16 最後に、夏休み中の山盛高校、委員会室である。
さて、最後に、夏休み中の山盛高校。
西日が窓から赤く差し込んできた、二階の東端にひっそり佇む委員会室である。
あの山盛りだった食券。
判子捺し、佳境。
俊也が委員会に入ることになるのも、友人がちゃんとアンケート用紙を持って行かなかったからであり、委員が教師をせっついてアンケート用紙を探させた日に友人が欠席していたからである。また、委員会室でもっとちゃんと記録をとっていたら、アーチの寸法委員豊隆がパンクしてアーチの寸法を絶叫することにはならなかっただろう。偶然そこへ俊也がやって来てアーチの寸法を覚えてしまったから翌日の大捕物があるわけで、過剰な追いかけっこをしたから委員会との縁も深まった。委員の仕事の手伝いや、休憩や、大貧民なんかがあるから、俊也は委員に加わることになった。
姉だって、ああいう性格でなければ嵯峨野鈴と奇跡の性格合致などなかっただろう。姉が姉であること、嵯峨野鈴が嵯峨野鈴であることが二人の条件なのだ。
無口だから、沢山苛められた。苛められたから、より一層好きなものを愛した。何度となく朔羅ちゃんに助けられたよ、と言っていた。
深閑という名前でなければ彩音さんと関わらなかったかも知れない。
花が好きでフラワー川島に通っていたから、川島店長は見知った姉を雇った。
彩音さんが自分の華やかさにかける主義を貫き通すがゆえに美容院にて壱真さんと出会い、壱真さんと嵯峨野鈴が親友だったから、彩音さんが姉と親友だったから、嵯峨野鈴と姉は出会った。
私という存在がいて、姉は私に世話を掛けたから、私は姉に懐いて慕った。ある時期まで騎士役を私がやっていたから、姉はこぢんまりと生きる自分の世界を守れた。姉が嵯峨野鈴に出会うまで、私は悪い虫を追っ払っていたのである。
何かひとつ欠けていたら、姉という人物は成り立たなかった筈だ。
人生の中の条件がひとつ欠けていたら、今はない。
私も、俊也も、天野豊隆も、姉も、彩音さんも、壱真さんも、嵯峨野鈴も、父も、母も。
見えるものも、見えざるも、知るものも、知らざるも。
「へー。なんか、すげーエピソードだね」
俊也は目をキラキラさせる。
「そっか、なるほど。確かに色んなことがなかったら一人の人間もいないし、ひとつのこともないんだね」
「まあ、そういうことだな」
俊也はにこにこしながら言う。
「そう考えると、気持ち悪いくらい俺も色んなことの上にいるんだなって思うや。誰かと友達になるのも、色んな積み重ねがあってなんだ。学校中走り回ったのも、疲れて死にそうになるばっかりで何で俺こんな意味がないことしたんだろうって思ったけど、そういえばあれがあったから俺は委員会室にいるんだよね」
「あれが意味がない?面白いじゃないか」
「ていうかさ森園さん、あれ書記のノートに書いてるっしょ。破って取っちゃ駄目かなぁ・・・。かなり恥ずかしいんですけど。豊ちゃんもあれ見る度に涙目で俺に訴えかけてきて・・・。ボールペンで書いてあるから消せないし」
「記念に一部始終を持ち帰りたいなら、コピーしても良い。私の尽力のたまものを破って取るのは許さん」
「尽力のたまもの以前に、あれが代々委員会室に伝わるのは・・・まあ、いいや」
何か諦めた調子でそう言い、ああもう腕が痛いと言いながら、ナンバリングに向き直る。
私は同じ速度で適確かつ美しく判を捺す。
流石に私も腱鞘炎になりそうな気配であるが、それは口にしない。おそらくお互い様だ。
「ああそっか、俺たちがこうやって判子捺してるから、食券も成り立つんだね。これを学校に来場する人が使うんだね。で、その人たちもそれぞれの事情があって食券買って食べて行ってくれるんだね」
「そうだ。文化祭が上手くいけば良いね」
「そうだね」
ぽん、ガショ、ぽん、ガショと食券に判子とナンバーをふる音が繰り返される。もうそろそろこの作業も終わりそうだ。食券はあと一クラス分足らずである。
委員会室の窓からは西日が射し込んできている。
雑多な室内にオレンジ色を窓の形に四角く伸ばす。随分長い時間、恐ろしい分量の食券に、ひたすら判を捺し続けたものだ。
単調で疲れる作業だが、委員会室から眺める夕陽は美しい。
繁茂した桜の葉と、駐輪場でボールを投げ合って遊んでいる高校生、自転車を引いて帰る女子高生。
実に良い景色だし、こうやって我々が判子を捺しているから食券が食券として機能するのであるが、私の黄金の右腕を腱鞘炎に至らしめかねないこの食券判子押しの作業にはいささか文句を申したい。
「まったく、こんな大変な作業のときに全員休んで。こういうときこそ人海戦術が必要というのに。他の委員にはやはりアイスを奢らせるべきだ」
「えっ、あ・・・まあ、そうですよね」
少々歯切れの悪い俊也の反応を、私は怪訝に思う。
しかしああやっぱり、と思って黙ってぽんと判子を捺す。
実は薄々感付いていることが二点ある。
一点目、本日委員がまるで示し合わせたかのように一斉に「用事が入り」、私と俊也の二人で作業をすることになったこと。これはどうやら本当に他の委員どもが示し合わしている節がある。
二点目。俊也が委員会に入会する条件は、友人のせいでアンケート用紙を持って行かされたこと、アーチの寸法を覚えてしまったこと、翌日の大捕物、委員たちと仲良くなったこと、大貧民、委員会の連中が個性的で空想の宝庫であること、などなど沢山あるのだが、私はひとつの条件を推測している。
