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第9話:見えない病と、開幕の音

カシアンの急所を突き、彼が「病」に侵されていることを確信したヴィオラ。

静まり返った回廊を独り歩く彼女の前に現れたのは、今夜の主役であり、カシアンがその身を削ってまで守ろうとする王子、ルフレでした。


「彼は本当に、僕なんかよりずっと立派な王子になってしまった」


親友を信じて疑わないルフレの眩いばかりの「善意」は、今のヴィオラにはあまりにも残酷な無垢に映ります。


そんな歪な王子たちの「ごっこ遊び」を、聖女ルナリアが冷ややかに笑い飛ばし……。


華やかな晩餐会の幕開けと共に、それぞれの「執着」が激突します。

控え室を後にし、私は一人、静まり返った回廊を歩いた。

 

 白々しい笑顔が、ずっと、脳裏に焼き付いて離れない。あの毒を飲んだ日からずっとだ。けれど今はそれは全く違う意味を持って見える。

 

 カシアン・ヴァルデルマ。

 ヴァルデルマの第一王子でありながら、損得なしに自国よりルフレ様という一人の人間が歩む道を清めることに心血を注いでいる男。

 その病的な執着が、ルフレ様にとって損になりそうか、得になりそうかの冷静な計算だけを理由に私やお姉様の命をむしり取っていく。


 ずっと、どこかが不可解な行動に見えて、底が知れず恐ろしかったが、解ってみれば、何のことはない。

 あの男はただ「病」に操られているだけだ。

 

 ……なんと、退屈で、救いようのない理由だろう。


 

 突き当たりの大広間から、華やかな楽団の調べが漏れ聞こえてきた。

 

「――ヴィオラ。一人でどうしたんだい?」

 

 不意に声をかけられ、私は思考の淵から引き戻された。

 

 そこにいたのは、今夜の主役であるルフレ様だった。

 眩いばかりの正装に身を包み、どこまでも健康的で、迷いのない微笑みを私に向けていた。

 

「ルフレ様……」

 

「カシアンと一緒にいると思っていたけれど。彼はまだ控え室かな?」

 

 ルフレ様の問いかけに、私は微かに頷くことしかできなかった。

 婚約からもう短くない、目の前のこの人は、カシアン様が自分のためにどんなに身をやつしているか、きっと、つゆほども知らないのだろう。

 ……あまりにも、独りよがりだ。

 

 ルフレ様は私の沈黙を、いつもの「愛想のなさ」と受け取ったのだろう。少しだけ居心地が悪そうに視線を泳がせ、気まずさを隠すように明るい声を出す。

 

「ああ、君は本当にお喋りが苦手だね。……でも、大丈夫だ。カシアンがいてくれるから、今夜の晩餐会もきっと上手くいく。彼は本当に、いつの間にか僕なんかよりずっと立派な王子になってしまったからね」

 

 ルフレ様は、懐かしむように目を細めて笑った。

 

「昔は僕の後ろをちょこちょことついて回っていたのに、今じゃ僕の方が彼を頼ってばかりだ。……正直、時々彼が何を考えているのか分からないこともあるけれど。でも、僕の最高の友人であることに変わりはないよ」

 

 ルフレ様は「善人」だ。王家の人間としてはあまりにも無垢なようにも見える。私だって、なんて世間知らずなお坊ちゃんなんだろうと思わされたことは何度もあった。

 ーー前、は、この人が、あまりにも気軽に私との婚約を破棄して「聖女」と関係を持ったから。私がありもしない罪を着せられ、あの憎らしい哀れな男に毒を飲まされることになった。

 

 ルフレ様は、カステリアとの国交がアイノアにとってどれほど大事なものか考えもしない。

 彼だけではない。アイノアの民は皆こうなのだ。春の陽だまりのような温かさで、隣室で起きている惨劇に気づかない。それがこの国の幸福な平穏の正体。前の私は、それだから彼を責めようという気はどうにも起きず、ーー正直彼やアイノアが崩壊しようがどうでもよかったというのもあった。

 静かに身を引くことを選んだのだが、今の私はその先に自分の死があることを知っている。

 カシアン様は、アイノアが滅ぶことも、ルフレ様の失墜も決して許さない。

 

