64 続女郎花《おみなえし》
沢村は人の気配を感じ、庭に面した障子を開けた。
中庭に咲いた女郎花の花が、秋風に揺れる。
其の中に、宗右衛門が立っていた。
「……此れは宗右衛門殿」
沢村のほうが先に宗右衛門に挨拶をした。
「……若橘を迎えに来た」
宗右衛門は平然として立っており、其の表情からは彼の気持ちは窺い知れない。
「若橘は渡せません」
沢村は迷い無く、答えた。
宗右衛門が今夜、若橘を迎えに来るだろうと待っていた。そしてその後ろには、若橘が怯えたように立っていた。
飯合の屋敷から戻ると、初が起きて待っていた。
初が直ぐに桶を持って来る。初が足を漱ぐのを手伝おうとしたとき、沢村は其れを断った。そして、若橘の足を自ら漱いだ。若橘がいくら拒否しても、無言で漱ぐ。断ることが出来ず、若橘は黙って沢村に従った。それは以前にもあった事だった。こんな時の沢村は優しく、他の誰も寄せ付けない。そして、沢村は自分の足をさっと漱ぐと、若橘を抱きかかえ、湯殿に向かった。
よく見ると、若橘は裸足だった。夢中で逃げたので、草履など履いてはいなかった。裸足で動いた為、足は傷だらけだった。其の足を沢村は労るように、丁寧に漱いでくれたのだ。
「初さん、湯は沸いているのだろ?」
と初に湯殿の確認をした。
「ああ、出来てるよ……」
初のほうが面食らったような顔をする。
「なら、二人分の寝衣を用意しておいてくれ。もう直ぐ夜が明けるので、湯殿を使い、暫く寝てから登城する。茂二に午後から登城すると、城へ使いに行くよう頼んでくれ」
初は沢村の言いつけに返事をすると、直ぐに自分の仕事に戻る。湯をもう一度、沸かし直しに行った。
よく見ると、二人とも返り血を浴びており、着物も血で汚れていた。
「さあ、綺麗に流そう……そなたに、辛い思いをさせた……」
「沢村様、下ろして下さい……初さんがびっくりしていました」
「初さんなら良いではないか……一緒に湯殿に行こう」
湯殿の入り口で若橘を下ろすと、沢村は若橘の帯に手を掛けた。若橘は沢村の手を止める。
「……沢村様からお入り下さい。沢村様が終わりましたら、わたくしは初さんに呼びに来て貰います」
恥ずかしさのあまり、俯いたまま顔を上げられなかった。
「いや、一緒だ……時が無い、午後から登城して、飯合の屋敷の後始末をしなくてはならん……さあ、早く」
「……」
若橘には意味が分からなかった。男女が一緒に湯を浴びるなど聞いた事が無い。
「黙って、言う事を聞いてくれぬか……」
沢村がぼそりと言った。
若橘は自分の顔が真っ赤になるのが分かる。
沢村は若橘の帯を解き、血の付着した着物を脱がせ、自分も脱ぐ。
「恥ずかしいか?」
「……見ないで下さい。まだ、還俗はしておりません、御仏に地獄へ送られます」
「其の時は私も一緒だと言った筈だが……」
沢村は若橘をもう一度抱き上げ、湯殿へ入ると、湯を掛ける。
初が沸かし直したので、丁度良い温度で心地よかった。
飯合の屋敷での出来事は、若橘の神経を異常に高ぶらせていた。きっと、このまま、眠ることなど出来はしないだろう。
其れを戦に赴いたことのある沢村は、重々承知していたようだった。沢村であっても、真剣を交えることは日常では無い筈だ。
「……もう何も考えるな、自分が人を殺めた事など考えてはならん。あれは、戦だったのだ……」
「戦でございますか……」
若橘はぽつりと答えた。其れで過ごして良いものだろうか。しかし、殺らねば殺られていた。
「ああ、自分との戦だ。他と戦するも、自分と戦するも苦しい事には変わりはない」
沢村と肌が触れていることで、何とか自分を保てるような気がした。
沢村は若橘と自分の体を湯で洗い流し、体を拭くと、湯殿の外に用意された寝衣を着せた。そして、自分も着る。
そして、また抱き上げた。
「もう、下ろして下さい。湯で洗って頂いて、足の傷は痛みませんから……」
