シーン5
カーテンが眩しくて目が覚めた。
体を起こす。テーブルには水と薬の空袋、化粧用のポーチがある。
水を一口飲み込む。今日は休みだ。
冷蔵庫の音以外に何も聞こえない。
スマホが鳴った。メッセージを確認する。
サキからだ。サキも休みらしく食事を一緒にどうかと誘われた。
時計を見る。昼はとっくに過ぎている。遅めの昼食だが混雑していなくていいかも知れない。
黒いパーカー、灰色のジャージに着替える。サイズが微妙に合っていない。
リュックを肩にかけ、待ち合わせの店へ向かう。
サキはもう来ていた。私を見つけると片手を上げた。
白いブラウス、花柄の長いスカート。淡いベージュのカーディガンを羽織っている。黒い髪が映える。
「ココさん、休みの日なのにすみません」
「ううん、大丈夫」
サキの向かいに座る。
「この店、私のお気に入りなんです。ココさんは来たことあります?」
「初めて。綺麗な店だね」
料理が届き、サキがフォークを動かす。
「今日はココさんにお礼言いたくて」
「そう、なんだ」
「私、前に教えてもらったじゃないですか。本当に助かってて」
箇条書きの写真を見せてくる。
「今、続けていられるのはココさんのおかげだなって。仕事楽しくなってきましたし」
サキがピースサインを小さく作る。
「たまにで良いので、またこうやって話させてくれまんか?」
「私と?」
「ココさんが良いんです。あ、何でココって名前にしたんですか?私は苗字がササキなので、サキにしたんですけど」
スープを口に運ぶ。向かいの食器は汚れずに空になっていく。
「私の場合は」
フォークの先を噛む。
「名前、何にします?と聞かれて」
「あ、面接の時にですか?」
「うん。それで、ここの店の、ですか?と聞いたつもりだったんだけど」
「はい」
サキの顔が緩む。
「向こうが、ココですか?良い名前ですね。と言ったから」
サキが歯を見せる。小さく何度も頷いた。
「先輩って面白いですね」
店を出る。
サキがありがとうございます。と頭を下げてきた。ご飯を食べただけなのにお礼を言われた。
帰り道、ビルの街頭ビジョンにウェディングドレス姿の女の子が並んで写っていた。式場のCMだ。十代の結婚式なら割引があるらしい。
足を止める。ガラスに映る自分を見て、また歩き出した。
数日後。
今日の店は雰囲気が華やかだった。
女の子がコスプレで出勤している。
たまにあるイベントで、私はセーラー服。サキはナース服だった。どちらもスカートは短い。
指名は途切れなかった。
サキも忙しくこなしていた。若者もいれば、初老に近い客もいる。サキの客の年齢層はバラバラだったが私は中年の客が多い。
何本目かの客を見送った後、モニターに私の名前が表示された。
指名した客に向かう。笑顔が消える。目を閉じ、息を吐く。微笑む。
「お久しぶりです」
「ああ」
酒飲むだけの客だ。
部屋に案内する。ソファーに座り「酒を頼む」と言ってくる。
「お酒?何飲まれます?」
「前と同じだ」
「あ、はい。お待ちください」
ボーイに注文し、黒い箱の酒が運ばれる。
客の視線が下から上へ流れた。
「今日は違う衣装なんだな」
「はい、イベントで。変ですか?」
両手を広げてセーラー服を強調する。
「いや、本物みたいだな」
客がタバコを取り出し、咥えた。
前屈みで火をつけた。
鼻穴から白い煙が漂う。
「タバコも好きなんですね」
「吸う本数は少ない。嫌か?」
「いえ」
灰皿を客の前に用意する。煙が壁に向けて伸びた。
「タバコを吸う姿は、似合っています」
客の頬に皺が寄った。
「吸う姿は。か。君らしい褒め方だ」
筋張った指が動く。灰が落ちた。
「その格好で言われると妙な気分だ」
「え?」
タバコがジリジリと短くなる。
客の後ろの壁に時計がぶら下がっている。
針が進んでいるか心配になる。
「君は学校に通っているのか?」
「学校ですか?」
「行きたくないのか?」
茶色い唇から煙が漏れている。
予想していなかった質問に腕を擦った。
「あまり、意識したことないです」
「本物の制服を着た普通の生活もあっただろ」
「普通?」
「ああ。学校へ行って、帰りに寄り道するような生活だ」
漏れた煙が揺れて溶ける。
「私の普通は、この仕事ですよ?」
客の肩が揺れ、灰がテーブルに落ちた。
吐かれた煙が白く濁る。
「君の普通は理解しないことなんだな」
タバコの先端が潰れる。煙が消えるまで私は見つめていた。
氷の音が時々鳴りながら酒が減っていった。楽しかったとチップを渡してきた。会話らしい会話はなかった。
ドアが重く開き、私は客を見送った。お辞儀をする。顔に触れた髪が乾いていた。
拍手が鳴った。
アナウンスが響く。
「本日のイベントの売り上げは」
アナウンスが歓声に沈む。
顔を上げた。
壇上に向かう女の子はランチの時と同じように笑っていた。
視線を壁へ向けた。
私の写真はサキの下になった。
イベントの翌日からロッカーでもサキの話題が耳に入るのが増えていく。
「まだ入ったばかりでしょ」
「綺麗な顔してるよね」
語尾が伸びている。
たまに出勤する子のヒールの音が大きく鳴る。傷んだ金髪にパーマをかけていた。
「ねぇ、ココさん?順位奪われちゃったね」
強い香水に鼻からの息を止めた。
「そう、ですね」
「結果は大事なんだろうけどさ。何か納得しないよね」
肩を叩かれる。力が強くて体が傾く。
「どうせ、オーナーと寝てるんでしょ」
同じ内容を前に噂として流されたことを思い出す。今度はサキがその対象になっている。
金髪の子がボーイに囁いているのを横目にする。
ロビーに入る。サキは店の写真の前にいた。スマホを構えている。
「あ、ココさんお疲れ様です」
「サキちゃん、お疲れ様」
いつもの口調、いつもの笑顔。私から視線を外すのだけが、いつもより早い。
「ココさんは何か聞きました?」
「うん、さっき」
サキの指が止まる。
「ココさん、そういうところです」
サキがスマホを再び操作し始めた。
「私、意味があったんだって思うんです」
スマホの音がし、フラッシュが瞬く。
「教えてくれたのココさんだけなんですよ。だから私の中ではココさんへの恩返しというか」
スマホを抱える。サキの唇が何度か動く。
「ココさんの教えは無駄じゃないよ。とか証明したくて」
写真では見えない表情を目の前のサキがしている。
瞬きが多くなった。
「またご飯、行こ」
自分で言った言葉だと気付いたのはサキが固まり、大きく頷いた後だった。
「はい、ぜひ」
クラシックが流れ、店のドアが開いた。ボーイが入店してくる客に頭を下げ、テーブルに案内する。
私とサキは並んで待機する。
スーツ姿、ネックレスが大きい客。その中に酒飲む客がいた。
皺のついたジャケット、無精髭、隈がある眼光は私を見つめた。テーブルに座るなり、ボーイに向けて手を上げる。
客に向けて足を出す。モニターに指名の名前が表示される。
サキの名前だった。
ボーイが「サキちゃんですね?」ともう一度確認している。
サキが私を一度見たのが分かる。黒い髪が浮かび、私の隣から離れていく。
酒飲む客が立ち上がり、サキに近付き個室へと歩いていく。サキの背中が人混みに混ざっていく。
金髪の子が遠くで他の女の子と何か話している。
「客も奪われてるじゃん」
その言葉だけが耳に残った。




