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『百合色学園GL部』 ディズニーランド遠足

自室のエアコンが低く静かな唸りを上げて、冷気を吐き出し続けている。


中学三年生の早川美雨はやかわ みうは、薄暗い部屋のベッドの上でゴロゴロと転がりながら、スマートフォンを弄んでいた。画面から照射される青白い光が、彼女の顔をぼんやりと照らし出している。


デスクの上に放置された夏休みの宿題の山。そして、刻一刻と近づいてくる高校受験という鬱屈したプレッシャー。現実世界リアルは美雨にとって、あまりにも息苦しく、重たく押し潰されそうな場所だった。


そんな彼女の唯一の逃避行であり、至高の癒やし――それは画面の向こうで繰り広げられる少女たちの清く尊い恋物語、「GLガールズラブ」の世界に浸ることだった。液晶の向こうで手を取り合い、互いに微笑み合う美少女たちの姿だけが、美雨の荒んだ心を優しく潤してくれる。


「もっと、心の底から……あの中に溺れられたらいいのに」


ぽつりと漏れ出た独り言は、冷房の風音に掻き消された。


美雨はスマホを置き、ベッドの脇に設置された最新型のVRデバイスへと手を伸ばした。金属的な質感と洗練された曲線を描く頭部装着型ギア――『フルダイブ・バルブ』。


美雨は『フルダイブ・バルブ』を頭部に装着し、ゆっくりと横になった。目元を覆う黒いバイザーの裏側で、極彩色の光が明滅する。


「ダイブ・モード――『百合色学園GL部』、起動」


カウントダウンが脳内に直接響き渡る。美雨の意識は急速に現実の重力から解放され、深遠な電子の海へと沈んでいった。


視界が眩い光に包まれ、次の瞬間、鼻腔をくすぐったのは微かなアロマオイルの香りと、高級感あふれる木調の匂いだった。


美雨が目を開けると、そこは重厚なアンティーク家具と美しいステンドグラスで彩られた「百合色学園GL部」の部室だった。窓からは柔らかな午後の陽光が差し込み、空間全体を黄金色に染めている。


そして、美雨の目の前には――十名の美少女たちが、優雅に佇んでいた。


気品あふれる生徒会長風の黒髪ロングの少女、小悪魔的な微笑みを浮かべる金髪ツインテールの少女、どこか儚げで守ってあげたくなるような文芸部員風の少女……。現実の人間とは一線を画す、圧倒的な造形美を持った十人。彼女たちは全員、ダイブしてきた美雨に向けて一斉に温かな眼差しを向け、優しく微笑みかけた。


『百合色学園GL部』。 プレイヤーは十名の美少女の中から好きなメンバーを指名し、どのようなシチュエーション、どのような要望でも叶えてもらうことができる。そこは常識も倫理も超えた、完全なるボーダーレスGL三昧のパラダイスだった。


美雨の心臓が、ドクンと大きく跳ね上がる。


「美雨ちゃん、待っていたわ」


中央に座っていた、淑やかな雰囲気を纏う生徒会長風の少女――「あおい」が立ち上がり、美雨へと歩み寄ってきた。その後ろから、天真爛漫な笑顔を弾けさせるショートカットの少女――「ひかり」がひょっこりと顔を出す。


「今日はどんな夢を叶えたい? 美雨ちゃんの望むことなら、私たち、なんだって応えてあげる」


葵が美雨の手にそっと触れた。温かい。皮膚のぬくもり、滑らかな肌触り、微かな脈拍。スーパーコンピュータ『樹林』がもたらす五感へのフルアクセスは、現実と何の遜色もない――いや、現実以上に濃厚な「生」のリアリティを美雨に与えていた。


美雨は息を呑み、胸の中に温めていた妄想を口にした。


「私……みんなで、夏の東京ディズニーランドに行きたいです。宿題も、受験も全部忘れて、みんなが仲良く笑い合って、特別な一日を過ごすところが見たい……!」


葵とひかりは顔を見合わせると、可憐な花が咲くような笑みを浮かべた。


「いいわね、最高の夏の思い出にしましょう」 「決定~! それじゃあみんな、夢の国へ出発進行ー!」


ひかりが元気に手を挙げた瞬間、周囲の風景が粒子となって崩れ去り、世界が瞬く間に再構築されていった。


「うわあ……!」


視界が開けた瞬間、美雨の視界に飛び込んできたのは、見渡す限りの青空と、中央に聳え立つ白と青の壮麗な城――シンデレラ城だった。


周囲には楽しげな音楽が響き渡り、ポップコーンの香ばしい匂いとチュロスの甘い香りが風に乗って漂ってくる。快晴の空の下、燦々と降り注ぐ太陽の光。そこは紛れもなく、夏の東京ディズニーランドだった。


