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63 女郎花《おみなえし》

 どのくらいそうしていたか、沢村の震える体は若橘をしっかりと抱き締めて放さなかった。若橘は声を出すことを躊躇った。安易な言葉では、沢村の気持ちが落ち着くことは無いだろう。

 

 漸く落ち着いたのか、少し、若橘を抱く手の力が抜けたようだった。

 

「姫様のご最期を今村が話してくれた……やはり、姫様は最期まで、凛とされ、殿を愛しておられた……立派なご最期であったそうだ……姫様はご自害を納得されておられたようだ」


 若橘の頭の上で、沢村の声が震えていた。

 

 紅梅姫が幸せであったという事を、今村からわざわざ聞いてきてくれた……

 若橘が此の後を、自分のものとして生きていけるように……沢村の優しさが、身に沁みてくる。紅梅姫を思うあまり、自分の気持ちを表に出せない若橘を沢村は気にしていたのだ。


 若橘は何も言えずに、涙を零した。


「……そなたを、正式に妻に迎えたい……もう、紅梅姫様に遠慮は要らぬぞ……」

「……ですが、宗右衛門殿が何と言われるか……」


 若橘は表情を硬くした。しかし、沢村は怯むことはなかった。若橘の気持ちが大切なのであって、宗右衛門の返事は沢村にとっては、重要なものではなかった。


「宗右衛門と戦う事になっても構わぬ。そなたを奪ってみせる……」

「……恐ろしゅうございます」

「……大丈夫だ、心配をするな……」


 東の空が白み始めた中、沢村の顔は何時ものものになっていた。

「周りの顔色ばかりを伺っていては、そなたが幸せになれぬ。そなたが幸せでなければ、私も幸せではない……今村から言われたよ……逃げていると……もう、何からも逃げ隠れはせぬよう生きていきたい……自分に正直に生きたいのだ」


 時代の中で抗いながら、どの位、自分を保てるのか、己との勝負なのかもしれない。


「絶対に、そなたを放したくない……誰にも渡さぬ。其れが、たとえ宗右衛門殿であっても、私からそなたを奪う事など、許さぬ」

「ですが、宗右衛門殿は掟に厳しいお方です。もし、戦って、沢村さまが死んでしまいましたなら、わたくしは、生きてはおれません……」

「嬉しいことを言うてくれる……そなたの全てを手に入れるまでは、死ねぬな……」

 

 沢村の顔が近付き、若橘の唇を奪う。茂二が見ているので、沢村の腕の中で少し抵抗したが、沢村はそれを許さない。息も詰まるような口付けの後、沢村は漸く若橘を放した。


「さあ、帰ろう。此の始末をつけねばならん……此れで、柏井の方様は丸裸だ、配下を失った……後は翔太と隼人が幽霊騒動を終わらせてくれるだろう」


 沢村は複雑な顔をしていた。其れは、喜ぶ事も無く、悲しむ事も無く、全ての感情を押し殺そうとしていたようだった。重郷の周りから、人が消えていく。たとえ其れが正しい事であっても、重郷にとっては苦しいことに違いない。沢村の胸は痛んだ。








「此れで、幽霊は最後だな……」

 

 化粧をした翔太と、人魂を持った隼人は花の屋敷に居た。

 今夜、決着を付ける事になっている。

 

 先日の飯合の屋敷での決闘は、全て、変死で片付けられていた。

 変死と謎めいた言葉に城下の人々は興味を示した。そして面白い事に、此れは紅梅姫様の祟りではないのかという、噂が城下を駆け巡ったのである。

 此の噂に関しては自然発生的なものだった。彼らが意図せずとも、彼らの流した噂や、幽霊が、人々に浸透していたのだろう……所謂、人の口には戸は立てられぬというところだった。