森園朔羅の入会。
俊也は私が入会した直後に、入会を決めた。
だからといって、私が入会したから俊也が入会した、という理由に直結するわけではない。
しかし、なんとなく、間違ってない気はする。
私は尋常ならぬ鋭い感性を持っているからな。なんかそれっぽいのは大体当たってる筈である。
他の委員どもや俊也は、私が気付かないようにしているつもりらしいが、陰で何か相談し合っていることはバレバレである。ことあるごとに私が俊也と一緒にされていることもしかり。段々疑念は確証に固まって来ているのである。
まあ、良い。いずれ条件が揃った暁に、解かることだろう。
こうして一緒に判子を捺しているのも、恐るべき厖大な偶然と、必然と、出会いと、出来事が積み重なって、条件が揃ったゆえである。
あれは文化祭の話が出始めた頃だ。クラスでの自分の位置について思案しながら、学内をぶらぶらして二階の東の端まで歩いてきて、私はあるものを目にした。
誰が書いて貼ったんだか知らん。
だが、委員会室の門戸にその貼り紙がなかったら、私だって。
『委員会室へようこそ』
ふむ。なるほど、その手があったか。
と、委員会室の扉に手を掛けることはなかった。
何も気にならず、関心も持たず、誰とも出会わず、ただ通り過ぎるだけで終わっていただろう。
目の前の縁を、大切するのみだ。
ところで、私は気になっていることがある。
俊也がところどころに零した言葉やメモを拾って分析し、どうやら委員会室の面々にそれぞれ役割が振り分け、彼の頭の中で国を形成しているらしいことは先ほど述べた。
しかし、大分俊也の空想は解かって来たのだが、まだ俊也自身がどんな役なのか解からないのだ。
空想の中では、俊也はどんな役割なんだ?
俊也は自分の空想をなるべく隠そうとしているから、私は知らないふりをしてやっている。我ながら親切である。
しかし、この機会に私は訊くか訊くまいか、考えあぐねいている。今、正真正銘の二人きりなのである。
空想をしていると、嗤われたり、からかわれることが多いから、隠しているのだろう。しかし、本当に隠したかったら、口から単語が零れ出ることもないだろうし、紙にメモを残したままにしておくこともないのではないか。
その空想が飽和状態で、誰かと分かち合いたいのに、人に知られるのを恐れているのなら、私になら共有できるぞ、というのは、私の告白になるのだろうか。
私は面白いことが大好きなのだ。
ぽん、ガショ、ぽん、ガショ、という音が止まった。
判子が捺された食券を一クラスずつまとめ、積み上げる。
「はぁー終わった。腕がもう駄目。修行かよ。疲れた。やっと終わった」
ぱったりとうつ伏せに机の上に倒れた俊也を見て、思い出す。
あの机には何が書かれていた?
そこに書かれていたことが面白そうな限り、私は気になって仕様がない。からかいたいんじゃない。母のように意地悪く笑いたいわけではない。知りたいのだ。どんなことを思いどんな世界を見ているのか。
私は食券の最後の一束を積み上げて、条件が揃っているのかも知れない、と思った。
私と俊也のこれからするだろうやりとりは、何かを成立させる条件の一つになるのだろうか。
きっとなる。
椅子を俊也の方に向けてどかっと座ると、俊也がぎょっとして起き上がった。
「何?何ですか?」
「私は今日充分喋ったと思わないか」
「はははははいそうだね。いつになく」
姿勢を正して、妙に緊張した様子の俊也が頷いた。
私は笑みを浮かべた。
さて、これから訊くことが、私にとって、俊也にとって、どう転ぶか。
「今度は俊也が話す番だ。包み隠さず白状せよ」
*
さて、これで私の話は失礼とする。
こんな私事をだらだら随想したものが何の役に立つのかとお思いだろうか、しかし、私に言わせれば 何かをやってみて意味がないことはないのである。
見えようが見えまいが、知ろうが知るまいが。
何かを成立させる小さな条件になる可能性が、全くないなんてことはない。
*
私と俊也がどのようなやりとりをしたかはご想像にお任せする。
言うことがあるとすれば、条件が揃っていた、のである。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。
このお話は2009年に書いた作品です。読み返すとところどころ稚拙な表現が目立ち、つっかえつっかえのような文章であり。2009年当時の気風を纏っていると見受け、恥ずかしくもあります。
しかし、この作品を2010年に、当時所属していたサークルで紙媒体にして発表したのは、著者が伝えたいことを渾身の思いを込めて書いたと確信している作品だったからです。
それは今でも変わっていません。
2010年に僅か十数部作って、売った作品を、再度インターネット上に発表したいと思ったのは、今でも誰かに読んで欲しい作品だからです。
いつもいつも、力不足を感じ入るばかりですが、読んで下さった方に、少しでも何か力になれたら、楽しみでも、笑いでも、届けられたなら、それ以上のものはありません。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。
蛇山夏子
(2013年1月16日→独蛇夏子と改名)
(2013年2月13日 改訂)