そして美雨の周りには、制服から私服へと着替えたGL部の十人の美少女たちが囲んでいた。


葵は涼しげな白いワンピースに麦わら帽子を被り、ひかりはアクティブなショートパンツ姿。他のメンバーたちも、それぞれの個性を最大限に引き立てる華やかなコーディネートに身を包んでいる。


「すごいです……本当にディズニーランドだ……!」


美雨が興奮で声を弾ませると、ひかりが美雨の腕に抱きついてきた。


「ふふ、驚いた? 『樹林』の並列処理なら、パークの細部から混雑具合、アトラクションの挙動まで完全に再現できちゃうんだから! さあ美雨ちゃん、まずはカチューシャを選びに行こうよ!」


「ちょっと、ひかり。急に引っ張ったら美雨さんが転んでしまうわ」


葵が苦笑しながらひかりの小手を優しく窘める。そのやり取りだけで、美雨の心臓はキュンと締め付けられた。尊い。あまりにも尊い光景が、目の前でリアルタイムに繰り広げられているのだ。


ショップ『タウンセンター・ファッション』に駆け込んだ一行は、思い思いのカチューシャを選び始めた。


「ねえねえ、葵先輩! このミニーちゃんのカチューシャ、つけてみてくださいよ!」 「えっ、私が……? 少し恥ずかしいのだけれど……」


戸惑いながらも、ひかりに施されてスパンコールの大きなリボンがついたカチューシャを装着する葵。頬をぽっと赤らめる葵の姿に、ひかりは「うわぁ、めちゃくちゃ可愛いです!」と叫んで抱きつき、葵も照れくさそうにひかりの頭を撫でた。


美雨はその光景を少し離れた場所から眺め、鼻血が出そうなのを必死で耐えていた。


(生きててよかった……! これを至近距離で見られるなんて、最高の極楽だ……!)


結局、全員がそれぞれのキャラクターのカチューシャやファンキャップを装着し、テンションは最高潮に達した。美雨もミッキーの耳がついたカチューシャを葵につけてもらい、胸の高鳴りが止まらない。


最初に向かったのは、スリルと冒険が詰まったビッグサンダー・マウンテンだった。


待ち時間なしでスムーズに列車へと乗り込む。美雨の前の席には、葵とひかりが並んで座った。


「ひかり、落ちるときに怖かったら、私の手を握っていていいからね」 「葵先輩こそ、叫ばないでくださいね?」


そんな微笑ましい会話が交わされる中、無人鉱山列車がガタガタと音を立てて岩山を登っていく。頂上に達し、一気に猛スピードで急降下を始めた。


「きゃああああっ!」


風を切り裂いて走り抜ける列車の中で、ひかりが黄色い悲鳴を上げる。そしてしっかりと葵の手を握りしめ、葵の肩に頭を押し付けた。葵もまた、風に髪をなびかせながら、握り返した手を強く強く抱きしめている。


絶叫マシンのスリルと、少女たちの密密なスキンシップ。視界に入るすべてが美しく、甘酸っぱい。美雨は後ろの席で「ありがとう世界……」と心の中で神に感謝を捧げていた。


アトラクションを出た後は、パレードルートの木陰に腰を下ろして一休みすることになった。


「暑かったねー! 美雨ちゃん、はい、アイス!」


ひかりがミッキーシェイプのアイスバーを美雨に手渡してくれる。冷たいアイスを口に含むと、さわやかなフルーツの甘みが広がった。味覚の再現も完璧だ。


隣を見ると、葵がハンカチを取り出し、ひかりの額に浮かんだ汗を優しく拭き取っていた。


「じっとしていて、ひかり。汗をかいたままだと冷えてしまうわ」 「あはは、葵先輩冷たい~……でも、気持ちいいです」


葵の指先がひかりの頬をかすめる。ひかりは少し上目遣いで葵を見つめ、葵もまた優しく愛おしそうな眼差しで返し、二人の距離が急速に縮まる。まるで時が止まったかのような、静寂と熱気を孕んだ空間。


(あ、これ接吻しちゃうやつ……!? して! してくださいどうぞ!!)


