最終話
「……というわけで、私たちはあなた方に真の聖女殿と剣聖殿として戻ってきていただきたく、こちらへと来た次第です」
「……お前らももうこんな田舎は嫌だろ」
ことの顛末を大雑把に聞いて、ソーマが思った感想は短い。
――知るか。
この一言に尽きた。
さっさと帰らそうとソーマが言おうとして「帰ってください」
ソーマの隣から声が聞こえた。
誰かを理解できない程の冷たい声に、誰しもが首を傾げる。ソーマですら一瞬誰かを理解できなかった。それほどの声色。
エメラルこそが被害者だ。
当時に国民も含めて彼女を顧みた人間などほとんどいなかった。彼女の苦しみを受け止めた人間などいなかった。
そんな国が少々の経済難になっているからといって、けが人が増えているからといって戻るはずがない。
戻りたいと思えるはずがない。
「な……てめっ」
「落ち着きなさい」
理解が追いつき、今の発言がエメラルからだと気付いたアッシュが一歩詰め寄ろうとしたところでコリアスに止められる。
「……くっ」
――騎士団長殿の息子は変わらず馬鹿だな。
少なくとも人にものを頼む態度ではない。それが追放した側であるなら尚更だ。そして、それを止めてはいるが連れてきているコリアスもソーマにとっては似たようなものだ。これで「うれしい」と思える人間がどれだけいるのか。
「さっさと帰れ。陛下に会いたければ、こっちから行く」
「……そう、ですか」
「ほら見ろ! やっぱこんな奴らが帰るわけがないんだ……だったらいらねぇよな、どの国にも!!」
「アッシュ? なにを……っ!? その腕輪は!? やめなさい!」
アッシュのやろうとしていることを理解したコリアスがアッシュを抑えようと動くのだが、後衛型のコリアスではそれもかなわない。コリアスの表情が焦りのそれに変わった。
国外を追放された二人は冒険者として3年間生きてきた。
慣れない暮らしに最初こそ失敗の連続だった彼らだが、慣れてしまえばとんとん拍子で成長していた。学園の時から実力は認められていた二人だ、冒険者になって3年でCランクという、一流と認められるにまで至っていた。
とはいえ所詮はC。Sランク冒険者が束になってもかなわないとされる剣聖ソーマに敵うはずがないことはコリアスはもちろんアッシュも理解している。だからこその腕輪。
その名は「呼び寄せの腕輪」
その名の通り魔物を呼び寄せる腕輪。
「こんなところでそれを使ってはっ!?」
ここは魔境。あらゆる強大な魔物が暮らす、魔の森だ。そんな代物を使ってしまえばどうなるかは想像するまでもない。
「せめて、ここで死んで国に役立て!」
発光した右腕の腕輪を地へと叩きつけて、腕輪がそれと共に消失する。
「なんという愚かなことをっ!」
「コリアス! 行くぞ!」
「っ」
ついで、左腕の腕輪を掲げたアッシュが腕輪の力で空に飛びあがりながらコリアスの腕を掴もうとするのだがコリアスはそれを拒否。
「な」
「さよならです、アッシュ」
「馬鹿やろ――」
一度発動した腕輪はもう止まらない。そのまま高速で森の外へと飛行していくアッシュを尻目にコリアスは頭を下げた。
「申し訳ございません! 彼を連れてくるべきではありませんでした。ここは私が死んででも食い止めます。皆さんは避難を」
「……」
周囲にいる人間へと首を巡らせるのだが、反応が薄い。慌てているのはコリアスだけという異様な状況に、コリアスは大地に膝を突き、額を地へとこすり付けてエメラルとソーマへと。
「遅くなりましたが、4年前のこと……大変申し訳ございませんでした。ロイドを止められなかったこと、エメラル殿を聖女ではないと疑ってしまったこと、剣聖殿への無礼。全て私の不徳がなすところ。国外追放を受けてすでに国とは関係のない私ではありますが……この場を私一人の生命でおさめることができましたら、国の危機の際には……どうか国へとご助力をいただけますよう……ご一考ください。それでは……御免!」
今度はコリアスが右腕の腕輪を光らせた。これもまた呼び寄せの腕輪だ。先ほどのアッシュと違う点はコリアスがその腕輪をたたきつけず、自分の右腕につけたまま魔境の森へと走り出した点だ。
