003 教室・魔族・揉め事
メアが地図に示された場所に到着すると、そこは机と椅子のたくさん並んだ部屋だった。床の形は正方形に近く、奥の壁には一面に平らな板が張ってある。廊下と反対側の壁は大きな窓が連なっていて、室内だというのに随分と明るい雰囲気だった。
しかし、最もメアの目を引いたのは教室ではなく、中で思い思いの行動を取る生徒たちの姿だ。茶髪、黒髪、赤髪、青髪。黒い肌、灰色の眼、堀の深い顔。金色の尻尾を垂らした獣人に、一目で矮躯族とわかる小柄な生徒、不格好で巨大な金属鎧を着た生徒までいる。これらがみなメアと同い年だという。こんなにたくさんの子供が同じ空間にいることだけで、メアには奇跡的な光景に思えた。
「座りなよ。そんな遠慮がちに立ってないで然」
入口近くの茶髪の生徒がメアに声をかける。少しだけ話し方が妙だと思ったが、指摘はせずにメアは頷いた。
「あ、うん」
大きな荷物を持って遅れ気味に入ってきたというだけでも浮いているのに、入り口で突っ立っていたら嫌でも目立つ。メアはきょろきょろとまだ誰も使っていない席を探し、そそくさとそこに座った。
背負っていた荷物を机の横に降ろし、ふう、と大きく息を吐く。考えてみれば、メアはついさきほど命のやり取りをしたばかりで、少しばかり疲労が溜まっている。落ち着いて安定した椅子に座れることで、その緊張がゆるみ安堵した。
「間抜け顔」
メアが振り返ると、先ほど声をかけてきたのとはまた別の茶髪の生徒と目が合った。にやにやという笑みから察するに、おそらくメアのことを馬鹿にしたのだろうが、メアはどういう反応をしていいのかわからなかった。唐突な罵倒に腹が立たなくもなかったが、それよりも戸惑いの方が大きかったのだ。メアは少しの間逡巡した後、結局無視することにした。
ちらりと横を見るとメアの右隣には青味がかった黒髪の女子生徒。左隣には漆黒の髪の男子生徒がいる。どちらかに何か話しかけてみようかと思ったが、少女相手には声がかけづらく、少年は能面のような無表情で、こちらもまた話しかけづらい。どうにもやりにくい、とメアは運のなさを嘆いた。
しかし、そう思って躊躇していたら、左隣の少年の方から声をかけてきた。
「荷物、持ってるのな」
表情をピクリとも動かさず、メアに話しかけてくる男子生徒。メアは愛想笑いしながら答える。
「ああ、遅刻寸前だったから直接来た。寮には終わってから起きに行こうと思って」
「なるほど、ひょっとして今日ついたのか? 間に合ってよかったな。あ、俺はレオゥ゠タ。気軽にレオゥと呼んでくれ」
「俺はメア。ルールス゠メア。よろしく」
メアの予想に反してレオゥの話し方は穏やかで、どちらかという愛想が良く感じられた。抑揚がなく、表情も変わらないが、意外と気はいいようだ。メアは心の中で拳を握る。
(よし。よし。これ、友達だよな。自己紹介して、よろしくって言ったもんな。何考えているかわかんなくて少し怖いけど、悪い奴じゃなさそうだし。よーし、こんな感じで友達増やすぞ)
同年代の友人のいなかったメアは、普通に会話できたというその事実が嬉しかった。特に、午前中はずっと無視され続けていただけに、喜びもひとしおだ。
「メアは随分変わった見た目してるけど、どこから来たんだ?」
「俺? 俺は西の方。レオゥは南? 夜みたいな色してるもんな。髪」
「ああ。ホトポのど田舎から。いやー、集落から出たこと自体初めてでさ、ここ、すっごいたくさん人がいるから驚いた驚いた」
「やっぱり? 俺もど田舎……っていうかほぼ最果ての地から来たから、同年代がいること自体が初めてだよ。すげえよな。学校って」
途端にわいてくる親近感。メアは今日この席に座れたことに感謝した。
そのままメアとレオゥが雑談をしていると、がらり、と教室後方の扉が開かれた。メアは何気なくそちらに目をやると、入り口には馬車に一緒に乗っていた白髪の少女が立っていた。
やっぱり新入生だったんだ、と感想を抱いたのも束の間。メアは教室の空気が凍り付いていることに気付く。気づいた生徒全員が強張った表情で少女を眺め、中には武器に手をかけている生徒までいる。
先ほどメアを馬鹿にしてきた生徒が立って剣を抜いた。そして、油断なく構えると少女に向かって問いかけた。
「なんで魔族がここにいやがる」
ざわり、と教室がざわめく。やっぱり、とか、大人は? といった不安そうな声がぼそぼそと響く。
少女は何も答えず、黄金色の眼で振り上げられた剣をじっと見ている。