美雨が息を呑んで見守っていると、周囲の部員たちから「ちょっとー! 二人だけで世界作らないでよー!」「私たちも仲間に入れて!」と楽しげな野次が飛び、二人はハッと顔を赤くして離れた。


「も、もう! みんな意地悪なんだから!」


顔を真っ赤にしてプンプンと怒るひかりと、扇子で顔の下半分を隠しながらそっぽを向く葵。その甘酸っぱいやり取りに、美雨の胸はキュンキュンと鳴り響きっぱなしだった。


午後はシンデレラ城の前で記念写真を撮ったり、イッツ・ア・スモールワールドでゆったりとした時間に癒やされたり、トゥーンタウンで無邪気に遊んだりと、夢のような時間が過ぎていった。


現実のストレスや受験の不安など、完全に脳裏から消し飛んでいた。ここにあるのは、純粋な幸福と、少女たちの愛おしい関係性だけだった。


やがて、太陽が西の空へと傾き始め、パーク全体が美しい茜色に染まり始めた。


黄昏時のシンデレラ城は、昼間とは異なる幻想的な雰囲気を醸し出している。夜のパレード『エレクトリカルパレード・ドリームライツ』が始まるまでの間、美雨たちはシンデレラ城の裏手にあるベンチに座って、静かに夕焼けを眺めていた。


「楽しい時間は、あっという間ですね……」


美雨がぽつりと呟くと、葵が優しく寄り添ってきた。


「そうね。でも、美雨さんが望んでくれる限り、私たちはいつでもここにいるわ」


ひかりも反対側から美雨の手をギュッと握りしめてくる。


「そうだよ! 美雨ちゃんが頑張っていること、私たちはちゃーんと知ってるんだから。辛くなったら、いつでもここに来ていいんだよ」


「みんな……」


美雨の目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。


現実の世界では、誰にも弱音を吐けなかった。期待されるプレッシャーに押し潰されそうで、孤独だった。けれど、このバーチャルな世界で、彼女たちは美雨の存在をまるごと肯定し、温かく包み込んでくれる。


たとえこれがスーパーコンピュータ『樹林』が作り出した擬似的なデータであり、プログラムされた反応だとしても、今ここで美雨の心が救われているという事実だけは、絶対に偽物ではなかった。


「ありがとう……私、もう少し現実でも頑張ってみるよ」


美雨が涙を拭いながら笑うと、十人の少女たちは温かい笑顔で頷いてくれた。


暗くなった空に、ファンファーレの音が響き渡る。


光の装飾を纏ったフロートたちが、色鮮やかな音楽とともに進軍を開始した。エレクトリカルパレードの光が、少女たちの顔を美しく照らし出す。


葵とひかりは手を繋ぎ合い、光の海を見つめながら微笑み合っている。その横顔は、どんな宝石よりも輝いて見えた。


美雨は目を閉じ、この完璧な光景と、肌に残るぬくもりを、心の中の宝物箱に深く深く刻み込んだ。


ピピピ、ピピピ……。


静かなアラーム音とともに、美雨の意識は浮上した。


目を開けると、そこは見慣れた自室の天井だった。エアコンの静かな唸り声と、カーテンの隙間から差し込む朝の光。


頭から『フルダイブ・バルブ』を外すと、頭元が少し重く、だが心は驚くほど軽やかですっきりとしていた。


「超睡眠時学習システム……伊達じゃないな」


睡眠中に脳が極限まで活性化されたおかげか、昨夜までの鬱屈とした疲労感は嘘のように消えていた。頭が冴え渡り、驚くほど前向きなエネルギーが全身に満ちあふれている。


美雨はベッドから起き上がると、デスクの上に広げられた夏休みの宿題とテキストに向き合った。


ペンを握る手に力を込める。


「よし、やるか!」


画面の向こうで待っている、あの愛おしい少女たち。彼女たちとまた最高の時間を過ごすために。そして、自分の未来を切り開くために。


美雨は深く息を吸い込み、爽やかな朝の空気とともに、現実という名の冒険へ踏み出していった。

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