呼び寄せの地点を上書きしてここから遠くへと引きはがしてしまおうというまさに己の命を投げうつ行為だったが、コリアスがS級冒険者たちの側を通り抜けようとした時「ちょっと待った」
肩を掴まれて動きを止められた。
「っ何を!? 早くここから離れないと!」
余程焦っているのか、苛立ちを隠そうともせずにS級冒険者をにらみつけるコリアスだが、返ってきた言葉はあまりにも呑気な言葉だった。
「いや……その腕輪程度の力だとこの魔境の森だと影響ないぞ?」
「……は?」
「そうね。ここの魔物は知能も高いし、そんな安っぽい魔力を振りまいたところで反応してこないわよ。寄ってくるような程度の低い魔物でも寄って来たらあの二人とのレベルの違いに本能で悟って逃げるでしょ」
「……そ……そう、ですか」
この場にいて焦っていた人物が自分だけだったことに合点がいって力が抜けたのか、コリアスはその場でがっくりと肩を落として、少し恥ずかしそうにまたソーマとエメラルの前に立って頭を下げる。
「た、大変お騒がせしました。結果的には何もなかったようですがアッシュを連れてきてしまい、彼があなた方に迷惑をかけようとしたことには変わりありません。4年前といい、今回急に来たことといい、本当に申し訳ございませんでした。あなた方に帰ってきていただけるとは思っておりませんでしたので、今回は帰らせていただきます」
「……そうですか」
エメラルが少しだけ目を閉じる。
先ほどまでの発言から、彼なりに反省していることを感じていたエメラルはソーマと視線で頷きあい、彼へと声をかける。
「私はあなたたちを許す気はないわ」
「……ええ、理解してるつもりです」
「でも、だからといって死んでほしいと思うほどに嫌いじゃないの。だから、本当に国が危ない時だけならいいわ」
「!?」
コリアスが弾かれたようにエメラルを見る。
「もちろん報酬ももらうし、国の危機が嘘だった時はひどいから」
「ええ! ええ! もちろんです! ありがとうございます! ありがとうございます!」
今にも泣きだしそうな表情でお礼を何度も言うコリアスに、ソーマもまた頷く。
「先ほどのお前の覚悟は悪くなかった。エメラルがそう言うなら俺も同じ意見だ……いい成長だ」
「っ……は、い」
コリアスの震えた声が響くほどに、魔境の森は静けさに包まれていたのだった。
――コリアスの馬鹿野郎が。
アッシュは空を飛びながら1人毒づいた。空を飛んでいるとはいっても彼自身の能力ではなく、腕輪の能力で登録している都市へと飛び戻りを行っているだけだが、それはともかく。
エメラルとソーマの位置を突き止めたコリアスへの同行を強引にとりつけたアッシュの本当の目的は今回のこれだったものの、コリアスまでも巻き込むつもりはなかった。
自分たちが落ちぶれたにもかかわらず、それを引き起こした張本人であるエメラルとソーマがのうのうと暮らしていることが許せなかった。
だからこそ仲間であり友人でもあったコリアスだけは助けようとしたにもかかわらず、コリアスはそれを拒否した。もう彼も助からないことは明白だった。
「まぁいい。俺はあいつらを殺したんだ。これを報告すれば――」
彼の独り言はそこで途切れることになる。
「ひっ」
突如彼の眼下、森の中から現れた巨大な蛇が大口を開けて丸吞みにしてしまったからだ。巨大な蛇と言ってもよく見れば全く以て蛇ではない。トサカをもち、紫の目、さらには四足歩行。ドラゴンと言った方が近いのかもしれない。
正式名称バジリスク。
都市の近くに出現すれば緊急事態とされ、すぐさま討伐隊を組まなければ都市が滅ぶとされるほどに危険な魔物だ。
アッシュを丸呑みにしたバジリスクはそのまままた森の中へと戻っていく。
ここは魔境の森。
地上に危険な魔物はもちろん、高い空にはワイバーンや飛竜が縄張りをもち、地中には地竜や国栖――別名土蜘蛛――が眠る危険な場所。
決してここに立ち入ることなかれ。
それが人の常識なのだから。