「答えねえなら、斬る」
「ちょ、ちょっと待て待て」
茶髪の少年が剣を振り上げたのを見て、メアは思わず二人の間に割って入っていた。
茶髪の生徒がメアを睨み付ける。
「何の真似だ、てめえ」
「いやいや、突然何言っているのさ。剣を抜いたら洒落にならないよ。怪我する。危ない」
「は? てめえは馬鹿か。死にたくないならさっさとどけ」
有無を言わせる気はなさそうだ。メアはまだ状況が掴めてはいないが、いきなり同級生になるであろう少女が斬られるのを黙って見過ごすわけにはいかない。
「落ち着いて話そう。魔族って何言ってるの? どう見てもただの北方の人だろ」
メアの言葉に、再び教室がざわつく。目の前の男子生徒はこれ見よがしにため息を吐いた。
「馬鹿な上に無知かよ。信じられねえ」
そして、メアに向かって剣を振り下ろしてきた。
(本気かよ)
メアも剣を抜き、振り下ろされた剣を受ける。手ごたえからして、本気でメアを殺しに来ていることがわかる。
「正気?」
「魔族を斬ろうとしたら、割り込んできました。止めようと思いましたが、急なことだったので間に合いませんでした。これで十分だろ」
「頭、おかしい、ぞっ!」
メアは相手の剣を弾く。そして、踏み込みつつ刃を返して、峰打ちの横薙ぎを放った。
しかし、その一撃に手ごたえはなかった。相手の剣がしなやかにくねると、メアの一撃を軽やかに受け流したからだ。慌てて剣を戻そうとするメアの眼に水が飛び込み、思わず目を閉じた隙に膝蹴りが腹部に入る。耐えきれず膝をつくメアめがけて、流れるような動作で少年は剣を振り下ろした。
「っ!」
しかし、その刃がメアを切り裂くことはなかった。
「邪魔すんな糞アマ」
「人殺しを見過ごすわけにはいかんな」
見上げるメアの目前で、剣と斧の柄が火花を散らしていた。いつの間にかメアの横には赤髪の少女が立っていて、その少女が長柄の斧を構え、その一撃を受け止めていたのだ。
赤髪の少女は愉快そうに口元を歪めながら言う。
「確かに、そこの少女は見事な白髪だ。だが、目は赤ではなく金。冷静になれば魔族ではないことは明白だろう」
「んなのわかんねーだろ。だから殺してみればいい。きっと正体晒すぜ」
「うーむ。喧嘩は素手でやれと言われたのだが……仕方ない」
力を込めて得物を押し付け合い、二人が互いに間を計る。やる気は満々のようだ。しかし、まさに動き出そうとしたとき、硬い木が破裂るような硬質な音が響いた。
メアが音のした方を見ると、そこには巨大鎧を身にまとった生徒が教板の前に立っていた。というか、よく見るとそれは鎧なんて呼べるものではなかった。金盥を逆さにかぶり、鉄缶を胴体にはめ、そこから玩具のような金属製の義手が二本伸びているそれは、出来の悪い玩具の人形のようだ。
それはどこかぎこちなさを感じる動きで白墨(教板に文字を書くための筆記具)を手に取ると、教板に何か書き始めた。
けんかはいけません。
第一共通語。どこか丸みを帯びた綺麗な字だった。
ばちん、と再び破裂音がする。それはどうやら白墨が砕かれたときの音らしい。書き終えて満足したらしいその鉄の塊は、ゆっくりと自分の席へと戻っていった。
赤髪の少女は肩をすくめる。
「だ、そうだが?」
「ふん。知ら――」
「あははははははははははははははは!」
急に一人の少女が笑いだす。周囲に座っていた生徒はぎょっとそちらを見るが、当の本人は気にせず笑い続けている。
「あははははははは、はははは、ひい、ひいい、ぐふっ、げほっげほっ、ふ、ふふは、ははははははははははははひーひひひひひひいいいーひひひひ」
「何がおかしい」
「うひっ、ふひっ、ふ、ふくふふふふふふふ、ふあーははははははははげらげらげらげらげら」
「おい、大丈夫か」
「えへっへけっへっへっへへへぐふふふふははははひひははははははひー、おもしろすぎてしぬ――」
教室がしんと静まり、少女の笑い声だけが響く。少女はいつまでたっても笑いを止める気配はない。このままでは酸欠で死んでしまうのでは、と周囲の人々が思っている一方、気勢を削がれたらしい茶髪の少年は剣を鞘に収めた。
赤髪の少女がその背に声をかける。
「例え魔族だとしても大丈夫だ。この学校に危険な人間が入れるわけがないだろう」
「へっ、どーだかな」
茶髪の男子生徒は荒々しく椅子に座り込んだ。