だが、沢村は笑みを浮かべ、下ろさずに部屋へと向かった。
「此のまま下ろしてしまうと、何処かへ行ってしまいそうだ……」
沢村の優しさを受け入れて良いものか、若橘は判断が出来ずにいた。
沢村の部屋には夜具が用意してあった。
初が気を利かせ、二組並べてある。
沢村は若橘を下ろすと、何時ものように唇を重ね、奥深く絡ませてくる。
そして、夜具に若橘を押し倒すと、若橘の寝衣の帯を解いた。不思議な事に、湯殿の時より、恥ずかしい気持ちになる。少しづつではあったが、平常心が戻りつつあった。沢村の手を止めようとする。
「何故だ? 湯殿の中では、抵抗しなかったではないか……少し、大人しくしていてくれぬか?」
「……でも……」
若橘は躊躇った。湯殿は狭く暗かったし、沢村が坦々と洗ったので、何となく、大人しく出来た。だが、今からのおこるであろう事は、もっと、若橘の気持ちを揺すった。
「……此のままでは眠れぬ、そうであろう? 私もそうだ……もう、我慢はせぬ」
沢村には、何時もとは違う激しさがあった。
もう一度、沢村が口付けをした時、今度は違った意味で、若橘の平常心が失われていく。
若橘は沢村の首に手を回した。もう、何も言葉は無かった。
沢村が望むのなら、それで良いと……
沢村の唇が少しづつ、下へと動いていく。
体中が熱く、熱を帯びる。若橘の艶やかな声が漏れ始めると、沢村は一層優しく、初めての快楽へと導いていく。
「初めてであろう?」
と問う沢村に若橘はこくりと頷いた。恐ろしくもあり、沢村であることが嬉しくもあった。
「……もう、そなたを誰にも渡さぬ」
沢村に抱かれながら、若橘は沢村を包み込んでいった。其れは、若橘を全てから開放するようだった。だが、其れと同時に沢村への熱い思いを、彼女に思い起こさせる。胸は熱く、苦しかった。
「怖くはなかったか?」
沢村が若橘を腕に抱き、頭をそっと撫でながら尋ねる。
「……いいえ」
「そうか、ならば良いが……あの山での秋時雨の夜、よく我慢したものだと自分でも思う……そして、庵で生活していた時も、宗右衛門殿に手は出さぬなどと、約束などせねば良かったと、何度後悔したことか……」
沢村はそう言って笑った。そして背中の刀傷を撫でた、やはりまだ気になるようだった。
若橘は目に涙を浮かべ、沢村の胸に耳を押し当てる。
「如何したのだ?」
「沢村様の胸の音が聞こえます……」
若橘の目から涙がぽろりと零れ落ちた。
「如何した、泣くでない……」
「……でも、宗右衛門殿が、何と言うか」
「良い、兎に角、寝なさい。宗右衛門殿とは私が話をする……たとえ、命を懸けようと、そなたは渡さぬ……」
そして、いつの間にか、二人とも深い眠りに落ちていった。
若橘の目が覚めると、辺りは明るく、沢村の姿はもう既に無かった。
ゆっくりと起き上がり、裸で寝ていた自分の姿に驚き、傍にあった寝衣を身に纏い、初を捜した。
しかし、初は居らず、廊下に新しい小袖が畳んで置いてあった。此れを着ろということなのだろう。
若橘は小袖に袖を通した。
置いてあったのは、法衣ではなかった。
もう、今更、法衣に袖を通す事は許されない事だった。
「……さあ、若橘、京へ帰ろう」
宗右衛門は手を前に差し出した。
しかし、若橘は沢村の後ろで、ぽろぽろと涙を零しながら、首を横に振った。
「良い思い出が出来たであろう。しかし、此のまま、抜けることは許されん!!」
宗右衛門の言葉に若橘は後ろへ下がる。
其れを見た宗右衛門は怪訝な顔をした。
「沢村殿、此れは如何いう事だ? 私は若橘を貴方の遊び女に差し出した覚えは無い!」
沢村がにやりと笑った。
「私は、本気で若橘を愛しいと思っておる。宗右衛門殿、貴方は考え違いをしておられる。私は若橘を妻に娶りたい」
「ならば、尚の事、断らねばならんな……草(忍び)の女は生涯、草であって貰わねばならん!!」
宗右衛門は腰に挿した刀の柄に手を伸ばした。