夜の帳がおりていた。
もちろんここにはS級冒険者たちやコリアスの姿はもうない。
魔境の森は広く文明の光もない。明かりといえば俺たちの住居からこぼれる優しい灯りぐらいだろう。
そんないつもの魔境の森で、どうにか俺たちは特別な夕食を囲うことが出来ていた。想定外の訪問者に時間を奪われたたものの、狩りを大急ぎで終わらせた結果だ。
「ちょうど4年を迎えた日に彼らが来たのって本当になんだか運命みたいなものを感じるわ」
酒で口を湿らせながら、そう笑うエメラルの肌はほんのりと桃色に染まり、いつも以上の色香を纏っている。
……本当に変わった。いや、今の彼女が本来の姿なんだろう。
栄養失調で、魔力不足で、睡眠不足だった彼女の姿はもう4年前とは違う。
灰色の髪は美しい銀の髪へ。
触れれば折れるような四肢も、今ではうっすらと筋肉すらあるしなやかな四肢に。
体つきも女性らしくなった。まだ俺からみれば随分と細いが、それでも当時に比べれば健康体だ。
変わらなかったものといえば彼女の身長ぐらいだろう。
健康的になった彼女はその精神も本来の彼女のそれに戻ったといえる。
何にも自信のなかった4年前から今ではもう当時の敵ともいえる存在だったコリアスや騎士団長殿の息子にもしっかりと目を見据えて自分の意見を伝えることが出来るようになっていた。
その場では言わなかったが、今までも美しいと思っていた彼女がさらに美しく見えた。
――ああ、俺は卑怯者だ。
4年間もここに彼女を閉じ込めて、それで想いを告げようとしている。
国外追放を受けた彼女は俺と一緒にこんな僻地にまで来る必要などなかった。きっと他国へ赴けば元聖女として英雄としては豊かな生活を築けていたはずだ。もちろん、そのことを一度だけ伝えたことがあるが、たった一度だ。それも彼女の意思が変わらないことを願いながら。
当時の自信がない彼女がそれを受け入れるわけがないとわかってそういう言い方をした俺は本当に卑怯だという自覚がある。
「――」
「――」
他愛のない会話で笑ってくれる彼女を見つめながら魔王討伐の旅を思い出す。当時から俺は彼女の祈りの暖かさに惹かれていた。
姿はもちろん、声もしらない。
今にして思えば究極に気持ち悪い自分だとは思うが、仕方なかった。それが正直な気持ちだったのだから。
魔王討伐の後、彼女には婚約者がいたことを知り、一度は諦めた。そんな彼女と今では2人暮らしだ。
日々強くなる気持ちに終止符を今日……打つ。
「エメラル」
「え?」
囲った机から身を乗り出して、彼女の瞳を見つめる。彼女との距離がグッと近くなる。
「……」
「……ソーマ、さん?」
急にうろたえて、そして慌てて周囲を見渡す彼女の焦りっぷりが可愛らしい。
距離が近いにもかかわらず離れずに、そこにいてくれることが嬉しい。
「聞いてほしい」
「……はい」
「魔王討伐の時、祈ってくれた君の温かさが好きだ」
「っ」
息を呑んで、顔を真っ赤にして。
可愛い、美しい。
いろんな感情がごちゃ混ぜになって、最後に振られたらどうしようかと不安になる。
「聖女として国に虐げられながらも祈りを続けた君の強さが好きだ」
「え……あ、あの」
「今でもそんな国を見捨てない君の優しさが好きだ」
「は……あ、ありがとう」
「すべての君が好きだ。他の誰が君と一緒にいるよりも、俺といる君が一番幸せだということをこれから証明して見せる。だから――」
俺の人生で初めての緊張感だ。魔王と相対した時とはまた別の意味で緊張感がある。驚きと羞恥からか固まったエメラルに最後の言葉を贈る。
「――どうか、俺と一緒になってくれませんか?」
服に潜ませていた宝石のついた指輪を彼女に差し出した。
返事は――
「うん!」
弾けた笑顔に、反射的に彼女を抱きしめた。
勇者と剣聖と聖女の物語は魔王を討伐して一度終わった。
けれど俺たち――元剣聖と元聖女――の物語はこれからだ。
これにて完結。
誤字報告や、評価をしてくださった皆様、読んでくださった方々。
本当にありがとうございました。




