第22話:衣を繕う手、毒を編む手
「また、咳を?」
そう訊ねると、侍女はわずかに視線を泳がせた。
「はい……ですが、麗妃さまはご心配には及ばぬと。これは持病で、季節の変わり目にはよくあることだと……」
翡翠宮の一角。ユウは淡々と記録をつけながら、侍女の言葉の端々に意識を集中させていた。
(麗妃さまの持病など、記録には一切なかった)
むしろ、つい先月までは非常に健康だったはずだ。
その麗妃が、香と共に“咳”を訴えるようになった――それも、玉貴人と接点を持ち始めてから。
ユウは、ふと床の一角に目をやった。
――白い布地が束ねられ、丁寧に畳まれている。
「それは?」
「あ、これは……下着でございます。先日、薫花宮に納められたもので、布地が合わなかったため、繕い直しを」
「どこで織られたか、記録はありますか」
侍女は困ったように首を傾げたが、ユウが懐から許可印を出すと、観念したように台帳を差し出してくれた。
(やはり。衣布の出所は“外部布商・景南”――翡翠宮とは無関係の業者。納入頻度も妙に多い)
しかも、他の妃たちには使われていない。麗妃専用。
(香と同じく、“麗妃にだけ”)
手元の下着の束を指先でたぐると、かすかに甘い香りが立ち上った。
桂花香……ではない。もっと深く、土のような、どこか湿った香り。
衣に香を染み込ませている。だが、それだけではない――。
ユウは、翡翠宮の片隅にある旧い乾燥室を使わせてもらい、布を蒸してみた。
湯気と共に立ち上る香。目がしらにわずかに刺激を感じる。
そして、数分後。
――布地の染料が、微かに褐色へと変わった。
(変色……これは“乾燥毒”系統。体温や汗に反応して、肌を刺激する)
こうした染料毒は、下着のように身体に密着する布に混ぜられると、発見されにくい。
ただし、繊維を織る際にごく少量ずつしか混ぜられないため、製造には時間がかかる。
(つまり――長く計画されていた毒)
衣と香、両方から。
麗妃を、少しずつ病に見せかけて殺す。
ただし、急な死ではない。あくまで、“自然な衰弱”に見せる。
誰が最も得をするか――その問いは、すでに心に浮かんでいる。
その夜。
ユウは帳面に記した情報を基に、香司の管理録と布商の出入り記録を照らし合わせていた。
「景南布商……ここ数月で三度、宮中に出入り。衣類だけでなく、香袋入れにも関与。だとすれば……」
香と衣の接点。布の中に仕込まれた香。
これは明らかに、偶然ではない。
――だが、その時。書庫の扉が、静かに開いた。
「……あら、ずいぶん遅くまで働いていらっしゃるのね」
その声に、ユウは筆を止めた。
振り返ると、入り口には艶やかな影。
玉貴人であった。
白磁のような笑顔で、まるで昼の延長のように、何もなかったかのように微笑んでいる。
「あなた、最近ずいぶん翡翠宮で熱心に動いていると聞いて。ご立派だわ」
「ただの職務です」
「ええ、もちろん。……でも、あまり“深入り”しすぎると、帳面に墨が垂れるかもしれないわよ」
意味深な一言を残し、玉貴人はくるりと踵を返し、夜の廊下に消えた。
彼女の背に漂う香は――薫花宮と同じものだった。
その夜、ユウは帳面を閉じながら、深く息を吐いた。
(これはもう、ただの毒ではない)
香と衣――女たちが身にまとう美の象徴そのものが、武器にされている。
後宮の命脈に触れる毒。
それを暴くには、もう「裏」での調査が必要だ。
だが同時に、それは「命の駆け引き」が始まることを意味していた。




