第7話:代わりの王子と、枯れた花
執務室で独りペンを走らせるカシアン。
彼の脳裏をよぎるのは、ヴィオラも知らない「死んだことになっている」かつての婚約者・アネモネの姿でした。
枯らしてしまった花への後悔を抱えながら、彼は「スペア」としての立場を利用してでもルフレの隣に居続けようとします。
聖女の流出、外交の危機、そしてヴィオラという「換金資源」の扱い。
理想の王子の瞳に宿る、冷徹な光の正体に迫ります。
一方、執務室。
カシアンは、一人静かにペンを走らせていた。
先ほど、ヴィオラに放った言葉を反芻する。
――「君がアイノアの王子との婚約を全うすること。それが、君が背負わされたお姉様の『罪』をあがない、カステリアが存続するための唯一の道だ」
アネモネ。
ルフレを愛し、俺が壊した、かつての婚約者。
ヴィオラは知らない。今尚、彼女はヴァルデルマの王室に居る。婚約が破棄され、カステリアから見捨てられた彼女は、表向き死んだということになっている。
死んでいるようなものだから、いつの間にかそう言われるようになっていたのだ。ヴァルデルマとしても否定するような義理はない。
ほとんどの時間を寝たきりで、やつれ、美しさは見る影もない。偶に錯乱し、稀に微笑んで、窓から川を眺めている。ーー川の向こう側にある、大きなアイノアの城が小さく見えるのをただ眺めている。
今日も彼女は、死んだ様に生きている。
匿うような真似をする義理も無いのだが、どうしても殺してしまう気にはなれなかった。
彼女は俺の後悔だ。
いつか、いつか渡してやろうと、そう思っていたのに、結局は枯らしてしまった花。
密かに彼女の世話をする侍女達は俺を悲劇の主人公のように哀れんで「理想の王子」の威光を高めた。
真に哀れなのは枯れたまま、摘まれもしないで、土にも還れない彼女の方だろうに。
――煤の匂いがする。
手の中にある白紙の便箋。
明日の晩餐会。なんとしてでも「聖女」をアイノアへ連れ戻さねばならない。
「聖女」はアイノアの国益の重要な要だ。腹芸の出来ないアイノアは「聖女」の「予知」で外交を回していた。
「聖女」に選ばれたルナリアがカステリアの城に居座っていることが許されるわけがない。
ルフレやアイノア王夫妻は、ヴィオラのところにいるなら安心だ。と、呑気なものだが、先日の「聖女選定の儀」での騒ぎもあって完璧に火を消すことはかなわず、ヴァルデルマの王室では既に「聖女」の噂があることないこと出回っている。それが貴族へ、庶民へと広がるのは時間の問題だろう。
何とも間の悪い。ーー元より「聖女の予知」の威光も弱まっていたところだった。今や天候一つで戦争や作物の収穫の結果が左右される時代ではない。統計予測も進んでいて、向こう数年は大きな災害も無いだろうと言われている。簡単な予知でも重宝されていた頃とは違うのだ。
新しい聖女の選定も進言してはみたが、「聖女」は基本的に死ぬまで勤め切るものだ。この短期間で選び直された例は過去に無い。得策とは言えないだろう。
アイノアの市場に顔を出してみたが、あまりにも常の通りだった。呑気に構えていられるのにも納得がいく。
アイノアは神秘の地だ。神秘は血筋ゆえに、アイノア国民はほとんど国外へ出ることはない。
成り立ちは逆で、神秘の能力故に不当に利用されていた者たちが寄り集まって作られた国がアイノアなのである。
故に、内政は常に安定しており、外交は常に不安定だ。
多くの国がアイノアの民の神秘の力を狙っている。
「聖女」を選び「予知」の恩恵をその生贄にしていたのに、「聖女」が他国に居てまともに予知を授けないとなれば、外交問題になるのも時間の問題だ。
頭の痛いことに、最初にそれを嗅ぎつけるのは、「ここ」だろう。
軍事力をもって隣国アイノアを蹂躙するなど、この国――ヴァルデルマにとっては造作もない。
長く友好条約を結んではいるが、それは「予知」という聖女の生贄があってこその平和だ。
「ヴィオラ……君をどう扱うのが、アイノアにとって最も利益になるか……」
今すぐ殺すのは非効率だ。
ルフレ様との婚約を維持させたまま、カステリアからより多くの支援を引き出し、いざという時にはヴィオラの不祥事をトリガーにして、さらに大きな金をアイノアへ流す。ただでさえ不安定なあの国が貧して、内政まで崩れてしまえばいよいよ崩壊してしまう。
ルフレは、隣国の王子としての威厳を保つには、あまりにも「善良」が過ぎる。
彼が誰かを疑うことを知らないなら、代わりに全ての災いの芽を摘んでおく。
それが俺がこの城にいる意義であると、ルフレの存在に俺は許しを見出した。
王となることを望まれて王城に連れてこられたが、俺が来て間もなくして、アイノアの能力者の力で王妃の不妊の治療がなされ、弟のルシアンが産まれた。
実父である王も、義母である王妃も、腹違いの弟も、城のものも、誰も口にはしないが、俺は今や、正当な血を引く弟・ルシアンのスペアとしてここに置かれているに過ぎない。
(……君は、そのまま、何も知らず、何も疑わず……そうすれば、俺は君を信じてここに居られる)
カシアンは、ルフレから贈られた古い押し花の栞に触れた。
「……俺は、あとどれくらい君の友人で居られるんだろうね」
ルフレはカシアンが城を追われて全てを失っても見捨てようとはしないと、そう、信じられる存在だった。
だからこそ、卑しいただの庶民の友人に落ちぶれさせるわけにはいかない。
カシアン・ヴァルデルマの灰色の瞳には、理想の王子としての冷徹な光だけが宿っていた。
深夜のデスクで静かに記される書類の中に、彼自身の幸福を記す欄は、どこにも存在していなかった。
ご一読ありがとうございました。
カシアン・ヴァルデルマ。
彼は自らを「スペア」と定義し、ルフレが誰かを疑わずに済むよう、すべての災いの芽を独りで摘み続けてきました。
彼の願う幸福はささやかですが、それを叶えるためには莫大な犠牲が必要です。
煤の匂いと、押し花の栞。
「友人」であり続けるために、彼は今日も理想の王子という仮面を、自らの肌に焼き付けています。
【次回の予告】
次回、アイノア大使館の控え室。
カシアンから突きつけられる、聖女ルナリアの強制帰還という非情な宣告。
恐怖に震えながらも、ヴィオラは彼が抱える「決定的な矛盾」を指摘します。
完璧な王子の仮面が音を立てて崩れるとき、ヴィオラが目撃した彼の「真実」とは。
明日も【21:00】に更新予定です。