メアは場が収まったらしいことにほっとしながらも、なんなんだと心の中で愚痴をこぼしながら剣を収める。そして、白髪の少女の無事を確かめようと振り返ると、そこに少女の姿はもうなかった。既に空いている席に座っていたのだ。
(……肝が据わっているというか、なんというか)
メアはその前の席である自分の席に座ると、再びふーっとため息を吐いた。
「おつかれ、メア」
「ほんとだよ、レオゥ。なに今の」
「当事者が傍観者に聞くな」
「そう言われたらそうなんだけどさ」
メアはげんなりとした顔を隠すことはしなかった。
教室の前方にある扉が開く。そこから顔を出したのは枯葉のような雰囲気の老人だ。
「ふむ。ふむ。ふむ」
老人はゆっくりと教室内を見渡す。そして、満足そうにうなずくと、教壇に立った。
「みな、席に着いてください」
その言葉に、おしゃべりしていた生徒は黙り、立ち話をしていた生徒は自分の席に戻った。いつの間にか女生徒の笑い声は止まっている。
素直な反応に老人はまた満足そうにうなずくと、静かな声で話し始めた。
「私は、エフェズズといいます。この学校の教師をしています。この学校では教師のことは先生と呼ぶのが一般的ですので、エフェズズ先生、と呼んでもらえると嬉しいです。さて、私が何者か、ということはこれで理解していただけたと思うので、これから少しばかりこの学校というものの仕組みを説明させていただきましょう
「学校というものは学び舎です。毎年百人近い子供たちが新たに学びに来ます。そこで、教師は子供たちに授業を行うのですが、一度に百人に対して授業を行うのは非常に難しい。また、この学校は、総合学校です。自身の学びたいことを深く学びつつも、同時に浅くとも広い知識を身に着けてほしい。そんな思いが込められています。そこで、一年生の内は全員に基礎的な学問をすべて受けてもらうのです。そうすると、教室ごとに、組として分けるとわかりやすいわけです。ここまでよろしいですか? ふむ。ふむ。ふむ。大変よろしい
「組として分けた場合、その組を把握している人間がいたほうが楽です。ですので、教師を一人つけて、担任、とするわけです。連絡事項があれば、担任が伝える。困ったことがあったら、担任に相談する。そうした役割を持った教師をです。まあ、簡単に言えば雑用です。ここまで言えば大丈夫でしょう。そうです。私があなたたち花組の担任となりました
「とまあそう言った感じで、これから四年間、よろしくお願いします」
エフェズズはそう言うと、ぺこり、と頭を下げた。
生徒たちが静かに聞いてくれたことに満足したのか、エフェズズは、ふむ。ふむ。ふむ。と笑う。
「では改め、私の名はエフェズズです。生まれはストフヨ。紆余曲折を経て十年ほど前からこの学校で教鞭をとっています。専門科目は植物学とそれに関連する薬学。皆さんには一年次の生命学を教える立場となりますね。趣味は読書、特技は水魔術と木弦。あまり戦闘は得意でないほうなので、みな、喧嘩をしないようにお願いします」
そして、また一礼。それで一通り話し終わったのか、エフェズズはじっと黙り込んだ。
不意にぱらぱらと拍手が沸いた。歓迎を意味する拍手だ。それは誰が始めたのかわからなかったが、断続的に、少しの間響き続けた。
メアも拍手する。静かだがよく通る声、丁寧で物腰の良い話口に、メアは好印象を抱いた。
「ふむ。ふむ。ふむ。では、みなにも自己紹介をしてもらいましょう。先ほど言ったように皆さんはこれから何かと行動を共にすることになります。全員が仲良くする、のは難しいかもしれませんが、まずは互いの名前を知りましょう。そちらから順に」
そう言って、最前列の席に座っていた人を呼び寄せた。
最初の生徒は、頭部に犬の耳がついた少年だった。
「初めまして! ヒーカッカアーといいます。ヒークと呼んでください! 特技は炎を出すことです。嫌いなものは、黄色い毛玉です」
ヒークはちらりと窓側の席に目をやり、べーと舌を出した。それに対し、腰からきつね色の尻尾を垂らした少女はふんと鼻を鳴らす。どうやら知り合いらしいが、かなり険悪な雰囲気を感じる。
一人目から漂う不穏な空気にメアははらはらしながらも、花組の生徒の自己紹介はどんどんと進んでいく。
「ザイカです。北から来ました。目標は商人になることです。特技は……ありません」
「アウェアという。家名はない。武芸には秀でている自身がある。将来的には弱き者を守るための職に就ければと考えこの学校に来た。よろしく頼む」
「ゼオ゠フォンナ。出身はティウヤム。趣味は研究かな。よろしく」
