02 今世と前世
あなたが覚えている一番古い記憶はなんだろうか。
幼少期?赤ん坊の頃?それとも生まれたとき?
私の場合は歩けるようになったばかりの頃、転んだ時の記憶だ。
花畑のなか、身長のそう変わらない誰かに手を引かれて起き上がろうとしている記憶。
手を引いてくれた人は私の大好きな人で、涙で顔がゆがんで誰だかはわからない。
けれどとても大切な記憶。
死の間際には走馬灯が走ると言うけれど、本当だったんだなぁと感心する。
物語の主人公たちに「いや、んな暇あったら回避しろよ」と思っていたことを反省したい。
たしかに避けられない死ってあるんだね。
印象深い記憶や、やり残したことが浮かぶ中で、一番古いその記憶が最後に浮かんだ。
結局誰かはわからなかったなぁ。
死の足音はもうそこまで来ている。けれど、この場を離れるわけにはいかなくて。
と、後方から名前を呼ばれる。最近は聞いていなかった聞き覚えのある声。
まさかと思い振り向くと見慣れた人影が見えた。・・・ああ、来てくれたんだ。彼がいれば大丈夫。
安堵から笑みがこぼれる。
でも、もう間に合わない。
人影の方へ手を伸ばしかけて、そのまま手をひき戻し横に振った。
彼のきれいな顔が辛そうに歪む。
ごめんね。
私のことは、辛そうな顔じゃなくて笑った顔で覚えていてほしい。
次の瞬間鋭い痛みと共に世界が暗転した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
真っ白な光の中で私は揺蕩っていた。
瞼も体もひどく重くて、起き上がれそうにない。
何も難しい事は考えられそうにないし、考える気もわかない。
ずっとこうしてまどろんでいたい。
どのくらいそうしていただろうか。
遠いような近いようなところから、優しそうな女の人の声が聞こえた。
私はそれをぼんやりとした意識で聞く。
「私は今あなたの記憶に直接話しかけています」
「残念ながらあなたは亡くなり、肉体は失われました」
「しかし、あなたの寿命はあの場所で、あのタイミングで失われるはずのものではありませんでした。あなたには引き続き生が与えられます」
「それでは良い残り寿命の使い方を」
そして私は言葉の意味を理解せず、ぼんやりとした意識のままで。
再び世界は暗転する。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
あたたかく、安心できる場所から、眩しくて騒がしい場所へと無理やり引きずり出された。
急になくなった、酸素と栄養素の供給と、体への少しの違和感、言い知れぬ不安を感じて大声で泣きわめく。なんか嫌だ。誰か、誰か。
いくらたっても視界は白く輝き、ぼんやりしたままで、聴覚も嗅覚も触覚もうまく働かないことがとても怖い。
体もうまく動かせず、もどかしくってしょうがない。
そのまま自分の体がどこかへ運ばれて、どこへ連れて行くのと更に泣きわめく。ふわっと少し体が浮いて、ひっと息を吸った後、あたたかいものにそっと抱きしめられた。
守るようにぎゅっと包み込まれ、壊れないようにとそっと触れられる。
自分に似た体温をしたそれは、なぜか自分を絶対守ってくれるものであり、離れたくないと感じた。
・・・不安はなくなっていた。ここにいれば大丈夫。
「ねえ、あなた。赤ちゃんってこんなに小さいのね」
「そうだな、触ってみてもいいかな」
「ええ、そっとね?」
頬をふにふにと触られた後、手のひらをつつかれる。
私は初めて手に触れたそれを、離すもんかとつかんだ。これは離しちゃいけない。
「ぎゅってされたぞ」
「ええ、きっとあなたがお父さんだってわかったのね」
「・・・名前をつけてあげないとな」
「女の子だからかわいい名前を考えなくっちゃね」
「・・・ああ」
2人分の優しい声がなぜかはっきり聞こえた。きっとこの2人が両親なのだろう。
だんだん眠たくなってきて、私は良く見えない目を閉じた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
次に目が覚めたとき、母も父もいなくなっていた。
不安とひもじさから泣きわめく。
すると、すぐに足音が近づいてきて私を抱き上げた。
そしてあの安心できる、母の腕の中にそっと移される。
「ミリカ、お腹が空いたの?」
やっぱりあの優しい声は母だった。すぐさま彼女は乳母を呼ぶように指示を出し、間もなく私のお腹は満たされた。
母の腕の中へ戻され、ゆっくりと体を揺らされる。
くすぐったくてもぞもぞと動いてみるが、指をすこし動かすことくらいしかできない。
だんだんそれすらも疲れてしまって、おなかがふくれたこともあり、私はまた眠りに落ちる。
初めて聞いた“ミリカ”という響きをなんども反芻しながら。
「おやすみなさい、ミリカ」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
彼らからミリカと名付けられた私は、優しい両親と使用人たちの手によって、大きな病気もせず、のびのびと成長した。
最初は見えなかった目も1月経ってからはすこしずつ見えるようになったし、
体も、少しずつ思う通りに動かせるようになり、最近では走り回れるようになってきた。
そして近くにあるものはすっかり見えるようになり、
言葉を覚え始めると不思議なことに気が付く。
両親が教えてくれるものの名前を私はすでに知っているのだ。
今はうまく口がまわらず、意図せずとも子供のような話し方になって、気づかれていないが、
積み木だって、帽子だって、そろばんだって使い方さえもがわかる。
・・・だって私はすでにそれらを使ったことがある。
おかしいと思い、記憶をたどると、
私は生まれてくる以前に何年もの時間を過ごした記憶を持っていた。
今の両親とは異なる両親、兄弟、友人、生活・・・。しかし、次々前世の記憶を思い出そうとしたところで頭が割れそうに痛くなる。
確かに覚えているけれど・・・よくわからない。
私は思い出そうとすることをあきらめた。
それに前世の記憶が今、何の役に立つだろうか。
むしろ、これらの記憶があることは“隠すべき”である。
もしも皆が記憶を持って生まれるのであれば、両親や使用人はあれほど熱心にものの名前なんかを教えたりしないだろう。
大好きな両親を心配させないためにも、このことには気づかれないようにするべきだ。
読んでくださりありがとうございます。
ミリカの話はもうしばらく続きます。