表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
23/45

第23話:沈黙は毒の香り

 針子部屋の奥に佇んでいた老女官は、糸を巻く手を止めた。


「――銀燕ぎんえん? ああ……あの子なら、昨日から来ておりませんね」


「昨日から?」


 ユウは眉をわずかにひそめた。


「布地の繕いを担当していた、と聞いています。麗妃さまのお召し物、主に下着の……」


「ああ、その子ですとも。布を織るのが丁寧でね、香り袋の縫い目にも気を遣っていた。だが、昨日の朝、姿を見せぬままで……」


 老女官の言葉は曖昧だったが、明らかに動揺を含んでいた。


「届け出も、捜索の報告もなし。誰も彼女を探していないのですか」


「ここは後宮ですよ。誰かが消えても、大声を出してはいけない場所なのです」


 老女官の目が、すっと細くなる。


「あなたも……お気をつけて」


 


 後宮では「叫ばぬこと」が美徳とされる。

 嘆きも痛みも、静かに飲み込む。それが妃たちと女官たちに求められる“品位”。


 ――だが、それを逆手に取れば、何でも「なかったこと」にできる。


 布と香を扱う者が一人、姿を消した。それは単なる偶然か、口封じか。


 ユウは、翡翠宮の物納帳を持ち出し、銀燕の記録を確認した。

 彼女は布だけでなく、“香袋の縫い目に香粉を封じる細工”も任されていた。


(つまり、布に仕込まれた毒香の“直接の加工者”)


 ならば、彼女が消えた理由は明白だ。

 ――「真相に最も近い者」は、最初に消される。


 


 その日の夕刻。

 ユウは薫花宮近くの裏庭で、土にまみれた草履を見つけた。


 片方だけ、縁に銀の糸飾りが残っている。


(銀燕の持ち物……)


 足跡はそこから先に進まず、庭の片隅にある小井戸の縁で消えていた。


 井戸の水は濁っていた。最近誰かが何かを沈めたのか、底は見えない。


 ――だが、井戸は密封されておらず、警備も曖昧。

 そして、そのそばに、誰かが立っていた。


「……あなたがここにいるとは思いませんでした」


 ユウの背に声をかけたのは、桂宮の宦官・サイだった。


 年若いが聡明な男で、以前から何度か会話を交わしていた。


「サイ殿。銀燕のことをご存じですか」


「知りません」


 即答だった。


 だが、その目は泳いでいた。


「彼女は、桂宮の縫製部にも出入りしていましたよね。香袋の縫製で何度か……」


「ユウ殿」


 サイの声が低くなった。


「今すぐ、この話を終えましょう。でないと、あなたも次に“沈む”」


 その言葉に、ユウは片眉を上げた。


「“沈む”? 井戸にですか」


 沈黙。


 それが、答えだった。


 


 ――誰も、銀燕を探していない。


 誰も、彼女の名を記録に残していない。


 なぜなら、「彼女がいた」と証言すれば、次は自分が消されるから。


 沈黙は、毒と同じだ。

 少しずつ広がって、命を蝕む。


 ユウは井戸の縁をそっとなぞった。

 冷たい石の感触の奥に、喉の奥を締めつけるような無力感があった。


 


 その夜。


 翡翠宮の寝所で、麗妃はまた咳き込んだ。

 だが、侍女たちはただ黙って水を差し出すばかりだった。


 誰も原因を訊ねない。誰も異変を疑わない。


 その静けさこそが、最も残酷な毒。


 


 ユウは帳面を閉じると、蝋燭の灯を見つめながら呟いた。


「……次に、沈むのは誰か。あるいは……私か」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