「オトル゠シヌタです。東から来ました。特技は銛漁。気軽にシヌタと呼んでください」
「ら、らあぁぁえ、まぅてぇぇぇぇぇぇ」
「え、えと。ぎ……ょギョウラ゠イです。ととと特技は、ない、です」
自信、緊張、興味、恐怖。自己紹介から感じ取れるものは様々だ。
メアは次から次へと流れてくる情報を必死に覚えようとするが、とてもとても覚えられるものではない。せめて名前と顔だけでも一致させようと頑張るのだが、それすらも難しい。自己紹介が十人を超えたあたりからそれも諦め、素直な感動と共に話を聞くだけとなった。
そして、先ほど剣を抜いていた茶髪の少年の順番が来る。
「ディー゠エナシ。嫌いなのは弱ぇのとうぜぇのと、魔族だ。話しかけてくんな」
エナシはそう短く言うと、すぐに自分の席へと帰っていった。
(うわあ、感じ悪いな。関わらないようにしたい、けど、同じ組かー。難しそうだな)
メアはげんなりとした。
そして、再び自己紹介は進み、ついにメアの出番が来る。一応自身の紹介について考える時間はあったが、こういったこともやはり初めて。また心臓がどくどくと激しく鼓動し始める。
メアは教壇に立つ。そこは少し高くなっていて、さほど広くない教室を見渡すには都合がいい。
「俺は、ルールス゠メアです。特技は特にありません。趣味は散歩です。剣を、剣を学ぶためにこの学校に来ました。夢は、広い世界を自由に見て回ることです」
よろしくお願いします、と頭を下げる。メアは緊張で心臓が今にも割れそうだった。笑われている気がして、顔を上げることが不安だった。
それでも、ゆっくりと顔を上げると、メアは自分の席へと戻る。すると、ゆっくりと心臓は収まり、椅子に腰を下ろして初めて、メアは自分が息を止めていたことに気付いた。
自分の小心者っぷりについ笑いをもらしてしまうが、横に座るレオゥは良い出来だと言わんばかりに握り拳を見せてきていた。それを見てメアはまた一つ緊張がほぐれ、気が楽になる。
しかし、深呼吸をしつつ顔を上げたメアは、次の人の紹介が始まっていないことに気付いた。教団には、白髪の少女が困ったような顔をして立っていた。
しばし、無言で視線をうろうろと彷徨わせ、何かを言おうとしているのか口を開閉させる。しかし、結局何も言わないまま頭を下げるとメアの後ろの席に戻ってきた。
教室中の生徒がなんとも言えないような顔をしている。流石に情報量が足りないと感じたのか、前方の席に座っている女生徒が挙手した。
「エフェズズ先生。あの、これじゃ何もわからないんですけど」
ふむ。とエフェズズは自身の顎を撫で、頷く。
「彼女も生徒の一人です。決して魔族ではないですが、魔族だとしても生徒であれば保護する。それがレトリー総合学校の校則です。みなさん、仲良くしましょう」
そう言ってほほ笑んだ。
結局何も情報量が増えてはいないのだが、メアにとっては魔族だなんだはどうでもよかったため、あまり気にならなかった。他の生徒も先生に安全だと言い切られて安心したのか、いくらか空気が和らいだ。
そして自己紹介は続き、ついに先ほどの金属の塊のよくわからない生徒の順番が来て、その生徒が教板に、わたしの名前はモーウィン、と記したことによって自己紹介は終了した。
再びエフェズズが教壇に立つ。
「では、自己紹介を終えたということで、制服となる外套の配布と行きましょう。みなさん、気づいている方もいると思いますが、この学校の生徒であることを示す制服はこの外套です。極論、これを着ていれば他の服は何を来ていようと自由です。また、肌着などは駄目になるたび支給されますが、この外套は一張羅です。大事に着てください」
そう言ってエフェズズは外套を広げた。
外套の色は紺色。遠目に見ても分かるほど分厚く、風雨には負けなさそうだ。ただし、長さは腰丈、前は大きく開ける構造をしているため、夏の着用にもなんとか耐えられそうではある。袖はないが腕を通せる部分はある様で、使い勝手は良さそうだった。
メアは馬車の男性が言っていたことはこれか、と納得しつつ、それを斬る姿を想像した。中々悪くはなさそうで、メアは満足そうにうなずいた。
思い思いの反応を示す生徒たちを見回し、エフェズズはさらに言葉を続ける。
「皆さん、今日は学校に慣れるための一日です。明日の休日を挟み、本格的な授業は来週から始まります。今日は学校での規則や設備の紹介だけですね。少し休憩を挟んだら、続いて校則の説明としましょうか」