 

 そこへ、背後から音もなく人影が近づいてきた。

 

「お待たせいたしました、ルフレ様。ヴィオラ」

 

 カシアン様だった。

 先程見えた動揺は幻だったのか、今は磨き抜かれた大理石のような、完璧な王子の微笑がその顔に張り付いている。


「カシアン! さあ行こう。君がいてくれないと、アイノアのみんなも退屈しちゃうからね」

 

「はは、……大丈夫だよ。君がいつも通り笑っていれば、今日の晩餐会も最高の夜になる。俺も存分に楽しませてもらうよ」

 

 澱みなく、軽やかな親友同士の会話。

 カシアン様の言葉には、一片の陰りもない。ルフレ様を気負わせるような「献身」の気配など一切見せず、ただ対等な友人として、余裕たっぷりに微笑んでいる。

 

 その時だった。

 

「――あーあ、聞こえちゃった。相変わらず、薄気味悪いごっこ遊びね」

 

 光溢れる大広間の入り口。

 柱に背を預け、周囲の貴族たちが眉をひそめるのも無視して、ルナリアが立っていた。

 

「どうしたのかな、聖女様。まだ本調子では無さそうだ」

 

 カシアン様が、優し気な王子様の顔で、けれど鋭い冷気を孕んだ声で嗜める。

 だがルナリアは、カシアン様をゴミを見るような視線で射抜いた。


「……気持ち悪いわ。こそこそ呼び出して、私を連れ戻すためにヴィオラ様を利用するつもりでしょう。彼女はあんたがルフレ様に捧げるための、便利なお人形じゃないのよ」

 

 カシアン様の微笑みが、音もなく凍りついた。


「……ルナリア様。君のその豊かな想像力には、アイノアの王家もさぞ手を焼いていることだろう。……聖女としての重圧が、君を追い詰めてしまったのかな?」


カシアン様の声は、どこまでも優雅だった。

 だが、その言葉の裏に「聖女の名を捨てるか、ここで死ぬか選べ」という、冷徹な選別が込められていることは容易に想像できた。


「勝手に言ってなさいよ。どうせ、あんた、今この瞬間も私を始末するためにどうやってヴィオラ様を利用しようか、そんな不潔な計算しかしてないんでしょ? 私には解るわ。……あんたの、その淀んだ目を見ればね」

 

 ルナリアは、私の手首をそっと引き寄せ、カシアン様から遠ざけるように自分の隣へと置く。

 ルフレ様は、その険悪な空気に戸惑いながらも、どこか自分は関わりたくないという顔で、信頼するカシアン様に助けを求めるような視線を送っていた。

 

 何を置いてもルフレ様のことを優先するカシアン様。

 こちらもまた、私を狂信的に慕い他を拒否するルナリア。


 カシアン様の行動原理が垣間見えた今、私には何がルナリアをこうも駆り立てるのかの方が、私の目には不可解に写った。

 ルナリアも、また、「病」に操られているのだろうか。

 

 晩餐会の始まりを告げる鐘が、重々しく鳴り響いた。

ご一読ありがとうございました!


「最高の友人」と笑い合うルフレとカシアン。その光り輝く友情の裏側で、ヴィオラだけがカシアンの瞳に宿る「死に至る病」の正体を見つめています。


そんな歪な均衡を、「不潔なごっこ遊び」と一蹴して土足で踏み荒らす聖女ルナリア。

彼女がヴィオラの手を引いた瞬間、物語は単なる悲劇から、予測不能な「解釈違い」の乱闘へと姿を変えていきます。


【次回の予告】

次回、晩餐会は最高潮へ。

カシアンが手に取ったのは、かつてヴァルデルマ城の記憶を塗り替えた「魔法」。

ルナリアを強制的にアイノアへ連れ戻そうとする彼の冷徹な策が発動します。


「――どうぞ、召し上がれ」


穏やかな声で差し出された死神の杯。

物語は、カシアンの隠された過去と、アネモネという「枯れた花」の真実へと深く沈んでいきます。


明日も【21:00】に更新予定です。

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