 そんな噂も手伝って、柏井の方と花姫は随分、参っていた。あまり、酷く憔悴させると、計画に支障を来たす恐れがあり、この辺が限界のようだった。


 何時ものように深夜、花姫が御手洗に向かう。

 此れも何時もの如く出た幽霊を花姫と小夜が怖がる。

 だが、今日は幽霊を見て驚く花姫を、隼人が手刀でもって、気を失わせた。


 紅梅姫に扮した翔太は其のまま、柏井の方の部屋へと向い、気を失った花姫を隼人が負ぶって其の後を付いて行く。

 

 其れに合わせ、小夜が恐れ慄くように、叫んだ。


「は、は、はな姫様に……紅梅姫様が、乗り移った……」


 此れで、花姫に紅梅姫が乗り移った錯覚を起させる作戦だ。

 

 最近は屋敷に紅梅姫の幽霊が出るというので、侍女達は、自分の部屋から出て来ることは無い。なので、小夜だけが夜の当番をしていた。おかげで、事が運び易い。盗み見るどころか、侍女達は布団を被り、奥の部屋で震えているのだった。


 兎に角、護衛の男が来る前に、始末を付けねばならない。彼らに見られては、今までの苦労が水の泡となる。

 静かに柏井の方の部屋へと入り込み、寝ている柏井の方に翔太が馬乗りになった。


「よ、よくも、わたくしを……貶めましたね……憎い、貴女様が憎い……」


 後ろで小夜が声を出して語る。紅梅姫に扮した翔太は花姫の懐剣で、致命傷は与えるが、直ぐに死なぬよう、柏井の方の胸を刺した。

 殺してしまっては、元も子もない。柏井の方に自白させる必要があったのだ。

 紅梅姫を貶めたのは自分であると、本人の口から重郷に言わせ、紅梅姫に掛かった疑いを晴らさせようとしたのだった。


 柏井の方の錯乱した神経は、花姫に紅梅姫が乗り移ったことを、易々と信じ込んだ。

 紅梅姫に扮した翔太を、紅梅姫が乗り移った花姫であると思い込んでくれた。


「許しておくれ……殿を奪われたく無かった……飯合に命じて、わたくしが全て指示したのです」


 柏井の方は狂気の中、自白する。すると、小夜は間髪入れずに、

「……其れを、殿に言って下さい……わたくしの疑いを晴らして下さい……でなければ、成仏が出来ませぬ……」

 と、柏井の方を脅した。


 柏井の方は其れを承知するように、頷いた。声さえも出ないようだった。怪我をしているせいもあったが、其の痛みより、恐怖の方が勝っていた。


 奥の異変に気付き、護衛の侍がやってくる。大きな足音が近付いてきた。

 翔太と隼人は直ぐに天井裏に身を隠し、屋敷を出た。






「翔太、終わったな……」

「……ああ、終わった。何となく、気に喰わねえ終わりだがな……」

「……まあな」


 二人は闇の中を走り抜けて行く。


「もう筑前とはお別れだな……」

 翔太が寂しそうに言った。


「……俺は志乃の所に寄ってから、帰る。お前も、若橘に別れを言いに行った方が良いぞ。夜明けと共に、引き上げる筈だからな」

 

 隼人の言葉に翔太は首を横に振った。

「いや、若橘に別れを言うのは辛すぎる。俺は、此のまま去ろうと思う」

「……そうか、だが、其れではきっと後悔するぞ。男らしく、最後の別れを言って来い……」


 隼人はにこりと笑った。

「隼人、余裕だな」

「ああ、俺はお前ほど弱くは無いぞ……だが、行ったほうが良いかもしれないな。宗右衛門殿が此のまま、若橘を大人しく置いていくとも思えん……まあ、沢村が付いているから良いと思うが……」

 二人が走り抜ける道の横には、黄色い女郎花おみなえしが所狭しと咲いて、秋風に揺れていた。


 




 隼人の予感は的中していた。

 宗右衛門は其の頃、沢村の屋敷を訪ねていた。

 若橘を取り戻す為に……








 

 

伝説では柏井の方は、紅梅姫が乗り移った花姫に刺され、何日も苦しんだ挙句、亡くなったそうです。そして、紅梅姫の事件に関わった人物は変死を遂げたとのことです。

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