
*
詰所での仕事を終え、小屋へ戻ったのは昼過ぎだった。
受け取った賃金は銅貨四枚。次の炊事の約束もできた。兎は詰所の作業場を借りて処理し、肉を清潔な布へ包んで持ち帰った。
骨は夕方の汁に、皮は乾かしておく。食べ切れないほど獲らずに済んだことが、ありがたかった。
今日は、二角兎の串焼きにする。
肉の筋を外し、厚さをそろえる。塩を振ったものと、りんの分を分け、削った枝へ刺した。
かまどの薪が熾火になるまで待つ。
炎へ直接当てず、串を少し離して構えた。
表面が乾き、やがて薄い焼き色がつく。小さな脂の滴が落ち、じゅっと鳴った。
鶏にも似ているが、もっと野の草を思わせる香りがする。
ユータは串を返した。
『まだ?』
「今、返したばっかり」
『こっち、もうやけてる』
「反対側も焼くんだよ」
りんは納得しかねる顔で、串の裏側を見ようと回り込んだ。
ユータは笑い、それから火へ目を戻した。
身の厚いところまで火が通ったのを確かめ、串を下ろす。少し置いてから、一切れ噛んだ。
焼けた縁がきゅっと歯に触れ、その奥の身は柔らかかった。噛むほどに淡い甘みが広がる。脂で押す味ではない。塩が、赤身の澄んだ旨味を引き出していた。
「……うまい」
もう一口、今度はゆっくり噛む。
りんも冷ました肉を頬張った。飲み込んですぐ皿へ鼻を寄せ、まだ残っていることを確かめてから、次を食べた。
『りんの、おにく』
「そうだな。今日はお前が仕入れた」
ユータは卓の板へ炭で書いた。
――二角兎、一頭。仕入れ係、りん。
文字を見たりんが、尻尾をひと振りする。
『おきゅうりょうは?』
ユータは肉を持った手を止めた。
「……現物支給で」
りんは空になった皿を、静かに押し出した。




